No. 43 平野美理香様(東京衛生病院)後編「未来の種をまく」

インタビュー

前回に引き続き、東京衛生病院の平野美理香副院長へのインタビューをお届けいたします。

一人一人に目を配って

看護師の教育面だけでなく、その看護管理の方法も大分進化していますね。

平野:最近「ホメシカ理論」というのが出てきています。

主任さんや師長さんも勉強に行っています。

叱るためには同じくらい認めて、褒めてあげて、その上で注意するという教育方法です。

全員に同じ厳しい指導や甘い指導はできません。

1人1人の性格や、雰囲気に応じて指導方法を変えていかなければいけない。その状況によっても指導方法を変えながら、支えていく。

結果だけでなく、頑張っていることを認めてあげて、それを言語化して伝えてあげることが必要です。

新人看護師が入職する時期が近くなると、師長や主任が一生懸命、新人の傾向を勉強しています。

20代前半の子達を知るためにはどのような事に取り組まれていらっしゃいますか。

平野:新人の集合研修のときに後ろで少し様子をうかがったりしています。

どうして遅刻してくるのか、どうして眠そうな顔をしているのか、きっと理由があるはずですから、面談の時に「何時に寝ているの?」とか「お食事は食べてる?」という話をしたりもしますし、体重が減少してしまう人もいることがわかったので今年は管理栄養士による栄養相談も新人研修のプログラムに入れました。

本当はそこまでプライベートに関わらなくてもいいのかもしれませんが、大変な時期を乗り越えて欲しいと願っているので新人教育担当師長とフォローしています。

もう一歩踏み込んで、対応を考えていく事は管理にとって非常に大変な事だと思います。

平野:新人看護師のストレスの原因になっている課題を減らしすぎると本人に「他の人から遅れていく」「できないと思われる」という危機感が出て来てしまうジレンマがあるようです。

自信をなくさせないようにバランスを取りながら調整していく事が必要だと思っています。

2年目になるとしっかりしてきますから、学生から社会人になる1年目のギャップをどうやって埋められるかが鍵です。

毎回師長会ではこの1年間をどう支えていくかについてよく話し合っています。

以前、「部長、成績優秀な子はいりません。」と面白いことを言った師長がいました。

「とにかく挨拶ができて、ごはんをしっかり食べられて、毎日出てくる看護師、この3つでいいです」と。そんなのでいいの?と思ったのですが、それも大切なポイントだと最近思っています。

しっかりごはんを食べていれば力もありますし、挨拶ができて、勤務に出てくれば指導を受けることができますし、進みが少しゆっくりな看護師でも、1年後にはすごく成長しています。

「自分の生活を整えられる」それができるのが看護師の大事な要素の一つだと思います。

看護はまず自分が元気でないとできないですからね。

それができて初めて病室でいい働きができると思います。

管理自体が看護を引っ張っていくというか、スタッフ自体の成長をきちんと支えながら引っ張っていく。

平野:3、4年目になるとキャリアを考える時期でもありますので、時間が許す限り私もキャリアの面接にも入ります。

希望する分野の話があれば、異動したり、研修の案内などサポートができますから。

実際に同じような道を歩んでいる先輩と話してもらう機会を作ったり、いろんなモデルケースを見て、自分の中での目標を作ってもらっています。

人それぞれでキャリア、目標も違うと思うのですが、看護部の方でサポートをするようになっているのですね。

様々な人や経験に支えられて部長へ

部長は神戸の方で勤務されてから、そのあとはどのように?

平野:神戸で7年間働いて、東京で2年間新生児室に入りました。

その後は一時京都の実家に帰り、他院のNICUで働き、1年間は主任をしていました。

そのNICUのナースはNICU出身者が多かったのですが、責任者には今までいろんな経験をした人がいい、という事でその役割を与えられた形です。

産科の師長さんは別にいらしたのですが、NICUの中の責任は私が持たせてもらっていましたので、今までの経験が役立っているのをよく感じました。

その時の看護部長さんが、新米の主任である私に「帰りは必ず私の部屋に寄りなさい」って言って下さっていたので、行って、NICUのことを報告する傍ら看護部長の仕事を見ていました。

今、部長になってみてふとした時にその看護部長の行動を思い出したりしますね。

部長にはどう言った経緯でなられたのですか?

平野:結婚後、横浜に越して来てからは、家の裏に衛生病院系列の特別養護老人ホームがあったのでパートをしていました。

産科や新生児の経験はありましたが、そこは未知の世界でしたね。

丁度、介護保険制度が開始された時期でしたので、ケアマネージャーの資格を翌年に取って常勤として始めました。

そこがまた新たな私のステップの一つですね。

看護師とケアマネジャーを兼務していたので、介護職と一緒にケアプランを作成していました。

介護職に総合的に利用者のQOLを保つにはどうしたらいいのかというのを理解してもらうのに苦労しました。

調整力をそこで身につけたように思います。

2006年に介護報酬改定で、「看取り介護加算」が創設され、特養でも看取りが増えて来たころに、もう少し勉強するために筑波大学の社会人向け大学院に入学しました。

そこで高齢者の終末期ケアの研究をしました。

その頃はどの施設も終末期について勉強をしたい、と研修会の講師を探しているような時代でしたので、いくつかの施設に行って、私達の看取りのマニュアルや看取りについてのお話をさせてもらっていました。

この看取り研究をライフワークにしようと思っていたのですが、突然系列である東京衛生病院の方に看護部長として呼ばれました。

当初私は病院から離れていたので、とんでもないと思ったのですが、高齢者の終末期を知るためには、病院を見てくるのも良いのではないか、という大学院の教授からの後押しもあり、8年前に今の職場に入りました。

大学院に行かれた、介護の方に進まれたことがまた、今のお仕事に繋がっている事はありますか。

平野:病院に来てから地域包括ケア病床の立ち上げや、認知症への対応もありましたので、大学院での学びや施設に関する知識は、間違いなく今の私の支えになっています。

始めは病院にいたら私のやりたいことができないのではないかと思っていましたが、病院の看護部長という立場にいるからこそ、地域の人からの人生の最期のあり方についての講演を頼まれたりもしますし、施設で働いていたからできる話もあります。

これをやろうと決められていても、他から声がかかれば必ず、一度考えられたり、周りの方に相談されたりされていますよね。

それでも結果的には全てがご自分のプラスになっていますよね。

平野:本当に、無駄な経験は一つもなかったです。

私はどちらかというと、自分でこういきたいって進んできたタイプではないので、選択が迫られたときに、勧めてくださる方、求められる方を選んできました。

何か選ばなければならない時、振り返って見て、この前もうまくいったのだから、じゃあ次もそちらを選んでみようと。

とてもよいロールモデルの看護師や先生に出会えましたし、私の肩を押してくれる人たちがたくさんいたんですね。

未来の種をまく

平野:私はラッキーなことに、小さいときの体験が、看護師になりたいという強い動機になっていますが、そうではない看護師もたくさんいらっしゃると思います。

やりたいことはあったけど、いろんな事情で看護を選んだ方もいるのでないでしょうか。

でも選んだからには、必ず備えられている道があるはずなので自信を持って輝いてほしいです。

私が小さい頃に体験したような思いを他の人にも体験させてあげて、1人でも多く医療を志して欲しいと思うので、病院の“健康祭”や近くの小学校のバザーで、子どもたちにナースのユニフォームを着て貰ったり、聴診器で心臓の音を聴いて貰ったりしています。

私も小さい頃、退院する際にナースキャップを被せて貰ってすごく嬉しかった思い出があるんです。

病院以外の仕事ですが、これも看護部長としての自分の役割だと思って将来の種まきをしています。

将来に向けても、看護師を目指してくれる人が増えてくれるように、種まき活動をされてらっしゃるのですね。

コメディカルは皆チーム

看護補助者の方に話を移させていただきます。今こちらには看護補助者はいらっしゃいますか?

平野:40人くらいで、各病棟に4〜6人くらい配属されて居ます。

当院はもともと看護補助者をナースアシスタントという名称で呼び、配置をしています。

急性期看護補助加算も申請しています。

看護師が看護に専念できるようにということで、看護補助者だけではなくて色々なコメディカルにもご協力いただいて居ます。

検査技師、薬剤師、栄養士も病棟まで来てもらい、配膳を手伝って貰いますし、なかなか珍しいと思うのですが朝の採血は全部病棟の検査技師が回ってくれています。

珍しいですね。

看護師が看護に専念できるというところは非常に重要なことだと思います。

看護補助者が現場に入ることによって変化があったのはどのような部分でしょうか。

平野:排泄やおむつ交換などの身の回りのお世話も協力してもらっています。

その分看護師がベッドサイドで患者さんと触れる機会が増えています。

実際はそれでもなかなか患者さんの側にいることは難しいのですが、看護補助者がいなければ一人一人の受持ち患者の業務量が増えていると思います。

看護補助者に一番期待するのは感染の環境整備ですね。

ごみの捨て方から、ユーティリティの洗浄といったものは、看護師よりも誇りを持ってやってくれています。

看護補助者の勉強会は主に感染を中心に人それぞれで違いがないか確認をしながら、感染の認定看護師が中心となって行なっています。

その時に彼らからも色々な思いが出てくるので、話をくみ取ったりしています。

同じ医療のチームの一員として、本当になくてはならない役割です。

患者さんやご家族をケアするためのチームの一員という位置付けなのですね。

88周年を迎えた病院の特徴と取り組み

病院についてお伺いさせて頂いても宜しいでしょうか。

平野:東京衛生病院は、今年で88周年を迎えます。

開設の当時からキリストの心ということで、私たちは「こころとからだのいやしのために、キリストの心でひとりひとりに仕えます」というこの理念を大切にしてきました。

聖書の中にはイエスキリストが一人一人に対して丁寧に対応されたということが書かれていて、私たちも「キリストに倣う看護」を目指して患者さんや家族が、本当に大切にされていると感じられるケアをできる看護師を育てたいと思っています。

知識や技術ももちろん必要ですけれども、そのような温かい看護ができる看護師たちが多く働いてくれることを希望しています。

また、衛生病院は地域に根差した医療を目指して、年間1700件前後の出産から、2次救急医療、小児科、内科、外科、整形外科、緩和ケア病棟での看取りまで対応しています。

地域の方々のそれぞれのニーズに応じてキリストの心で仕えていきたいと頑張っています。

ぜひ見学に来られたい方は来ていただきたいと思います。

病院の取り組みについてお伺いさせて下さい。

平野:キリストの心とも通じる部分がありますが、相手の心を開くには接遇が非常に大切です。

看護部の目標にも取り入れていますので、管理職含め皆で笑顔を作る練習や、新人研修では患者さんに圧を与えない、癒されるメイクの研修も受けて貰っています。

姿勢正しく、安全もきちんと管理できていて、そして、話かけたくなるような、受け入れてもらえるような看護師を目指したいと思っています。

一人でもそういう看護師がいると、患者さんたちはきっと安心してくれるでしょうから。

シンカナース編集長インタビュー後記

新人の中には、希望通りの配属先でないと退職まで考えるという話を聞くことがあります。

そんな時、平野副院長にしていただいたお話は大変参考になると感じます。

最初は希望通りではないことにショックを受けたとしても、それを受け入れ、乗り越えた先にまた新たな気付きや看護師としての成長があるということ。

ただ、新人時代は視野もそれほど広く持てないというのも事実。

一方で患者さんの立場になって考えてみれば、希望して病気になった人などいない。

不本意で病に向き合っている方が多い病院という環境で、自分の希望だけは通したいという感情自体に疑問を持つことも、看護師としては必要ではないかと平野副院長のお話を伺いながら、改めて感じました。

平野副院長は、一緒のお部屋に居るだけで、穏やかな感情になれるくらい、柔らかな日差しのような方です。

リーダーとして、看護師としての使命感もお持ちでいながら、このように穏やかでいらっしゃれるのは、素敵なことだと学ばせていただきました。

平野副院長、この度は貴重なお話をいただき、誠にありがとうございました。

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