今回は平塚十全病院の看護部長、林和代様にインタビューをさせて頂きました。
林看護部長の手腕と魅力に迫ります。
看護師を目指されたきっかけを教えていただけますか。
林:高校3年の終盤に父が怪我で入院した時のことです。
初めて看護師を身近に見て
「格好いいな、素敵だな。自分もあのようになれたらいいな」と思ったのがきっかけです。
教員に「看護学校を受けます」と言ったところ
「進路を変えるのにはもう遅すぎるのでは?」と心配されましたが、看護師になりたいという思いが打ち勝ちました。
林:最初に就職したのが循環器系の専門病院でした。
胸痛のため救急車で搬送されてくる患者さんや、心筋梗塞で来院される患者さんを前にして、
私は何もできず、先輩に叱られるなど様々なことがありました。
もう30年も40年も前、
術後の患者さんが収容されるリカバリールームと呼ばれていた回復室に配属された時のことです。
夜間ずっと患者さんを看ているのですが、
ある夜、人工呼吸器を付けた患者さんが無気肺を起こしてしまいました。
医師から「夜間ちゃんと吸引したのか?」と聞かれ、
レントゲンを見せられて「ここにあるだろ」と言われたときは、すごく辛かったです。
しかし、
それが今の私を支えていますし、その時から自分のケアに絶対に責任を持たなくてはいけないと感じました。
この経験の後から、夜勤に入った時には血液ガスのデータを確認し、
レントゲンがオーダーされていたらフィルムを自分で見るようになりました。
失敗を糧として学びながら自分の責任の幅を広げていったということでしょうか。
林:そうです。もちろんその医師に対して最初は反感をもちました。
しかしそのように言われたから自分の技術を磨き、本を開いて学ぶことができてきたのだと考えています。
また昔はよく「吸引の方法ひとつにしても、先輩から技術を盗まなくてはいけない」と言われ、試行錯誤を繰り返していました。
私にとってはそれが看護師を続けていく大きな力となりました。
看護部長になるまでの経緯を教えてください。
林:出身地の福井県で看護師としてしばらく働いた後、
都会に憧れて30歳くらいの時に神奈川県に移住し、県立がんセンターや厚木市立病院に勤めました。
その後、神奈川県の実践教育センターという卒後教育機関に異動になり、
さらに現在の県立精神医療センター、当時は芹香病院という名称でしたが、そこで副看護部長に就きました。
副看護部長として4年間勤め定年退職を迎えた後、当院に当初、教育担当という役職で入職しました。
その後、看護部長となり現在に至ります。
がんセンターに勤めていた時、師長への昇進に際して看護部長が2時間も割いて、
師長の心得を一対一で伝授していただいたことには今でもたいへん感謝しています。
師長という職はそれまでとは全く別な世界であること、
まず半年間は注意深く職場をみることに徹し業務改善の試みなどはしないこと、
その間、自分が何をすべきかよく考えることなど、看護管理に関するありとあらゆることを教えていただきました。
看護観についてお聞かせください。
林:私はナイチンゲールの「その人の病気が進行していても、それは回復過程である」という言葉が大好きです。
だからどんなに患者さんが辛い思いをしていても、患者さんに寄り添っていくべきであり、看護師が患者さんの回復を阻害してはいけないと思っています。
たとえ看取りであっても、その人が安らかに息を引き取るのを阻害してはいけない、そのように思ってきました。
看護部長になられてから苦労したことをお聞かせください。
林:私は考え方がポジティブなので、あまり苦悩は感じないほうです。
何か問題が起きても「後からでなく、今わかってよかったじゃない」と思うようにしています。
その時点から対策を立てて良い方向に持って行けばよいのです。
過去から学ぶことはあっても起きたことは変えられないので、くよくよしてもしょうがないと考えるようにしています。
ポジティプ思考になられたきっかけはありますか。
林:循環器病院やがんセンターなどで、深刻な病気で入院し辛いはずの闘病生活、
化学療法を続けながらも明るく過ごされ頑張っている患者さんに接してきたからではないでしょうか。
決してネガティブな患者さんは頑張っていないというのではありません。
しかし同じ頑張るなら、前向きに考えた方が力を出せるのではないかと思います。
後編へ続く
シンカナース株式会社 代表取締役社長
看護師として勤務していた病院において、人材不足から十分な医療が提供出来なかった原体験を踏まえ「医療の人材不足を解決する」をミッションに、2006年に起業。 現在、病院に対しコンサルティングおよび教育を通じた外国人看護助手派遣事業を展開。25カ国以上の外国人看護助手を育成し、病院へ派遣することで、ミッションを遂行している。 東京都立公衆衛生看護専門学校 看護師 東洋大学 文学部 国文学科 学士 明治大学大学院 グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院 総合社会情報研究科 総合社会文化博士(Ph.D.) ニュージーランド留学 帝京大学医学部附属病院 東十条病院 三井住友銀行 元東京医科歯科大学非常勤講師 元同志社大学嘱託講師 元日本看護連盟幹事 元東京都看護連盟幹事 日本看護連盟政治アカデミー1期生 シンカナース株式会社/代表取締役社長 著書 『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社 『医師の労働時間は 看護業務の「分業化」で削減する』幻冬舎 『外国人看護助手テキストブック』幻冬舎