今回はさいたま記念病院の看護部長、認定看護管理者でもいらっしゃる小木曽 國子様にインタビューをさせて頂きました。
小木曽看護部長の手腕と魅力に迫ります。
辿り着いた看護の道
看護師を目指されたきっかけを伺ってもよろしいですか。
小木曽:振り返ってみて思い出すのは、家事や子育てと仕事を両立させていた母親の姿です。
母は看護師ではありませんでしたが、「女性は家庭に入るもの」という考え方がある時代に、そうした姿を見ていましたので、自立するとは何かを自然と考えさせられたのだと思います。
看護師にもう少し近付いたのは、祖父の死を経験した後です。
今まで一緒に住んでいた人が亡くなる、存在しなくなる、という事実とその時に感じた不安感や喪失感が暫く心に残っていたのです。
一旦は他の職業に就きましたがその感覚が癒されず、それをどうにか解決しようとした時期に思いついたのが「看護の道」でした。
学校に進まれてみていかがでしたか。
小木曽:同じ目標に向かって話せる仲間がいるという環境はよかったと思います。
学校の先生も親身になって生徒を育てていました。
臨床でバリバリ働いていた人ばかりで、様々な性格の方、看護の軸をみることができたのでとても貴重な3年でした。
実習は如何でしたか。
小木曽:私は机上の勉強よりも実習が好きでした。
実際に患者さんがいる環境で、自分で必要だと思うことを調べて、学生として看護を実践して、指導者や看護師によかったのかを報告・確認するという良い緊張感があったのが自分にとっては良かったのです。
将来自分が看護師になった時にも同じ状況に置かれるのだろうし、そのための第一歩だという認識を持っていました。
卒業後はどちらに就職しましたか。
小木曽:実習で行っていた病院に就職しました。
小児科をメインで扱っている部署に入りたかったのですが、そうした場所がなかったので、その病院内で唯一小児が入院している血液腫瘍科へ配属して頂きました。
難しいといえば難しかったですが、とても良い上司と先輩に恵まれました。
私が入職した時代は今のように役割分担は進んでおらず、看護師が何でもやるのが当たり前でした。
ですが、その当時の部長は毅然と「看護師は看護をするものです」「採血は臨床検査技師の方がしてください」と、役割分担を進めていました。
そういう風土のある場所でしたから、入職した当時は役割分担が当たり前だと思っていました。
でも、今でもそこまで分担できている病院は少ないですから、本当に尊敬しています。
そちらの病棟で何年間働きましたか。
小木曽:そこからは1年で院内異動を希望しました。
なぜかと言うと、病棟の特性上、亡くなる方が多くいらっしゃったからです。
看護の道を志すきっかけになった「人の生死」には、卒後間も無い段階ではまだ向き合う事が出来ないと自分で思ったのです。
でも看護に対する意欲は消えていませんでしたので、異動した先で看護師を続けました。
そこで看護師を継続することを選んだからこそ、良い先輩や同僚や医師と出会うことができましたし、多くのことを患者さんとの関わりから学ばせて頂くことができたと思います。
1年目の時でも認めて貰えなくて任せて貰えていなかったことを、任せてもらえるようになり、信頼されることや成長を感じることができました。
裏付けのある優しさ
こちらの看護の理念の『笑顔で挨拶、優しい看護』について伺わせてください。
小木曽:これは前任者から引き継いだ理念です。
言葉はとても平坦な印象を受けるかもしれませんが変えないことにしました。
この言葉を受け流さずに、考えを深めて欲しいのです。
医師は治療をします。
その時、看護師は何をするのでしょう。
確たる技術・知識の裏付けがなくても、ただ寄り添ってくれる看護師が良いでしょうか。
自分が看護師という立場で、患者さんのどの分にどのように関わって行くのかを考えて欲しいです。
今はご高齢の方がとても多いですから、社会背景の異なる方々がこれまでどのようなご経験をされていらっしゃってきたのかなどを考えながら関わっていかないといけません。
その基本に加え、やりたい看護をするために自分のスキルを上げていくことで提供することができる真の優しさがあります。
それが「柱のある看護、柱のある優しさ、柱のある笑顔」だと思うのです。
そうした思いはどのようにスタッフに伝えられているのでしょうか。
小木曽:研修後などに提出されるレポートを活用しています。
私は何十人という数になったとしても、全て目を通し コメントを書いて返却します。
なぜなら、読むことでその人の思考や、何を看護の主軸として考えているかがわかるからです。
案外、看護師は現場で瞬時に考えて動く人たちなので、書くことは不得意な人が多いのです。
ですから、敢えてその苦手なレポートを書いて貰うのです。
そうすることで、その人が今後伸ばせる点を簡単に見いだすことが出来ます。
そうして明らかになった点を踏まえて、その人の上司である師長とその人に対するサポート体制を考えているのです。
後編へ続く
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No.119 小木曽 國子様(さいたま記念病院)後編「誰も埋もれさせない」