今回はさくら記念病院の看護部長、認定看護管理者でもいらっしゃる田中義子様にインタビューをさせて頂きました。
田中看護部長の手腕と魅力に迫ります。
他の人の数歩先へ
田中看護部長は助産師の免許もお持ちということですが、医療の道を目指されたきっかけは何かあったのでしょうか。
田中:助産師を目指したきっかけは、実習の中で赤ちゃんが生まれる場面に立ち会って、とても感動したからです。
そもそも医療の道を志したのは母に「これからは女でも自活できる時代が来るよ」と言われていたことと、看護師をしていた姉が、私の看護学校の受験手続きをしていたからです。
私はもともと美容師になりたかったのですが、看護学校の受験日の前日に突然「受けに行ってください」と言われたのです。
急な話でしたが合格もできたので、まずはそこで准看護師の資格を取得し、定時制高校を卒業、その後に看護学校に通って正看護師免許をとりました。
助産師学校に通われたのはどのくらい経ってからだったのでしょうか。
田中:正看護師として2年間ほど働いた後です。
東北大学の助産師学校に進みました。
キャリアを磨かれるモチベーションはどこから来るのでしょうか。
田中:負けず嫌いだからかもしれません。
勿論、産婦人科の実習で素晴らしい経験をさせて頂いたという理由もありますが、看護師免許だけでは同じ看護師の中に埋れてしまいますので、他の資格も取りたかったのです。
助産師学校をご卒業後はどのように進んでいらしたのでしょうか。
田中:助産師学校在学中に主人と出会い25歳で結婚し29歳までに2人の子供を出産しましました。
パートで助産師をしていましたが、子育てが一段落した39歳で完全社会復帰し、ブランクを取り戻そうとかなり努力しました。
実は、看護師長になった時に管理の仕方がわからず一度挫折を経験したのですが、その翌年からまた一スタッフとして働き始め、いい上司にも恵まれ、看護師長、副看護部長、部長、と進んできました。
必要とされる喜び
管理職になることは最初から決められていたのでしょうか。
田中:今とても充実していて楽しく働いていますが、他の部長さん方と同じく最初は、自分が看護部長になるとは夢にも思っていませんでした。
でも、もう今まで助産師として20年ほど働いてきましたが、管理者としても13年ほど経験を積ませて頂いています。
これまでいくつかの病院で看護部長を務められたご経験がおありですが、どのようなタイミングで病院を移られたのでしょうか。
田中:グループ内での病院間の異動もありましたが、2年スパンで移っています。
何故かというと、最初に与えられた看護部長としてのミッションをその期間で達成するからです。
そして丁度そのタイミングで他の病院の方から「看護部長としてきてくれませんか」とお話を頂くことが続いています。
「必要とされているのならば」と有り難くお話しは受けております。
子どもと人材と花
新しい組織に入られてミッションを達成するまでに、絶対に譲れない、大事にされていることは何かございますか。
田中:子育てです。
子育て中の看護師を大切にする、という事です。
大学病院でない限り、どこの病院に行っても働いている看護師達は子育て中の方ばかりで、当院でも7割が子育て中の方々です。
「仕事のやり直しはできるけど、子育てのやり直しはできない」というのが私のモットーですので、スタッフ達にも「仕事はあとからでもできるから子どもを優先して」と伝えています。
安心感を与えれば子育てと仕事を両立できるから、子供から電話がかかってきても「なんで今電話をしたの」と怒らず、短い時間でもしっかり話を聞いてあげてとも言っています。
お互い支え合い、例えばインフルエンザが流行するような季節にも気持ちよく休ませてあげられる風土が大切です。
そのほかに大切にされていることはございますか。
田中:人材育成と園芸は一緒、という考えです。
水分や栄養をあげ過ぎても、光を与え過ぎてもだめです。
枝が長すぎると下からは新しい芽が伸びません。
どのような花を育てるかは組織や病床によって異なりますが、組織作りにはマメな手入れが必要です。
後編へ続く
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No.107 田中義子様(さくら記念病院)後編「快をもたらす看護」