No.210 宇都宮記念病院 﨑尾秀彰 院長 前編:街中に新設された急性期病院

インタビュー

北関東の中心都市、宇都宮の市街地に11年前にオープンした宇都宮記念病院は、

地域の疾患特性も考慮した医療を展開しています。

病院長の崎尾秀彰先生に、施設の特徴などをお尋ねしました。

 

オフィスビルのような外観

 

中:今回は宇都宮記念病院病院長の﨑尾秀彰先生にお話を伺います。

先生どうぞよろしくお願いします。

﨑尾:よろしくお願いします。

中:まず貴院の特徴を教えてください。

﨑尾:当院は市街地にあることが大きな特徴かと思います。

ある程度の規模がある病院を新設する場合、通常は郊外に建築しますが、

当院は宇都宮の街中にビルを建てました。

中:確かに外観を見たとき、綺麗なオフィスビルのようなだと思いました。

﨑尾:街中にあることで駐車場のスペースが限られる点はやや弱点ですが、

多くの患者さんにとって非常にメリットがあることだと考えています。

このような環境に11年前にオーブンし、急性期医療を中心に頑張っている病院です。

疾患の地域特性に対応

中:急性期医療の中でも特化している領域はありますか。

﨑尾:栃木県は脳卒中と心筋梗塞による死亡率が高く、男女ともに全国上位に入ります。

我々としてはこの二つの急性疾患を減らしていくことが、一つの大きな目標です。

よって脳神経外科と循環器内科はできる限り24時間365日体制に近づけていきます。

もちろん急性期病院ですから救急全般を受け入れ、小児科と産婦人科以外はほぼ網羅しています。

中:設備面での特徴はございますか。

﨑尾:MRIが2台稼働していますし、血管造影室も循環器科用と脳神経外科用に2部屋用意し、

双方の科がいつでも使える体制です。

200床弱の規模では珍しいのではないでしょうか。

また、今秋にはドクターカー導入の予定もあります。

救急の現場に医師が出向き、その場で治療を開始することでアウトカムの改善が見込まれます。

麻酔科から集中治療、救急医療へ

中:では次に、先生のご経歴に関する質問ですが、医師になろうとされた動機を教えていただけますか。

﨑尾:父親が産婦人科を開業しており、その2代目の医師になろうとしました。

中:では、産婦人科医を目指されていたのですね。

﨑尾:ですが私がまだ医師になる前、医学生だった頃に父親が心筋梗塞で突然亡くなってしまったのです。

私自身は泌尿器に興味があったので、かえって悩みが広がりました。

結局、泌尿器にしても産婦人科にしても外科系ですから、まず麻酔科に進むことに決めました。

実際に麻酔科に入りますと、非常に信頼できる先生に巡り会うことができ、

その先生のもとで知識や技術を習得していきました。

その後、麻酔科領域を基盤に集中治療や救急という部門が確立されていく流れの中で、

私も重症患者さんを治療し、救急医療で命を救うことにやりがいを感じるようになりました。

母親を脳卒中で亡くしたことも関係しているかもしれません。

中:時間を遡りまして、学生時代はどのようにお過ごしになられましたか。

﨑尾:勉強せずに運動に明け暮れていました。

夏は野球、冬はスキー、その他のあいた時間は弓道です。

この3つをやっていれば、だいたい時間は潰れました。

中:お忙しいですね。

今でもスポーツをされるのですか。

﨑尾:スキーは今でもたまにします。

転ぶと起き上がるのがちょっと大変です。

宇都宮の救急医療を支える

中:医学部ご卒業後のご経歴をお聞かせください。

﨑尾:卒後3年は出身の千葉大に在籍しました。

その後、千葉県立がんセンターに7年間勤務し、

そのうち2年間は米国テキサス大学のダラス校に留学しました。

そのうち母親や祖父の具合が悪くなり「地元の栃木に帰ってこい」と呼ばれ、

当時、新設まもない獨協医大の麻酔科に勤めました。

教授が3人いてそれ以外は助教授(現在の准教授)の私だけという職場です。

しばらくして第1期卒業生が1人、麻酔科に入ってきましたが、

夜間の緊急手術も含めて実質的に私がすべて対応するという多忙な日々が続きました。

その後、少しずつ陣容が拡大し、先ほど申しました流れで、集中治療、救急を専門とするようになりました。

今から10年ほど前に獨協医大を退職するタイミングで

「宇都宮の救急医療を充実させるために来てほしい」というお話をいただきました。

当時、宇都宮の救急医療はまだ手薄だったのですね。

私が獨協医大に勤務中にも、15キロも離れた宇都宮から多くの患者さんが緊急搬送されてきて、

その問題を感じていました。

そして当院に着任したという経緯です。

熱中症が増加

中:先生は救急医療が専門領域として成立してきた歴史とともに

研鑽を積まれてきたことになるかと思います。

その間、救急医療で大きくかわったことと言えば、どのようなことでしょうか。

﨑尾:たくさんありますが最も変化したのは熱中症の増加ではないでしょうか。

屋外での熱中症は昔からありましたが、

屋内で老々介護の方や独居の高齢者がエアコンをつけずに体調を崩して搬送される事例が急増しています。

反対に冬場は低体温症です。

夜中にトイレに起きて転んでしまい、

朝になって体温30度以下という危険な状態で運ばれてくる高齢者もいらっしゃいます。

かつて救急医療において高齢患者さんというのは少数でしたが、今はたいへん増えました。

高齢者の救急医療

中:2025年向けてさらに高齢者の割合が増加しますね。

貴院でも急性期だけでなく

地域のニーズにあわせた医療を提供できるような病院としての進化をお考えですか。

﨑尾:当院では既に40〜50か所の老健施設や介護施設と契約しています。

それらの施設に入所されている方が肺炎などになりますと、当院に搬送されてきます。

そして急性期治療後はADLが低下しないようにできるだけ早期に退院いただくようにしています。

今後はこのような高齢者救急が一番重要になるのではないかと思います。

急性期医療における看護師の役割

中:そのように医療環境が変化していく中で、先生は看護師に対してどのようなことを望まれますか。

期待する看護師像があればお聞かせください。

﨑尾:やはり今は医師、看護師、その他のスタッフも含めて多職種で医療を進める時代ですから、

そのチームが円滑に回り患者さん中心の医療を提供しなければなりません。

その役割を看護師に担っていただきたいです。

また当院は今春からDPC病院になりましたので、在院日数を少しずつ短くしていかざるを得ない環境です。

既に現在11〜12日です。

このような環境では、入院から退院まで患者さんが不安や不満を抱かないよう、

看護師にできるだけ丁寧に説明していただけると助かります。

中:急性期病院はどちらも在院日数を短くせざるを得ない状況ですね。

先ほどサブアキュートについてお話しいただきましたが、ポストアキュートはどうでしょう。

貴院から次に紹介する先の病院や施設との連携はどのようにされているのでしょうか。

﨑尾:当院は急性期のみですので、もちろん回復期、リハビリテーション、

慢性期医療をされている医療機関との連携は密にしています。

そうでなければ患者さんが円滑に流れていきませんから。

ただ、その回復期リハビリテーション病院が、なかなか不足しているのが現状だと感じます。

ですからもう少し経過をみて、可能性があれば当院としても

回復期リハビリテーション病院を新設していこうかと、そういう考えをいま持っております。

後編に続く

Interview with Araki & Carlos