No.159 病院長 須永眞司様(調布東山病院)前編:最良の医療を提供していく

No.159 病院長 須永眞司様(調布東山病院)前編:最良の医療を提供していく

  • 2018年6月26日
  • 病院長 インタビュー
No.159 病院長 須永眞司様(調布東山病院)前編:最良の医療を提供していく
No.159 病院長 須永眞司様(調布東山病院)前編:最良の医療を提供していく

今回は調布東山病院の須永先生に、

新人時代のお話や病院長としての心掛け、病院の特色などお伺いさせて頂きました。

 

 

 

 

新人時代は体力勝負

 

中:本日は調布東山病院 病院長、須永先生にお話を伺います。

よろしくお願いいたします。

 

須永:よろしくお願いします。

 

中:最初に、医師を目指した動機をお聞かせください。

 

須永:私の家は医者家系ではなく、父は会社員で母は専業主婦という一般家庭に育ちましたので、小さい頃には医者になるという発想はありませんでした。

しかし、高校生になって勉強をしていく中で「人の役に立ちたい」という思いが徐々に強くなっていきまた。

「自分ができることで人の役に立つことは何か」と考えたとき、医者という選択肢に行き当たりました。

 

 

中:医学部に進まれてから、または医師になられて驚かれたことなどございますか。

 

須永:学生時代はごく普通の生活を送っていました。

驚いたのは、医者になってからです。

私が卒業したのは昭和の終盤ですが、その頃の研修医の仕事量は本当に膨大で、

まさに早朝から夜中まで休む暇がないという日々でした。

つくづく「体力勝負だな」と思ったものです。

なにより、医学部で勉強していたことがそのままでは役に立たず、

改めて勉強しなければいけないことが山ほどありました。

最初は戸惑うことばかりだったというのが率直な印象です。

 

 

劇的な進歩を遂げた血液内科

 

中:印象に残った患者さんのお話をお聞かせください。

 

須永:医者になってまだ間もない頃、まだ20代の頃のことです。

私の専門は血液内科ですから、白血病などの比較的若い患者さんもよく診させていただきました。

その患者さんも私とほとんど同世代の方でした。

当時、白血病は極めて難治な疾患でした。

その方も寛解と再発を繰り返し、治療を続けていらっしゃいました。

 

 

そのような深刻な状況にもかかわらず、ご本人はいつも病気に粛然と対峙され、

ご家族やご友人に接する態度も立派なものでした。

その姿を見ていて「自分と同年代なのに、本当にこの人はすごい方だなぁ」と感銘を受けたものです。

このような患者さんから信頼を得られるような医者になりたいと強く思い、

その後の自分の医者としてのあり方を考える上でも大きな影響を受けました。

思い出に残る患者さんです。

 

 

中:難治性疾患が多い血液内科領域ですが、近年の進歩はいかがでしょうか。

 

須永:私が医者になった頃といまを比べると、著しく変わりました。

昔は治らなかった病気が治るようになってきています。

いま申しました白血病もその一例です。

より具体的には慢性骨髄性白血病です。

私が医者になった頃は、唯一の根治的治療法が骨髄移植でした。

しかし、移植を受けられる患者さんは、ごく一部に限られており、

移植ができない場合には発症から5年ほどでほぼすべての方が亡くなられていました。

 

 

ところが2000年ごろにチロシンキナーゼ阻害薬が登場し、今では100%とは言わないまでも、亡くなられる方がほとんどいないほど、劇的に進歩しました。

血液疾患に限らず疾患全体を見渡してみても、

最も劇的に治療法が変化した疾患の一つではないかと思います。

白血病以外でも治らない病気が治る、

長生きできなかった病気が長生きできるように変わってきています。

 

 

このような変化もあり、最近では同一家系の複数の世代の方を診させていただくことが増えています。

例えば、最初に二十歳前後の若い患者さんを主治医として診ているうちに、

その方から「祖母祖父も一緒に診て欲しい」と希望されて応じたところ、

今後は「父母も」と言われて三世代を診ることになり、

さらに兄弟や叔父叔母も加わって、結局、

一族郎党を診るようなお付き合いになっているケースもあります。

そのようなかたちで、患者さんとの関係が非常に深くなっていくことが印象的です。

 

 

中:患者さんとともに過ごす月日が長くなり、その方のファミリーヒストリーも共有されるようになったことは、先生の診療スタイルにも影響が現れているのでしょうか。

 

須永:「この患者さんが生きてくうえで、自分が医者としてできることは何か?」を考えることが増えました。

そのような考えに基づいた対応が求められていることを、

本当に一人ひとりの患者さんから教えていただいたと実感しています。

 

 

「患者さんと地域を第一に考えてほしい」

 

中:臨床医としてご研鑽を積まれた後、現在は院長のお立場で病院経営をされていらっしゃいますが、その変化にはどのような背景がおありだったのでしょうか。

 

須永:患者さんを診ていますと、日々いろいろなことを考えるようになります。

初めの頃は目の前の患者さんだけを診ていればよいのですが、そのうち、

困っている人は目の前の患者さんだけではなくたくさんいることに気づかされます。

それとともに視野が広がっていきます。

 

 

また、そのような変化とは別に、ある程度年齢がいきますと、

組織の中で指導的なこともやらなくてはいけない立場になっていきます。

実は、私自身はどちらかというと患者さんを診ている現場のほうが好きな人間で、

現場から離れるつもりはなかったのです。

院長となった今も経営者というスタンスより、どちらかというと現場を支える裏方、

あるいはスタッフを引っ張っていくリーダー的存在だと考えています。

 

 

 

中:院長として、これから病院をどの方向へもっていくとか、

どのようにスタッフをまとめていくといった目標はございますか?

 

須永:当院のスタッフ、医療職以外も含めたすべてのスタッフ一人一人が、自分のことや当院のことではなく、患者さんやこの地域のことを考えて行動できる人間になってほしいという思いがあります。

そしてこの思いを全員で共有できるようになっていければと願っています。

もう一つは、この願いの実現に欠かせないことでもありますが、

やはり提供する医療と看護の質を高めていくことが必要だと思っています。

質の高い医療と看護の提供は医療機関としての使命ですから、

互いに勉強し磨いていかなければと考えています。

 

 

街の成長に合わせた医療

 

中:貴院の特色を教えていただけますか。

 

須永:当院は調布市の駅前にあり、病床数は83床と比較的小規模な急性期病院です。

病棟はすべて急性期ですが、その一方、地域にはご高齢の方も多いので、

訪問診療や訪問看護にも力を入れています。

この点は、やや特徴的なことかと思っています。

 

 

中:調布という街は非常に大きく移り変わって、今また新しく生まれつつあるという印象も受けました。

駅前も大変美しくなりましたし、貴院も非常にきれいな病院です。

このように変化していく環境において、貴院として運営の方向性をお考えになることはございますか。

 

須永:調布市内には病院がいくつかあるのですが、人口のわりに急性期病床は少ないのです。

当院も病床数は83床ですし、ほかの急性期病院もそれほど大きな規模ではありません。

このような限られた医療資源を有効に生かすため、

診療連携によって調布全体をカバーできる体制を作り上げていきたいと考えています。

 

 

中:そのように地域をまとめていく上で、看護師が力を発揮できる場が増えていくのではないかと思います。

先生がお考えになるこれからの病院づくりにおいて、看護師の位置づけや、今後の看護師はこのようになってもらいたいといった希望がございましたらお聞かせください。

 

須永:看護師への期待は非常に大きいです。

患者さんは、病院では「病気を抱えている人」という視点だけで見られがちですが、

実際には地域や家庭で「生活している人」なのです。

その生活の実態を知っていないと、

外来でも病棟でもその患者さんに即した医療・看護がスムーズに進まなくなります。

ですから、外来と病棟を分けて完全な分業にするのではなく、

看護師も含めすべてのスタッフが患者さんの生活状況を把握した上で、

その人にとって最良の医療を提供していく体制にしていくことが、

今後は非常に重要になると考えています。

 

 

後編に続く

 

Interview Team

中 友美
A-LINE株式会社 代表取締役社長 シンカナース編集長
東洋大学文学部国文学科 明治大学大学院グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院総合社会情報研究科 総合社会文化博士(Ph.D.) ニュージーランド留学 帝京大学医学部附属病院 東十条病院 三井住友銀行 A-LINE株式会社/代表取締役社長 東京医科歯科大学非常勤講師 同志社女子大学嘱託講師 著書『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社