No.250 武蔵野赤十字病院 泉並木 院長 前編:まず、目の前の大事なことに取り組む

インタビュー

肝疾患の治療で革新的な役割を担ってきた武蔵野赤十字病院

その院長の泉並木先生に、病院の特徴や先生のご経歴をお聞かせいただきました。

多機能性が特徴の病院。研修医からも高い人気

中:今回は、武蔵野赤十字病院、病院長の泉並木先生にお話を伺います。

泉先生、最初に貴院の特徴を挙げていただけますか。

泉:当院は、ありとあらゆる機能を持っている病院です。

まず、高度急性期病院であることから救急車の受け入れが年間1万500台に上ります。

また、腹腔鏡手術件数が非常に多く、ロボット支援手術にも取り組んでいます。

さらに地域周産期母子医療センターがあり、産婦人科医は19名を数えます。

地域がん診療連携拠点病院、災害拠点病院に指定されていることも特徴です。

このような多くの機能を有しているため、初期研修医の教育拠点病院にもなっています。

実際、研修医の応募が多く、ここ10年ほど全国でマッチング1位希望の

倍率ナンバーワンの状態が続いています。

中:ありがとうございます。

本日は貴院のこと、そして先生のマネジメント方針などを伺っていきたいと思いますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

泉:よろしくお願いいたします。

目の前の患者さんを救うために

中:まず、大学時代のお話をお聞かせください。

医科歯科大学ご卒業と伺いましたが、関東のご出身ですか。

泉:いえ、出身は関西です。

大学に進学のため東京に来て考えたことは、まず関西弁をなんとかしなければということでした。

40年以上前の当時、関西弁はまだお笑いや演芸の言葉だったのですね。

人前できちんと話すときは標準語でないといけないという雰囲気がありました。

私も将来、学会発表などをするときには標準語で口演したいという意識があり、

とにかく言葉を直そうと、1年間関西弁を封印し、かなり一生懸命がんばりました。

中:先生のご専門は肝疾患ですが、その領域に進まれたきっかけを教えてください。

泉:学生時代は循環器をやりたいと思っていました。

しかしいろいろ学んでいきますと、循環器は比較的研究が進んでいて、

疾患メカニズムの理解が進んでいる領域のように感じました。

それに比べて消化器領域、特に肝臓病は、膨大な患者数がいるわりには発症原因もよくわかっておらず、

治療法もほとんど確立されていませんでした。

つまり、アンメットニーズが非常に多いということです。

それだけ肝臓領域は非常に発展するだろうという将来性を感じました。

そこに自分が何か力を尽くせる可能性もあるのではないかと期待して、この領域に進みました。

中:将来を見据えていらっしゃったのですね。

泉:先よみしたというわけではありません。

むしろ、目の前の「何か面白いこと」をやりたかったのです。

その頃、肝臓にがんが見つかった患者さんを大学病院に紹介しても8割は切除不能で、

1年生存率が2割に満たない時代でした。

そのような状況では、何かしら新規の内科的治療を編み出さなければ、患者さんを救うことはできません。

目の前にある一番大事なことにきちっと取り組む、この点は今でも私の変らぬ信条です。

それが結果的に将来につながることもあるのだと思います。

マイアミ大学でマイクロ波治療のライブデモ

中:肝疾患の治療にはこれまでに、劇的とも言える進化がいくつかあったかと思います。

先生はどの治療法のインパクトが大きかったと思われますか。

泉:やはり私自身が完成させたマイクロ波治療が強く印象に残っています。

局所麻酔下で経皮的に針を肝臓へ刺し、がんの病巣を超音波で焼灼する治療法で、

現在主流のラジオ波焼灼へと発展する礎の技術です。

この技術が完成し、CTスキャンの画像所見で白く写っていたがん組織が、

治療後に正常組織と変らない黒に写ったことを確認したときの感動は、今も忘れられません。

自分の力でがんを治せたという充実感を味わえ、本当にうれしかったです。

中:アメリカでライブ手術をされたそうですね。

泉:アメリカの学会でマイクロ波治療を発表した際、

それを聞いていたマイアミ大学の教授から連絡が届きました。

FDA(米国食品医薬品局)がマイクロ波治療の治験を認め、

その第1例目をマイアミ大学で行うので、ライブ形式で施行してほしいとのことです。

とても驚きました。

「自分でいいのかな?」とのためらいもありましたが、

器械一式とともに単身、アメリカの手術室に乗り込みました。

周囲は全員アメリカ人ドクターです。

非常に緊張しました。

ところが彼らはどんな時も必ず冗談を言うのですね。

「マイクロ波、Microwave」は、アメリカでは電子レンジのことなので、

「お前は遠いところからわざわざクッキングに来たのか?」と聞いてきました。

こちらは手技に集中したくてそれどころではないのですが、

冗談に付き合わないわけにはいかず、「そうだ、クッキングだ」と。

大変でしたけれど、すごく良い思い出です。

中:貴院は肝疾患の治療で全国的にその名が知られています。

やはり先生のご研究と実績が一つの契機となったのでしょうか。

泉:マイクロ波治療の画期性はすぐに広く知られるようになり、

肝がんの治療を学ぶために各地から当院へドクターが集まってきました。

当院は肝がんの発生母体であるウイルス性肝炎の治療についても

先進的な取り組みをしていたこともあって、非常に意欲の高い多くのドクターが切磋琢磨し、

さまざまな先進的データを論文や学会で発表するようになり、それは今も続いています。

私は医者として、非常に面白い人生を過ごさせていただいていると思います。

専門職集団のマネジメント

中:素晴しいお考えですね。

しかし全国各地から集まってくる多くの医師とのコミュニケーションや連携に、

ご苦労がおありではなかったですか。

泉:私は当院に三十数年勤務していますが、この間、常に感じてきたことは、

専門職としてやりがいのあるテーマを与えていき、各人のモチベーション高めていくことで、

最終的に非常に活気的な集団ができるということです。

専門職者は誰もが役割意識が強く、優秀です。

ですから、個々の才能に役割を託しつつも、

みんなでチームとして一つの方向を向いて行くことが可能です。

中:組織マネジメント上、専門職集団をまとめることの難しさがしばしば指摘されます。

しかし専門職だからこそ、むしろよりまとまったチームが形成されるという先生の今のお話は、

とても新鮮に感じました。

泉:私が気をつけていることを挙げるとすれば、それは、

自分自身ができることは必ず人に任せていかなければいけないという点です。

どんどん若手にやらせてみて、どんどん力を伸ばしてもらえば良いのです。

人は、自分にもチャンスが確実に巡ってくるとわかれば、誰でも一生懸命になります。

逆にチャンスを与えなければ、興味をもとうとせず、能力も上がりません。

後編に続く

Interview with Toan & Carlos