No.254 宮川病院 宮川政久 理事長・院長 前編:地域医療への回帰と、看護師への期待

インタビュー

川崎市初の病院として1909年に創設された宮川病院

「誠の医療に徹し、地域医療に貢献する」という理念のもと、地域に密着した医療を提供しています。

現理事長・院長の宮川政久先生へのインタビュー前編では、

先生がお考えになる医療のあるべき姿を語っていただきました。

 

代々医師の家系に育って

 

中:本日は宮川病院、理事長・院長の宮川政久先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

 

宮川:よろしくお願いいたします。

 

 

中:まず、先生が医師になろうと思われた動機を教えていただけますか。

 

宮川:祖父、父親と、医師が代々続いている家系に生まれましたので、

物心がついた頃からいずれ医者になるものだと思って育ちました。

 

 

小学校に入学した時に「君は将来なにになる?」という話になると、

大方「僕は陸軍大将、海軍大将」などと言っていた時代です。

そんな中で一人だけ「医者になる」と答えたものですから、

「えらい変わり者だ」などと言われたことを覚えています。

渡米し心臓移植に携わる

 

中:幼少の頃から、医師として働かれるお父様の姿を見てこられたのですね。

では、実際に医師になられた後、どのようなタイミングで病院を継がれたのでしょうか。

海外留学もなさったと伺いましたが。

 

宮川:医学部を卒業後、大学の医局に入り、臨床・研究に従事していましたが、その頃、

アメリカでは心臓血管造影、冠動脈造影、心臓移植等が盛んに行われ始めました。

 

 

日本では未だこの領域は未開発であったため、大変これらの領域に興味を持ち、渡米の機会を得て、

アメリカスタンフォード大学循環器内科にてこれらの勉強をさせて頂いてきました。

 

 

そして2年ほどたったところで偶々父親が体調を崩したこともあり、

日本の中にいて欲しいとの事情で帰国し、大学医局に戻ることになり、父の手伝いをしつつ医局生活を続け、

その後父が他界したため、院長に就任致しました。

 

 

中:そうしますと大学勤務医から病院長へと急に環境が変わられたのですね。

 

宮川:父親が亡くなる前から当院で一部診療を担当しておりました。

環境が突然変わったというわけではありません。

また、大学での研究よりも、どちらかというと

臨床の現場で患者さんの治療に打ち込むほうが性に合っていました。

 

 

「患者さんのために」を貫く

 

中:この地において貴院は長年、地域医療を担ってこられたのだと思います。

それを支えている先生のポリシーがどのようなものなのか、お聞かせください。

 

 

宮川:祖父と父親は慈恵医大出身です。

慈恵の精神は「病気を診ずして病人を診よ」です。

そして私の母校の順天堂は「名医たらずとも良医たれ」を基本としています。

両者の精神は同質で、ともに「患者さんのために」を貫くことです。

 

 

我々がいま当院で行っている医療もそれに基づいています。

大学で行っていた医療をそのまま質を落とさずに地域の人に提供していくこと、

それを当院の一つのポリシーとしています。

 

医師不足の真の原因

 

中:地域医療に関連して、これからのことを少しお尋ねしたいのですが、例えば地域の高齢化が進む一方で

医療の担い手が増えない2025年問題や、医療費の高騰といった問題が指摘されています。

そういった問題に対して先生はどのようにお考えでしょうか。

 

宮川:それらの問題の起点の一つは、医療が分業化され過ぎていることにあると感じます。

我々の時代は内科の医師であればどんな患者でも全部診たものです。

 

 

ところが今は「私は循環器医ですが不整脈専門です。ですから冠動脈疾患は診ません」という時代です。

今まで一人の医師で診られたものが、5人、10人の医師を必要とするようになってきているわけです。

 

 

中:それだけ人手が必要になれば、自ずと医療費も膨らんでしまいます。

 

宮川:これまで日本は主に海外の医療システムを模倣して発展してきましたが、

これからは日本的な「融和」を取り入れていく必要があるように感じます。

医療費にしても、現行の保険制度があと10年もつかどうかわかりません。

アメリカのように「あなたが加入している保険ではこれ以上の治療はできません」という事態が

日本でもいずれ訪れる可能性があります。

 

医療の政治的な側面

 

中:先生は川崎市医師会の会長もお務めされていたので、ご自身のお考えを社会に示し、

問題点を整理して理解を促すようなお立場でもいらっしゃいますね。

 

宮川:医療は、ある意味で政治です。

かつてある政治家が心疾患で手術を受け、

診療報酬上の在院日数上限に達したからとの理由で退院を促された時に

「まだこんな苦しいのに退院させるとは」と怒ったそうですが、そのルールを決めたのは政治家です。

良い医療を行うために必要なことをきちんと理解している政治家を増やすことが、

我々がすべきことだと思います。

 

昭和20年代の医療に回帰する

 

中:やはり自分が医療を受ける立場にならないと、病の苦悩はわからないものですね。

 

宮川:医療の現場は結局のところ、いつの時代も先ほど申しました

「病気を診ずして病人を診よ」「名医たらずとも良医たれ」です。

それが行われていないため、いま申しあげたような不条理なことが起きるのだと思います。

 

 

中:これからさらに在院日数を短くするような政策がとられるのではないかと思います。

今後、医療のかたちはどのように変わっていくとお考えですか。

 

宮川:昭和20年代の医療になるかもしれません。

昭和20年代の医療と言いますのは、往診中心の在宅医療です。

私が子どもの頃、父親は毎日何十件もの往診に出ておりそして重症の方は入院させ、

ただし入院させてもなるべく早く帰すということをしていた様であります。

 

 

このような原点に回帰する感じなのかもしれません。

いま進められている地域医療構想が、患者さん主体に構築されるのなら良いのですが、

コストをどうするかという問題をメインに考えて構築すると、

結果として問題の解決が遠のいてしまうことを危惧します。

 

後編に続く

Interview with Toan & Carlos