No. 111 中野 真寿美様(広島市立安佐市民病院) 前編「経験から学んだこと」

インタビュー

今回は広島市立安佐市民病院の副院長、中野真寿美様(看護学博士、皮膚排泄ケア認定看護師)にインタビューをさせて頂きました。

看護部長を兼任されている中野副院長の手腕と魅力に迫ります。

堅実な選択

なぜ看護師を志望しましたか。

中野:看護師になりたい気持ちはありませんでした。小学校の先生に憧れており、女性が職業を持ち働き続けることに興味があり、両親の勧めもあり、看護師を選択しました。

看護学校はどのように選びましたか。

中野:当時は広島市内で限られており、多くの学びが出来ると思い大学付属を選択しました。

学生時代の印象的なエピソードはありますか。

中野当初は看護師に強い興味がなく、一生涯働き続けられるか悩んでいました。小児科病棟の実習で副作用の強い治療を受けていた悪性腫瘍の患児を受け持ち、話を聞くことしか出来ない自分を心待ちにしてくれたことが常に印象に残っています。それが看護師という職業への思いを感じた第一歩でしょうか。

最初の職場である病院はどのように選びましたか。

中野:自宅から近く新しい病院だったため選択しました。

ずっと勤めていましたか。

中野:はい。途中でストーマ療法士の資格を取りに行くため東京に行きました。また2年間ほど広島市立看護専門学校に副校長として出向していました。

いつ病院に戻ってきましたか。

中野: 2009年4月~2011年3月まで学校に勤めていました。行政や管理を学ぶいい機会でした。

経験こそがその後の人生を彩る

新人看護師の頃の苦労や印象に残っていることはありますか。

中野:3年目にストーマの患者さんを受け持ちました。手術により救命しましたが、当時は器具や材料が限られており、大量にストーマから水様便が排泄され管理が難しい状態でした。在宅に戻るためケアに関わりましたが、食べると排泄物がたくさん出る、動くと装具がはがれてしまい、最期はベッド上で亡くなられました。その時にストーマの専門的知識と技術を持つ看護師になりたいと強く思いました。そこから看護師は素晴らしい職業と思い始めました。

その後はどのようにキャリアを積んでいきましたか。

中野:縁があり資格を取る前に結婚しました。子どもを育てながら聖路加のETスクールでストーマ療法士の資格を取得しました。そしてストーマケアに携わりながら、医師と様々な話、特に治療方針について意見交換をしていく中で、力をつけていきたいと思い、大学院に進学しました。また臨床で活用できるように、施設の中で自分自身がリソースになりたいと思い、様々な経験を重ねてきました。

後編へ続く