No.130 若林稲美様(武蔵野赤十字病院)前編「体験からくる看護」

No.130 若林稲美様(武蔵野赤十字病院)前編「体験からくる看護」

  • 2018年5月8日
  • インタビュー
No.130 若林稲美様(武蔵野赤十字病院)前編「体験からくる看護」
No.130 若林稲美様(武蔵野赤十字病院)前編「体験からくる看護」

今回は武蔵野赤十字病院の看護部長、若林稲美様にインタビューをさせて頂きました。

若林看護部長の手腕と魅力に迫ります。

健康であることとの差を実感した

 

看護師になるきっかけは何ですか。

 

若林:高校の時に自活していけると思い、高校の教員などから「きつい仕事だよ、大丈夫?」と言われましたが、特に実習が楽しかったので、嫌だと思ったことはなく、この仕事を続けてきました。

学校は武蔵野赤十字病院の付帯施設で日赤武蔵野女子短大が当時あり、教育がしっかりしているのではないか、

という漠然とした思いと、周囲から赤十字は看護教育で老舗だからいいのではないか、という声を聞いて選びました。

 

寮生活はいかがでしたか。

 

若林:寮生活は独特で、3人か4人部屋でした。

前半は3年、2年、1年が混合で、後半は同じ学年同士になりました。

先輩方も優しく、門限や規制も私の時代はそれほど厳しくなく、楽しく過ごしていました。

今振り返ると、先輩が実習で病棟に行って帰ってくる姿などを1年の頃から見るので、先輩から学ぶものが確実にありました。

 

実習中に思い出に残るようなエピソードはありましたか。

 

若林:実習に来る学生と話をする機会があるときなどに話していますが、高齢の患者さんの足浴をしたことがあり、

足がとても浮腫んでいて、それが一般に言っている「むくみ」と全然違い、足首も全くわからず、本当に象の足のようでした。

それを見て、「病気はこういうことだ」と思い、「健康であることとの差」を実感しました。

例えば頭痛であれば、健康な人が、日常的に少し頭が痛いレベルとは比べ物にならないような痛みです。

実習では、本当の病気を実感し、それにまつわる様々な事が医療の世界にあると思い、とても衝撃的でした。

 

実習の現場で、患者さんに向き合った時に、病気の大変さなどを見て感じて欲しいですか。

 

若林: せっかく現場に来るので、先輩スタッフたちは多くの症例を見せたいと思いますが、浮腫み一つでも感じ取れると思います。

実感して分かること、自分の腑に落ちる分かり方、身を持って分かる事を多く体験してほしいと思います。

 

人との出会いで見いだした看護の存在価値

 

短期大学を卒業した後は、そのまま武蔵野赤十字病院に就職しましたか。

 

若林:はい。そして外科と泌尿器科と耳鼻科がある混合病棟に配属されました。

私の時代の新人看護師は、おおよそ技術が先輩看護師と同じくらいできており、4月に夜勤も多く入っていました。

今とは出来る事や、責任の持ち方も違いました。

自分でうまく出来ないことがあれば、色々な人のやり方を見て学び、先輩にも患者さんや家族にも支えられて、体験することで学んできました。

 

その後の経緯をお聞かせください。

 

若林:そこに3年勤務した後、一番館に引っ越しをし、1年ほど脳外科と外科の病棟に勤務した後、ICUに1年間いました。

赤十字は昔から管理者研修に力を入れており、幹部看護婦研修所という管理者研修があり、出張扱いで1年間行きました。

そして、終了後はICUで1年勤務し、係長になりました。

 

1年間の管理職の学校に行く前に「看護の存在」を自分の中できちんと見いだせない時期がありました。

1年の研修でグループワークなどを多く行い、全国の日赤病院から60人集まった同級生と話すうちに、

「つまんないな」、「医者がいっぱいいればいいじゃないの」などは思わなくなりました。

1年という長い期間があったことや、初代日赤看護大学学長の樋口康子先生のゼミを受けたことなど、全てが前進に繋がったと思います。

 

ICUに戻ってから、見方が今までと違いましたか。

 

若林:戻ってきてからは、部署でどうしたら患者さんのケアを上手に、適切にできるか、

みんながやりがいを持って上手く行えるかをとても考えました。

看護体制など多くのことを変えてみようと思い、とても多くのチャレンジをし続けてきました。

ICUの後は、結婚、出産をし、産休明けで混合病棟に2年ほど勤務した後、内科病棟の師長に就任しました。

後編へ続く

嶋田 香織
A-LINE株式会社
シンカナース編集部及び営業本部長