No. 67 都築 智美様 (大同病院) 前編:原点は歴代の看護部長

インタビュー

今回は大同病院の都築智美看護部長にインタビューさせて頂きました。

都築看護部長の手腕に迫ります。

漠然とした想像から看護師の道へ

看護師になろうと思った理由を教えて頂けますか。

都築:中学生の時に、発展途上国で行われている海外支援の映像をテレビで見て、いつか医療の現場で働けたらいいなという漠然とした思いが出てきました。

進路を決める時に、医療の中で一番身近に感じたのが看護師だったので自然に目指すことになったのだと思います。

高校へ入学するまでには進路を決められていたのでしょうか。

都築:中学生の頃から看護学校をいくつか見学していました。

思いついたらやらないと気がすまない性格のため、高等学校の衛生看護科に入って看護師になろうと思い、通学圏内の学校があったためそちらへ入学しました。

そのため、高校生の時から看護学を勉強し病院実習にも出ていました。

高校を卒業と同時に准看護師の免許を取得し、その後専門学校へ入学するというコースでした。

専門学校はどのように決められたのでしょうか。

都築:自宅から通うという選択肢は考えておらず、早く実家を出て自分で生活をしたいという気持ちがありました。

しかし自宅のある岐阜県からすごく遠い所に行く勇気はなく、身近な名古屋周辺のエリアで学校を探しました。

そして大同病院付属の専門学校へ入学しました。

両親の心配もあったため寮に入り、大同病院に勤務しながら専門学校へ通う生活をしていました。

現場で看護ができる楽しさ

仕事と学生生活を両立されることは大変だったと思いますがどのように乗り越えられたのでしょうか。

都築:当時は三交代だったため、例えば夜勤の日は午前中に仮眠し、午後に学校で勉強をしてから夜勤へ行く、深夜勤を終え帰宅後は2時間程度の仮眠をして午後から学校へ行くというような生活をしていました。

そのため働きながらの苦学生という感じでしたが、昔はそのような学生がたくさんいたため、疑問も持たず生活をしていました。

そして未熟ながらも、現場に立ち看護ができる自分がいることへの満足感もあったため、楽しいと思う気持ちが強くありました。

家族のように温かい病院

大同病院で勤務された際に何か印象に残るような出来事はございましたか。

都築:当時の看護部長さんや人事の方々がすごく優しかったことが印象的でした。

私自身、親になってみて振り返ると、子どもの職場には不安や心配がありますが、「安心してお預けください」と私の両親にも伝えてくださったため、とても温かい病院だと感じました。

病院の雰囲気はどのように感じられましたか。

都築:当時はここまでの病床数や機能はありませんでしたが、年配の看護師から新人看護師、九州などの地方から出てきた看護師も多くいて、一病棟が家族のようでした。

それぞれ悩み事も抱えていましたが、全体的に温かく支えるような病院だったと思います。

仕事での悩みや辛さを相談できるような雰囲気はありましたか。

都築:それはずっとあります。

何でも聞いてくれる先輩や、寮の仲間、当時の師長さんや、看護部長さんも廊下でお会いすると「大丈夫?」と話し掛けてくださり、すごく有難かったです。

そのため自分自身がそのような立場になったときには、当時のことを忘れずに大切にしたいという思いが原点となっています。

夜勤明けで疲れているときでも「今日は夜勤でしたね」と一言温かい声掛けがあると、自分のことを「知ってくれている、気にかけてくれている。自分も頑張ろう」と思える一つの要因になるような気がします。

患者さんとの出会いから認定看護師を目指す

始めに配属されたのは何科だったのでしょうか。

都築:神経内科や消化器内科、血液内科があり、一般的な混合内科の病棟で9年間勤務しました。

その後は異動されたのでしょうか。

都築:その後に消化器内科と消化器外科の病棟に3年間勤務し、その後は出産を経て内科の外来に勤務しました。

そこで摂食・嚥下障害看護認定看護師になりたいと思ったきっかけがあり、半年間研修に出て、その後は外来や病棟、専従室などへ異動しました。

認定看護師になろうと思った患者さんとの出会いがあったのでしょうか。

都築:20代の交通外傷の女の子との出会いがきっかけでした。

とても重症で気管切開をし、口からは食べられないため胃瘻を作っていましたが、状態が安定して外来へ通院するようになると、笑顔も見え少しずつ反応が得られるようになっていきました。

お姉さんが一生懸命に介護をされており「ヨーグルトを食べていると、唾液が増えているので、食べたいと思っているのではないか」と言っていたのですが、私はそのときに上手く答えることができず、知識がない自分にやりきれない思いでした。

そして、医師や看護師、リハビリスタッフなど、多くの医療職が関わっているのに「何故口から食べることができないのだろう」と疑問に思わないのかということに、自分自身も含め不甲斐なさを感じていました。

きちんと自分自身が勉強し、気付きのできる医療人にならなければ、目の前の患者さんを救うことができないという気持ちになり、ちょうど愛知県の看護協会に摂食・嚥下障害看護認定看護師教育課程ができたため受験をして結果的に認定看護師の資格を取得しました。

研修へ行くと、すごく平坦に看護をしていた自分に気が付くことができました。

きっかけとなった20代の患者さんにとっては大切な人生なのに、医療者側にはそれが日常になってしまう。

看護師の良くない部分でもあると感じました。

疑問を持たない看護師は成長しない

現場の看護の雰囲気をどのように感じていらっしゃいましたか。

都築:そのころは日々、日常的な業務に追われて精一杯のため、あまり疑問をもって看護をするような雰囲気はありませんでした。

しかし病院の風土を変えたいという思いがあり、私自身一人目だったため紆余曲折ありましたが認定看護師になりました。

「なぜだろう」と思わない看護師は成長しないと思いますし、医師の指示だけで動くのではなく、看護師がきちんと考える必要があると思います。

「なぜ食べることができないのだろう」と疑問を持ち、医師へ提案や相談をする看護師を育成していかなければならないという思いがありました。

認定看護師としての取り組み

摂食・嚥下障害看護認定看護師の資格を取得した後はどのような取り組みをされたのでしょうか。

都築:摂食嚥下の分野に関しては全体で同じケアができるように、入院した嚥下障害の患者さんを見落とさず、そしてどのようにチームで関わっていくかの仕組み作りを行いました。

また、嚥下障害のある患者さんをどのように地域へ繋げていくかということを、施設の職員と連携する仕組みを様々な職種の人と構築していきました。

たくさんの職種が協力してくださったため、その雰囲気は病院の中に根付いたように思っています。

提案のできる看護師へ

看護師全体での意識の変化は感じられましたか。

都築:意識は変わったと思います。

例えば、食べるという一連の流れはとても大変で時間もかかります。

まず、患者さんを起こして、お口を綺麗にし、目を開けてもらえるよう覚醒を促し、スプーンを手に持って頂き、安全に食べてもらう、という流れです。

ずっと昔の病院の雰囲気は、これらの流れを積極的に行うようなものではありませんでしたが、現在はこちらの患者さんは食べられるから、口を綺麗にしよう、起こしていこうから、食べることができるようになったら、自分で食べられるようにしようと考える力が付いてきているように思います。

また、医師に「この絶食は必要ですか?」という提案ができる看護師も増えているように思います。

その他にも離床のタイミングやレベルなどを自分たちで考え提案する、看護計画を立案し実行するというように、次のステップに向かっていけるよう看護しているスタッフがここ10年で増えていると感じています。

認定看護師の支援体制

学ぶ意識を持つ看護師も増えているように感じていらっしゃいますか。

都築:当時はあまり認知されていなかった認定看護師が、大学病院などと比較するとまだまだ少ないですが、現在11の分野で計16名在籍しています。

当院が高度急性期に向かって頑張ろうとしている中、そこに共感してがんばろうとしている看護師がたくさんいることはすごく感慨深いです。

手術室看護やがん看護の分野、透析看護、救急看護、皮膚排泄ケア、小児救急看護など、自分たちが学ばなければ発展しない分野にみんなが目を向け、自ら取得しようとしてくれることを大変嬉しく思っています。

当時の看護部長が認定看護師を評価し支援体制をきちんと構築してくださったため、みんなが研修を受けやすくなりました。

例えば教育に関わる100万円近い資金も支援し、研修として扱い、その後も認定看護師としてのお手当を付けてくださるなど、その後の活動も確保する仕組みまできちんと作り上げてくださいました。

それらのおかげで認定看護師が育っていったのだと感じていますし、すごく感謝しています。

今の看護部があるのは

看護部長とはどのような存在でしょうか。

都築:私はずっと看護部長さんたちに恵まれていました。

新人看護師の時に声を掛けてくださった看護部長さん、子育てで一度退職を相談したときに「辞めることはいつでもできるのだから、まずは続けてみたら」と言ってくださった看護部長さん、認定看護師の学校へ「行っていいよ」と言ってくださった看護部長さん、私を推薦し「あなただから私は退職ができる」と言ってくださった看護部長さん、など振り返ると本当に恵まれていたと思いますし、看護部長さんたちが作り上げてきてくださったからこそ、今の前向きな看護部があるのだと思っています。

後編へ続く

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