No.232 県北医療センター高萩協同病院 近藤匡 院長 前編:高齢者医療と周産期医療を柱に

インタビュー

茨城県最北部の医療圏に位置する県北医療センター高萩協同病院

今春、その病院長に就任された近藤匡先生に、病院の特徴や先生のご経歴をお伺いしました。

茨城県最北部の医療を担う

嶋田:今回は県北医療センター高萩協同病院院長の近藤匡先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

近藤:よろしくお願いします。

嶋田:最初に貴院の特徴を挙げてください。

近藤:当院は茨城県内の一番北にある日立医療圏にあります。

日立医療圏内の比較的規模の大きい病院としては、当院の他に

北茨城市立病院と日立総合病院の計3箇所あります。

かつては当院だけでも急性期の治療を完結させるため、集中治療室や手術室、血管造影室、透析設備などをフルスペックで備えて運営していましたが、

人口の減少と高齢化に対応し、これら他の2院と連携しながら、地域のプライマリーケアを担うような立ち位置に変わりつつあります。

規模としてはベッド数が199、看護師は200人強勤務しています。

当院の柱は二つあります。

一つは周産期医療で、年間約570件の分娩を取り扱っています。

もう一つの柱は高齢者医療で、心血管疾患や消化管疾患などの内科系疾患、

そして整形外科へのニーズが非常に高いことが特徴です。

私自身は消化器外科を専門としてきており、消化器外科も高齢者医療の中で一定の役割を果たしています。

嶋田:ありがとうございます。

先生は消化器外科ご専門とのことですが、どのように専門領域をお決めになったのでしょうか。

急性期から慢性期まで診ることができた時代

近藤:医学部を卒業する時点では、テレビドラマに登場するような救命救急に行きたいと考えました。

しかし医学部長からの「救命救急をするにしても何か専門分野を身につけてからの方が良い」との

アドバイスに従い、まず消化器外科に行くことにしました。

消化器外科に入ってみると、そこにはそれまで気づかなかった奥深さや楽しさがあり、

そのままキャリアを積んでいきました。

嶋田:消化器外科のどのような点に惹かれたのでしょうか。

近藤:今でこそ消化器外科も分業が進み、内視鏡は内視鏡医、造影検査は放射線科が行い、

化学療法や緩和ケアもその領域の専門医が行います。

しかし当時は、初療から内視鏡検査、造影検査、手術、術後管理、化学療法、

そしてターミナルケア的なことまで、全部一貫して一人の医師が担当していました。

入院から退院まで全てです。

結果として、急性期から慢性期まで幅広く患者さんの病態の変化を見ることができ、

やりがいがあり、良い経験にもなりました。

嶋田:先生のご経歴について、より詳しくお伺いしたのですが、

最初に医師になろうとされた頃のことからお聞かせいただけますか。

近藤:埼玉県の秩父市で祖父が歯科医院を開業しており、

子どもの頃「なんだか楽しそうだな」とその様子を見ていました。

小学生ぐらいの時に「大人になったら歯医者さんになる」と言いますと、

祖母が「それなら歯だけじゃなく身体も診られるお医者さんのほうがいい」と言われ

「そうかもしれないな」と思ったのが最初ではないでしょうか。

高校に行ってからはもう少し現実的に考え始めました。

当時から埼玉県は医師不足が深刻な問題になっていて、よくニュースに取り上げられてしました。

その情報に刺激を受けて「やはり医師になり、地域医療に尽くそう」と考えたことを覚えています。

ただ、その後は筑波大に進み、今は茨城の最北部の病院と、埼玉から北へと徐々に離れてきましたが。

剣道部、学園祭、つくば万博の思い出

嶋田:医学部時代に思い出に残るようなエピソードはございますか。

近藤:剣道部の部活動と学園祭が楽しい思い出です。

学園祭では実行委員やその委員長を務め、人集めのために飛び回ったことなどが非常に印象に残っています。

今年の4月から病院長を務め、広報や人集めをしていますが「学生の頃にやっていたこととあんまり変わらないな」という感じもしています。

今でもお付き合いしている医師仲間は、その時にともに苦労した学友や先輩・後輩が多いです。

そのほかには在学中にちょうど、つくば万博が開催され、

会期中にアルバイトをしたことも懐かしい記憶です。

嶋田:大学を卒業されてからは筑波大病院に行かれたのでしょうか。

近藤:筑波大病院で6年間の研修を受けました。

研修終了後、ドイツに2年強留学して肝移植に関係する研究をしまして、帰国後に一時期、

市中病院で臨床医を経た後、大学に戻って教員を務め、胆嚢・胆管領域の臨床・研究・教育に取り組みました。

その後、当院と同じJA茨城厚生連の水戸協同病院に筑波大の教育センターを開設し、

診療科の枠に捉われない総合診療科を中心とする病院システムを構築するという計画が持ち上がり、

そのスターティングメンバーとして参画することになりました。

これは当時、医師臨床研修制度が変更された影響で医師も初期研修医も足りずに

地域医療が維持できない状況に陥ったことに対して、厚生連と筑波大がジョイントで行った対策の一つです。

それ以降も茨城県内にある6ヵ所の厚生連病院で人員をやりくりする状態が続いており、

主に水戸協同病院から応援を出していました。

そして先ごろ当院の先代院長が辞任されるにあたって「今後は病院長を含めて水戸協同病院から応援を」

という話になり、今年4月、私が院長として着任したという次第です。

全職員と個別面接

嶋田:院長に就任され、どのような取り組みを始められましたか。

近藤:まず、職員とコミュニケーションを取りやすくするために院長室のドアを開放し、

アポイントなしでいつでも話しかけていただけるようにしました。

そして全職員との面接を開始しました。

毎朝8時半から1人5分ずつ面接します。

6月にスタートし看護師は概ね全員終了して、今後は看護補助者、検査技師、リハビリスタッフなどへと移っていきます。

なかなか興味深い話を伺えます。

嶋田:院長室のドアを開放されているとのことでしたが、

面接の時間以外にも看護師が訪れることもあるのでしょうか。

近藤:はい。

結構来られます。

「面接で言い残したことがあるので、今いいでしょうか?」と入って来る人もいます。

後編に続く

Photo by Carlos