No. 72 稲村 睦子様(富山県立中央病院)前編「勤続38年を支えたもの」

インタビュー

今回は富山県立中央病院の稲村 睦子副院長にインタビューさせて頂きました。

副院長・看護部長、さらに入退院支援センター長として組織をまとめていらっしゃる稲村副院長の手腕に迫ります。

養護学校の先生から看護師へ

早速ですが、看護師を目指されたきっかけを教えていただけますか。

稲村:実は、高校卒業の時までは看護師になろうとは思っていなかったのです。

本当は、高校卒業と同時に養護学校の教師になるべく大学に進学したかったのですが、当時はまだ地元を離れにくいような風習もあり、父に富山にいてほしいともいわれ、結果的に大学にも受かりませんでした。

そんな時に、1人の友人が看護学校を受験するのを知り「看護師という道もあるのか」と気づかされたのです。

もともと福祉に関心があり養護学校の先生を目指していたので、看護師になるというのも共通点がありましたし、資格を取って手に職を付けるというのも良いことに思えましたので、富山県立総合衛生学院に進学しました。

看護学校に進学されてからは、養護学校の先生になるという道はあきらめられたのでしょうか。

稲村:やっぱり、養護学校に通う子どもたちを愛しいという気持ちがありましたので、ボランティアでたまに見に行ったりしていました。

しかし、看護学校に進学した時点から「自分は看護師になる」と思い定めていましたので、もう一度養護学校の先生を目指そうなどと迷うことはなかったです。

看護実習は、やはりこちらの病院でされたのですか。

稲村:そうですね、富山県立総合衛生学院は当院の付属ではありませんが、当時から準付属のような感じでしたので、全ての看護実習を当院で行いました。

私たちの時代の看護教育は、今の看護課程とは少し違いまして、実習をとても重視していました。

卒業するまでの3年間、実習はとても楽しかったです。

実習中にいろんな患者さんを受け持たせていただき、患者さんと関わっていく過程を通して、指導係りの看護師さんや先輩看護師さんたちから、多くのことを学びました。

3人の子どもを育てながら

看護学校を卒業されてからは、すぐにこちらの病院に入職されたのでしょうか。

稲村:はい、かれこれ38年になります。

同期も4人ほど残っていて、「最後まで、私と一緒に頑張ってね」とよく言いますが、この年齢や立場になると求められるものも高いので、皆なかなか大変です。

勤続38年とは長いですね。その間ご苦労されたことも多かったのではないでしょうか。

稲村:そうですね、まだ夜勤している同期もいますけど、私も20数年夜勤をしながらやってきました。

家族が夜中寝ているところを、そうっと抜き足差し足で出て来るというのが、常でした。

富山は、冬になると雪も降るので、夜中に雪をかき分けながら病院まで来るということもよくありました。

「白百合会」という看護師の会があるのですが、今度38年間看護師の仕事を続ける上で、家庭との両立をどのように図ってきたのか、失敗談を含めて話す予定になっています。

それこそヒヤリハットを何度も経験していますが、周りに助けられてここまでやってこられました。

失敗を繰り返しながらも「だけど、ここまでやってきたよ」という私の姿勢がみんなの励ましになり、私の経験を聞いて、いま悩みにぶつかっている1~3年目くらいの看護師たちが、少しでも元気になってくれればいいなと思います。

これまでお仕事をやめようと思われたことはなかったのでしょうか。

稲村:それはあります、手術室に移動するように言われたときです。

その前までずっと病棟勤務で、手術室となるとまた0からのスタートになってしまうということ、ちょうど1人目の子どもの育産休明けの時だったので「いま新しいことをするのは無理、できない」と考えて、辞めようかどうか迷いました。

普段から迷ったときには、父親のところに行って確認してもらうのですが、父親に相談したところ「やめるのはいつでも辞められるからやってみれば」というアドバイスをくれまして、こうして今まで続けることができました。

その後も、地元で働く誘いもあり、迷いました。

いまも心に残る看護

これまで、どのような診療科を経験してこられたのでしょうか。

稲村:最初は、救命救急センターという集中治療をする部署に配属になり、2年半いました。

当時、救命センターの集中治療室はできたばかりで、そこに私を含め新採が4人程配属になりましたが、4年目くらいの先輩看護師がバリバリ仕事をしていて「すごい人たちだなあ」と感じたのを覚えています。

救命センターには50人ぐらいのスタッフがいて、急患が重症室に入院されたり手術後の患者さんが入室されると、スタッフが全員そこに集まって、とにかくみんなで助け合って処置をしました。

そのあと外科病棟に移動になりましたが、救急センターでの経験があったので、患者さんの急変、急な出血や夜中の緊急手術などにも対応することができました。

また、外科病棟では終末期の患者さんをお世話する機会も多かったと思います。

結婚・出産されてからは、どのような部署でご活躍されたのでしょうか。

稲村:手術室に1年半程勤務し、外来、婦人科病棟、泌尿器病棟、血液内科、緩和ケア病棟を経て、41歳で師長になりました。

結婚後子どもを3人産み、その間、いろいろな診療科を経験し多くの事を学んだことで、自分の引き出しが増えました。

いろいろな診療科を経験された中で、忘れがたいエピソードなどはありますか。

稲村:やっぱりがんの患者さんのケアは、辛いというか、十分にしてあげられただろうか、という思いがあります。

また、血液内科病棟に5年いましたが、辛い治療を受ける患者さんとの関わりは本当に忘れ難く、数人の患者さんのことは今でも私の心の中に残っています。

さまざまな人に支えられて

心から患者さんを気遣ってこられたのですね。

長年、看護という仕事を続けるうえで、原動力となってきたものは何ですか。

稲村:そうですね、一つには失敗したときに「まだ大丈夫」と言ってくれる先輩たちがいてくださったので、困難な状況を乗り越えてこられたと思います。

例えば、外科病棟の時の師長さんは、ものすごく厳しい方で、常にナースステーションの机に座って全体の様子を見ていて、使用した薬の数の集計が合わないとの連絡が薬局からあると、ものすごい剣幕で怒られました。

しかし、当時の同僚と振り返って話すことがあるのですが、当時の師長さんの厳しい態度から「他部門のところに関わることは、やっぱり特にきちんとしなければいけないということ」を教わったと思います。

つまり、ピシッとした師長さんがそこに座っているだけで、スタッフみんなが凛として働くことができて、いろんなことを教えてくれてカバーしてくれていたのでしょう。

他にも看護のお仕事を支えてきたものは何かありますか。

稲村:患者さんからの何気ない言葉が励ましとなってきました。

血液内科病棟にいた時に、患者さんからよく「待っていたよ」と言われるので、何を待っていたのか尋ねると、「あなたが来ると、必ず受け持ちしてくれた日に一つ自分の足しになることを言ってくれる、こうしたらいいとか言ってくれるからいい」と言われたことがあります。

患者さんからのこのような褒め言葉は、とても有り難くて、こうした言葉がきっかけで自分の看護に自身が持てたりもしました。

自分が受け持ちになったことで、その患者さんに1つでも2つでもよかったと思ってもらえると、自分もまた褒められます。

ですから、ときどき看護師たちに「2、3日仕事空けたら、患者さんに『待っとったよ』って言われないですか」とたずねて、患者さんからのメッセージに気づかせてあげることもあります。

今でもラウンドをして、患者さんと結構気軽に冗談を交えながらしゃべります。

患者さんとの関わりが原動力になっているのですね。現場の看護師さんとのコミュニケーションで心がけておられることはありますか。

稲村:難しい言葉ばかり使うのではなく、看護師とは、分かりやすい言葉で話すように心がけています。

もちろん厳しい話をするときは、自分でも凛として言葉を選んで話しますが、ナースステーションに看護師の様子を見に行くときなどは、なるべく冗談や例えを交えて話しています。

では、ドクターとのコミュニケーションで心がけておられることはありますか。

稲村:やはり看護師というのは患者さんに365日寄り添っていますので、この患者さんのことを分かっているのは自分たちしかいないという点で、プライドを持ってほしいと思っています。

ですから、看護師は医療や治療の知識は医師に比べるとレベルは低いのですが、患者さん目線の考えを大切にして、プライドを持って医師と会話するように言っています。

私自身、血液内科にいた時に、もう時間のない患者さんに抗がん剤治療をする医師に「何故それが必要なのですか」とストレートに聞いたことがあります。

そして、ある先生に「先生が、患者さんの治療をあきらめきれないのか」と聞くと「そうだ」との答えが返ってきた時は、私の気持ちの方がスーッとして、医師にもそれぞれの考えややり方があり、何が正しいということはなく、教科書があるわけでもないということがよく分かりました。

今は、あまり語らなかったりしゃべらなかったり、自分の意見を言わない世の中になっていますが、私はこうして医師と会話をして、気持ちを分かりあってこそ、看護師として医師の治療方針に沿う看護が提供できると思うのです。

ドクターとナースがお互いの考えを尊重する、ということでしょうか。

稲村:そうです、この仕事をしていく上で、医師と看護師のコミュニケーションはすごく大切で、特に「看護師の勘」も大変貴重だと思っています。

例えば、患者さんの状態が悪く心配な時、「血圧がこうだから・・・」という報告をするのはもちろんですが、「このまま夜迎えるの、なんとなくすごく心配なのです。昨日と様子が違うし、何かがあるかもしれない…」といった看護師の勘をそのまま医師にぶつけることも悪くないと思います。そうすると、医師は、夜でも来てくれたり、医師が判断する患者の状況を説明してくれたりします。

以前、医療安全管理者として転倒スコアを作成したことがありますが、私はその中に「転びそうだなと思う看護師の勘」を入れました。

実際、当院では、何か事が起きた時に「事例検討をします」と言うと、医師も参加してくださいますし、「看護師が横にいることで、いろんなことを看護師から聞ける」とか「素直に自分たちが思うこと、患者さんを見て思うことを言えばいいんだよ」などと言ってくださる医師もいます。

歴代の院長先生も看護部を高く評価して「看護部あってこそ」と言ってくださいますので、ぜひ期待に応えたいと思います。

後編に続く

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