今回はJCHO星ヶ丘医療センターの看護部長、谷岡美佐枝様にインタビューをさせて頂きました。
谷岡看護部長の手腕と魅力に迫ります。
患者さんに関心を向けている看護師でありたい
看護師になろうと思った理由について教えていただけますでしょうか。
谷岡:アスリートの道も考えて、体育系に進みたいと思っていました。
しかし、自分の生涯を考えたときに、最後まで全うできるか、豊かにできるのか、と疑問をもちました。その点看護の道は、自分が年齢を重ねても、納得のいく人生を送ることができるかもしれないと思いました。
母親や親戚が医療従事者でしたので、生の情報を聞けたことは、自分の中で影響が大きかったです。そして医療の世界に飛び込みたいと思いました。
看護学校で、何か印象に残るようなエピソードはございますか。
谷岡:ご家族の方も含めて、患者さんの苦しみや悲しみを傾聴することで、「あなたがいてくれることで、気持ちが楽になった」と、感謝の言葉をいただけたことが嬉しかったです。
私は、自分のことを語るよりも、人の話を聴くことのほうが好きでしたので、自分は看護師に向いているのではないかと思いました。
患者さんにそういうふうに声をかけられると、励みになりますよね。
谷岡:忘れられないエピソードですし、実際に看護の道へ入ってからも、「常に患者さんに関心を向けている看護師でありたい」という信念をもっていました。
そのため、どのようにすれば、患者さんの真実の想いを引き出せるかという学習を一番深く行なってきたと思います。
心の距離の難しさと喜び
どのように病院を選ばれたのでしょうか。
谷岡:JCHO大阪病院(以前は大阪厚生病院)の看護学校出身ですので、実習はすべて大阪病院で行っていましたので、入職するのが当たり前だと思っていました。
職場環境としても自分の目標に合っていたので、迷うことなくずっと学校から大阪病院でした。
そのため2年前、私にとって人生で初めての異動を経験することとなりました。
最初は何科に配属されましたか。
谷岡:希望通りの内科に配属されました。
当時から患者さんとゆっくり向き合える看護がしたいと思っておりましたので、内科病棟を選びました。
聴く事を心がけることで、何か悩みだったり、何か大変だったりしたことはありますか。
谷岡:自分の想像以上に、患者さんは苦しみや、辛い想いをしておられます。そのような中でも、希望を失いたくないという思いに対して、どのように支えていけばよいのか悩みました。
患者さんは、真実の想いを開示してもらえるときもありますが、閉ざされているときもあり、その時はどうしたらいいかわからなくなりました。そのときは、周りのスタッフに相談しながら、支えようと努めました。
当時は若かったので、自分に向いてもらいたいという気持ちがありました。しかし、ある程度の距離を置く意味について学ばせていただきました。
患者さんは、今は関わらないでほしい段階でも、突然、開示してくださることがあり、その瞬間が嬉しかったですが、患者さんやご家族と共に考え、歩むことの大切さを痛感しました。
このようなときは、「自分の看護はどうだったのだろう?」と振り返りながら、内省し次なる課題を考えることが必要であることがわかりました。
回復することの素晴らしさ
内科は何年ぐらいいらっしゃったのですか。
谷岡:7年いた後、外科に移りました。
一から外科を経験して、回復が素晴らしいことがわかり、外科は外科の面白さがありました。
外科には何年ぐらいいらしたのですか。
谷岡:前の病院の方針により、救急とICUを開設することになり、ICUで10年ほど勤務しました。
そこでクリティカルケアに目覚めました。患者さんの状態を、いかに臨床推論を駆使しながら迅速に発見し、そこを捉えて、悪くならないように阻止していくかを、頭をフル回転させて、五感を使いながら行なっていく面白さがありました。そののち、看護師長に昇格しました。
後編に続く