No.213 社会医療法人社団三思会 野村直樹 理事長 前編:法人全体で地域の医療を支える

インタビュー

神奈川県の厚木市を中心に、急性期病院からクリニック、健診センター、人工透析センター、老健施設など

幅広い医療施設を展開している社会医療法人社団三思会の理事長 野村直樹先生に、

法人の特徴や地域における役割などをお聞かせいただきました。

五つの事業部ですべての医療ニーズに対応

 

中:今回は社会医療法人社団三思会、野村直樹理事長にお話を伺います。

理事長、どうぞよろしくお願いいたします。

野村:よろしくお願いします。

中:まず、貴法人の特徴を挙げてください。

野村:当法人は、今年で創設37周年を迎えます。

大きく五つの事業部からなっており、急性期医療から介護、福祉、健診等、

この地に密着して地域住民の健康と命を守り続けています。

中:五つの事業部の役割について、ご紹介いただけますか。

野村:まず第1事業部は東名厚木病院の運営を担当しています。

同院は282床あり、主に急性期の患者さんを診させていただいています。

第2事業部は、老人保健施設や訪問看護ステーション、あるいは市の委託を受けた

地域包括支援センターや居宅介護支援センターなど、主に介護と福祉を担当しています。

今の言葉で言うところの地域包括支援システムを支える部門です。

第3事業部は健診・予防です。

東名厚木病院に併設している健診センターと、数年前に新横浜にオープンした健診センターの2箇所で、

保健業務を展開しています。

第4事業部は透析部門で、神奈川県内2箇所に透析施設を開設しています。

最後の第5事業部は、東名厚木病院から外来部門を分離するかたちでスタートした、

とうめい厚木クリニックです。

1日約600人の患者さんが受診されます。

消化器外科医時代

中:ありがとうございます。

それでは、先生のご経歴についてお聞かせください。

まず、医学生時代のことをお話しいただけますか。

野村:大学は富山医科薬科大、現在の富山大でした。

テニス部や軽音楽部に入部し、いろいろな体験をさせてもらいました。

いわゆる「ガリ勉」とは正反対です。

中:ご専門領域はどのように決められましたか。

野村:「お腹の中を見て見たい」という素朴な動機から、

医学部進学当初すでに外科系に進もうという目標があり、結局、消化器外科に進みました。

卒業後に大学の関連病院を回り外科医としての経験を積んでいたところ、

卒後2年目に当院に派遣されました。

当院で初めて地域医療を目の当たりにし、そして法人の創設者である中会長に巡り会ったことで、

大学病院とは異なる部分で我々医療者がなすべきことがあることを知りました。

いま振り返りますと、その時すでに「自分はいずれここで働くことになるだろう」と

考えていたように思います。

中:医師人生の非常に早い段階で、将来への道筋を決められたのですね。

野村:ただし、実際に当院に来たのはさらに10年ほど後のことです。

その間は、専門医・指導医資格の取得や、外科系学会の関連業務など多忙な日々を送っていました。

学位を取得したタイミングで大学を離れ、21年前に当院に着任しました。

クリニック開設を主導

中:こちら来られてから理事長になられるまで、どのような過程を歩まれましたか。

野村:当初は外科医として働き、しばらくしてから徐々に経営的な部分にも携わるようになりました。

大きな転換期は、病院から外来部門を分離しクリニックを開設する際に、

その責任者を務めた頃だと思います。

それ以来、「経営」と言うにはややオーバーかもしれませんが、

臨床外科医とともに法人内のシステム作りなどに参画するようになりました。

そして今から1年前に理事長に就任したという流れです。

中:理事長になられ、大切にされている経営方針、あるいはモットーがあれば教えてください。

野村:それは当法人創設者の目指したこととほぼ一致すると思うのですが、

言葉で表すなら「地域医療」です。

三思会は、縁も所縁も全くないこの地で誕生しました。

ただ、ここで地域医療を根付かせるという揺るぎない理念を持っていました。

では、地域医療とは具体的に何かというと、住民の健康を守るための予防・健診に始まり、

疾患発症後の外来診療、必要があれば入院、しかも急性期で受け入れたら回復期・慢性期も診て、

在宅に患者さんが戻っていかれるという医療の流れを指します。

当法人はそれらの機能を担い得る存在を目指してきました。

ですから東名厚木病院という急性期の病院も持ちながら、

在宅医療も法人創設以来ずっと続けているという歴史があります。

法人創設の理念と時代のニーズが一致

中:地域医療は近年になってその重要性が叫ばれるようになりましたが、

それを先取りするようなかたちで展開されてきたのですね。

野村:この厚木という地域は介護保険制度がスタートした当時に「医療福祉連絡会」という

非常に強い連携力を持った会が組織されました。

それが土台になって、最近の地域包括ケアシステムも強力に推進されてきました。

私自身も地域医師会の代表という立場で関わってきています。

これまでの5年間は国や県が中心になって進めてきましたが、

これからいよいよ市町村レベルで完結させるシステムに変えていく段階です。

財源等の新たな課題への対応が求められています。

中:地域における医療の仕組みを組み立てていく作業ですね。

先生もこの土地に歴史を持つ医療法人の理事長というお立場ですから、

果たすべき役割が小さくないのではないでしょうか。

野村:大変おこがましいですが、そういう思いはあります。

先ほどお話しいたしましたように、もともと当法人は

地域医療に貢献することを創設の理念としてきましたので、今こそ活動せざるを得ないという気持ちです。

後編に続く

Interview with Araki & Carlos