No.141 竹内明日子様(彩都リハビリテーション病院)前編「人との関わりの中で、自信や決意が芽生えた」

インタビュー

今回は彩都リハビリテーション病院の看護部長、竹内明日子様にインタビューをさせて頂きました。

竹内看護部長の手腕と魅力に迫ります。

一生懸命誰かのために行なうことが、喜びになって返ってくる

看護師になったきっかけについて教えてください。

竹内:中学生の頃に父から勧められたことがきっかけで、私は衛生看護科のある高校に進学し、1時間半から2時間かけて通学しました。

進学後、その高校の先生方が、看護師を目指す私たちに「社会に貢献する志を持った素晴らしい人たちである」、「心優しき素敵な女性である」など、沢山褒めてくださいました。

褒められた印象が強く、高校3年間で看護師になると確信しました。さらに進学して、国家資格を取得しました。

実習での印象に残るエピソードはありますか。

竹内:初めての受け持ち患者さんが69歳の女性の方で、大腿骨骨頭の骨折で入院されており、4週間程、関わらせていただきました。

私が特別何かをした記憶はありませんが、その方はずっと私のことを覚えてくださり、

その後も学校にお手紙をくださったことが印象に残っています。

自分が誰かのために一生懸命行なったことが、喜びになって返ってくることをその時実感しました。

衛生看護科を卒業されてからの経緯を教えてください。

竹内:できる限り、最先端の学びなど様々な学びを深めたいという思いと、大学病院に勤務することを希望していたので、大学付属の専門学校に進学しました。

他の看護学校と違い、大学の医学生と、法医学実習や、課外活動、クラブ活動、学園祭などを一緒に行ないました。

法医学教室があり、解剖学も患者さんからご献体いただき、実際に医師と実習も行いました。学ぶ環境として、医師の近くで、より医学的に学べたことが良かったと思います。

その後、付属の大学病院に就職しました。

看護師として生と死について向き合う

新人看護師として苦労したことは何ですか。

竹内:「3年ぐらいは苦労してでもいろんな、看護の知識や技術を学んでおいた方が良い」と先輩からの助言を受けました。そして、看護学校の校長がその附属病院の胸部外科の教授でしたので、胸部外科を志望しました。

命ととても向き合う職場でしたので、その瞬間に患者さんから現れるサインを見逃さず観察することに苦労しました。

医師の方からも様々なアドバイスを頂き、学習をしました。

厳しいお言葉をもらうこともありましたが、3年間努力して、自信や決意ができたかと思います。

胸部外科に通算5年程勤務していました。

その後の経緯を教えてください。

竹内:当時は大学病院も、現在のように高度医療を提供するという病院の機能分化は行なわれていませんでした。

つまり同じ胸部外科の病棟の中に緩和ケアや、肺癌や胸部に関する癌患者さんの末期の方も多く混在し、片方では命を助け、もう片方では緩和的に終末期の緩和ケアを行っていました。

中堅看護師となった頃、生死に向き合う時間が非常に多く、忙しさも重なってバーンアウトし、何がしたいのか悩んでいました。

高校から看護師一筋でしたので、看護師とは何だろうと考えた時に一旦退職し、全く看護師とは関係のない旅行会社のカウンターの仕事を、期間を決めて1年ほど行いました。

その1年間は楽しく、医療者以外の友人もでき、同世代の様々な考え方を知り、とても新鮮に感じられました。

その後は結婚なども控えていましたので、できる限り夜勤のない職場を探して、13年程企業看護師として、健康診断、健康教室、託児事業の育児相談などに携わりました。

13年経験した後はどうされましたか。

竹内:家庭に入りまして、出産後、家庭と仕事を両立し、39歳の時に病院の整形外科病棟に復帰しました。

「10年経てば医学はかなり進歩する」と言いますが、実際に感染対応や電子カルテなどかなり変化していた印象があります。

復帰して3日ほどで本気で挫折しようかと思いましたが、新人の人たちと一緒に春の研修を受けていました。

思い起こしながら、今との違いを認識し、1年間ほど経験させていただきました。

看護の仕事自体が普遍的で、患者さんに対する姿勢や対応のケア内容もケアの方法論の変化は多少ありますが、根本は同じなので2年ほどで元に戻れたと思います。

整形外科病棟では何年間勤務されましたか。

竹内:整形外科病棟は1、2年ほど勤務していました。

関連病院が、回復期病棟を立ち上げるということで、その整形外科病棟が回復期病棟になりました。

回復期病棟の立ち上げから3、4年ほど勤務し、その病院には5年ほど在籍しました。

新しく回復期だけの病院が新設されるという話を聞き、当病院に参りました。

「相手の立場から発想する」

師長として入職されたのですか。

竹内:開設時の平成22年4月に、当院に病棟師長として入職しました。

臨床現場復帰して5年の間は、特に管理者ではありませんでしたが、13年間保健事業の仕事をしている時に管理者を勤めていましたので、その経験を考慮していただきました。

師長になり、大変だったことは何ですか。

竹内:スタッフ調整です。

病棟には、多くの職員がおり、当病院では多職種協働で、病棟の中にリハビリに関する職種も多く勤務していました。

様々な考え方の人たちが集まる中で、人間関係の調整など、相手を理解するところから始めないといけないので、とても大変だった印象があります。

どのように多職種協働の理解に努めましたか。

竹内:当院の理念、基本方針の中に「相手の立場から発想する」という文言があります。

私も看護職ですが、同じ医療を志す人として、共通の部分も多くあるかと思います。

しかし皆さんそれぞれ専門性に特化されていますので、相手の専門性を理解し、それから患者さんにどう活かさせるのかを考えました。

後編へ続く