前編に続き林様に、インドネシアの現状や看護師のイメージをお聞かせいただきました。
経済の成長と、変わらない国民性
中:確かに、日本でも東北の方は粘り強いとか我慢強いというイメージがありますね。
ところで、インドネシアを20年間みてこられて、かなり変化があったなのではないかと思いますが、
いかがでしょうか。
林:はい。
20年前には暴動もあり、その結果、大統領が追いやられるということもありました。
その流動的な時代を経て、今では経済的に豊かになり国民の意識もだいぶ変化していると思います。
ただ、人々の仕事や生活の中でのスピード感はあまり変わっていないようにも感じます。
アジアの他の発展途上国では、経済成長と歩調を合わせて人々も慌ただしく動くように
変わっていると思うのですが、それに比べるとインドネシアの人たちはスピードが速くなっていません。
それがこの国らしいところです。
中:日本から海外勤務で着任した人にとっては、そのスピード感に戸惑うかもしれませんね。
林:私も当初の1、2年はその連続でした。
自分が上司で現地の人を使っているという感覚でしたから、なおさらです。
しかし兄の会社以外に、韓国人や中国人のオーナーの下で働いたりしているうちに、
インドネシア人に対する見方が変わってきました。
「私がインドネシアで働かせてもらっている」と意識が変わり、
そのように考えると新たなやりがいや生きがいが湧いてきました。
その流れの中で妻と出会いました。
かつての日本との共通項
中:そのようなポジティブ志向は林様もともとのご性格ですか。
林:いえ、全く逆です。
私が日本を出たのは40歳の少し手前でしたが、兄の会社を出てからは
「より良く死ぬためにどういうふうに生きようか」と考えるようになりました。
死ぬのであれば楽しく死んで行きたい、そのために生きようと。
そして出会った妻が私と正反対で、根から明るいのです。
ですから彼女を見ていると気が楽になります。
中:奥様はまさにインドネシアの方らしい明るさをお持ちでいらっしゃるのですね。
林:ただ、日本もかつては今よりも明るくて楽しい家庭があふれていたような気がするのです。
それを経済成長とともに失ってしまった。
その失ったものを今この国で取り返しているような気がしています。
「ティダアパアパ」
中:インドネシアの看護師はどうでしょうか。
やはりいつも笑顔で明るい看護師が多いのでしょうか。
林:そうですね。
基本的にそういう姿勢で接してくださいます。
ただ、ちょっと怖い体験をしたこともあります。
入院中に点滴を受けた時のことですが、どうも日本のやり方とは違うようで、
空気の泡がルートに入ったまま点滴をしようとするのです。
空気が血管に入るのではないかと不安になり「大丈夫?」と確認すると、
「Tidak apaapa (ティダアパアパ/大丈夫よ)」と笑顔で答えます。
「大丈夫じゃないよなぁ」と思いましたが結果的に死んでいないので大丈夫だったようです。
しかし怖い思いをしました。
中:たとえ医学的に支障ない程度であっても患者さんが気にするので、
日本であれば空気を取り除くところですね。
そのような習慣の違いはあっても、看護師はやはり明るさや優しさが非常に重要であることから考えますと、
インドネシアの看護師は患者さんに受け入れられやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
林:それはそうですね。
といっても、その時の私は命がかかっていると思い、拙いインドネシア語でいろいろアピールしました。
他言語習得の準備
中:林様はインドネシア語もおできになるのですね。
林:もう20年生活していますから。
ただし妻からは「20年も暮らしていてまだそれくらいなの」と怒られます。
中:最初はどのようにしてインドネシア語を学習されていかれたのでしょうか。
林:まず一つ、インドネシア語は日本人にとって「英語より覚えやすい」という人もいるくらい、
親しみやすい言語です。
男性名詞、女性名詞のような語句もありません。
また、多少あやふやな話し方でも、何とか理解しようとしてくれる国民性でもあります。
そういう意味でも「ティダアパアパ」で学んでいけます。
もう一つは、私は音楽が好きなので2000年頃からにインドネシアの音楽を聴いて、
歌詞を調べて覚えるということはしていました。
「今の日本語」を伝えていきたい
中:やはり全く知らない国で生活を始めるには、渡航前に少しは準備が必要ですね。
貴校の生徒さんの場合はいかがでしょうか。
日本で暮らすことを予定している生徒さんに、日本という国を伝える上で、
何か工夫をされていれば教えてください。
林:彼らはYouTubeなどの映像を通してイメージを得ていることがほとんどだと思います。
日本はアニメが盛んだとか、日本人は優しいとか、
そういったポジティブなイメージを抱いているのではないでしょうか。
私が彼らに注意して追加する情報としては「今の日本はこうだからね」ということです。
彼らが実際に日本に行き働き始めた時に「インドネシアで勉強した時の言葉使いと、
全然違う言い方をしている」と初めて気づいたとしたら困ります。
ですから「教科書にはこう書いてあるけど、日本に行ったらこういうふうに言うかもしれないよ」
「この教科書みたいな言い方は、たぶんもう使わないよ」といった情報を積極的に伝えています。
つまり「使える日本語」を教えることに力を入れています。
中:生徒さんが日本で困らないように、教科書にはない部分をサポートされているということですね。
林:それが日本人である私がすることだと思います。
それがなければ、インドネシアの方でも教えられますから。
私の妻も日本に住んでいましたので、同じようなことを生徒に伝えています。
そのおかけでカリキュラムがかなり脱線してしまうのですが、
それを含めて伝えていかなければいけないと考えています。
中:ありがとうございます。
林様の視点を通じて、インドネシアの方の国民性や、看護師の暖かさなど、
幅広いお話を伺うことができました。
本当にありがとうございました。
インタビュー後記
ジャカルタにて、長年ご活躍されている林さん。
インドネシアの人々へ愛情を持って接していらっしゃる様子が伝わってまいりました。
そうした心遣いが、教科書通りに授業を進めるのではなく、実際に日本で使うかどうか?
ということを考えた授業内容にも繋がっているのだと感じました。
相違点をポジティブに受け止めることで、お互いに理解し合う土壌が出来るのだと確信いたしました。