No.247 練馬光が丘病院 川上正舒 名誉病院長 後編:患者さんにとって最も良い医療を目指す

インタビュー

前編に続き、川上先生がアメリカ留学から帰国されてからのご経歴や、

これからの看護師への期待などを語っていただきました。

帰国から院長就任まで

中:アメリカご留学から、どのようなタイミングでご帰国されたのでしょうか。

川上:アメリカでの研究が自分としては順調に進み、人間関係もよく、

アメリカ人の同僚からも「どうして帰るのか」と言われました。

しかし、子どもの教育や自分達の老後などを考え、研究がひと区切りついたこともあって

帰国を決めました。

帰国したタイミングが、高久史麿先生が自治医大から東大の教授にお戻りになられた時期と

ちょうど重なり、高久先生の紹介で国立病院医療センター、

今の国立国際医療研究センターの研究部に行きました。

その後、自治医大が新しい病院、現在のさいたま医療センターを作り研究所も新設するので

そのポストはどうかという話をいただき、そちらに移り長く勤めることになりました。

定年前の数年間はその病院長も務めさせていただきました。

ちょうど定年を迎えるころに、日大付属病院だった当院が地域医療振興協会の運営に変わることになり、

高久先生が自治医大の学長とともに地域医療振興協会の会長を兼務されていたこともあって、

私にお声をかけていただき当院院長に就任したという経緯です。

中:いつも新設の組織でご活躍されてきたのですね。

川上:逆に「未開拓の所ばっかりずっと行っているようですね」とアイロニーを言う人もいます。

私自身は、たまたまそういう巡り合わせなのだろうと思っています。

移転新築構想

中:こちらの病院も、新築する構想があると伺いしましたが。

川上:そうですね。

冒頭に申しましたように、練馬区内の総合病院は当院と順天堂大練馬病院しかありません。

そのため練馬区も当院をかなり積極的に支援してくださっていて、ありがたく感じています。

当院もだいぶ歴史がたち、342床の急性期病院としては手狭になっています。

当院の土地や建物を管理している練馬区も、そのあたりの状況を理解されていて、

前々から建て替えの構想はあったようです。

しかし土地の確保がネックになり、なかなか進展していませんでした。

最近、少子化の影響で小・中学校を統廃合する計画が持ち上がり、

当院の移転先も確保できる見込みが立ちました。

一昨年あたりから本格的に動き出しているところです。

ただ、区の行政が絡む話ですし、学校にはまだ生徒さんが通学していらっしゃいますので、

当院の移転新築を積極的に広報することは控えているような状況です。

これからの看護師

中:高齢化と共に進展している少子化の中で、貴院も新たな方向に発展していかれるのですね。

そういった医療環境の変化に関連し、看護師について少しお尋ねしたいのですが、

先生は看護師に対して今後どのような進化を求めていらっしゃいますか。

川上:医療における看護師の役割は非常に幅が広く、たいへん重要な任を負っています。

看護の専門分化が進み、少なくとも医療の手技的な面に関しては、

既に多くの看護師が高度な技術を駆使されています。

例えば手術室あるいは腹膜透析、救急などでは、

新人の医師よりも多くの処置ができる看護師が少なくありません。

このような専門分化はこれからさらに進むことでしょう。

一方で、看護業務はとても幅の広いものです。

非常に高度な技術を身につけ、かつ、患者さんの背中をさすって差し上げられるような看護師が

求められてきます。

もちろん、一人の看護師がすべての領域に熟達することは難しいことです。

ですから一人一人がそれぞれの技量を生かして、それぞれの役割を担っていただくことが、

病院に勤務する看護師の役割だと思います。

そのためには互いに良好なコミュニケーションを保ち、それぞれの仕事が患者さんに

どのように影響しているのか、患者さんにとって最良なことは何か、そのために自分は何ができるのか、

そういったことを常に考える必要があろうかと思います。

それは看護師も看護補助者もまた、医師も同じです。

患者さんにとって一番良い医療を提供するという姿勢を持ち、

他のスタッフと協力しながら自分の役割を果たしていただきたいと考えています。

中:ありがとうございます。

そういう意味では、新人で未熟な看護師であっても、自分の役割を認識することが重要ですね。

川上:できる範囲でベストを尽くす、それが大切です。

我々としても、職員のスキルアップを支えるための教育システムや職場環境の整備などに

力を注がなければいけない部分があり、できる限りのことをしていていきたいと考えています。

今でもピアノを習ってみたい

中:最後に先生のご趣味を教えていただけますか。

川上:「趣味は?」と尋ねられると、皆さん、ゴルフであるとかテニスなどとおっしゃいますね。

私も何かスポーツを言えるといいのですが、子どもころからスポーツが不得意で、

どちらかというと芸術的なことに関心が向きます。

音楽で言えば小さいころからピアノをやっていましたし、中学ぐらいまでは絵も描いていました。

どちらもあまり上達はしませんでしたが、

今でも時間があれば美術館を巡ったり、旧跡遺跡を見て回ったりしています。

実は今でもピアノに興味があるのですが、「近所迷惑になる」と家族が毛嫌いしますし、

この歳になると指も動きにくくなり、なかなか再開にたどり着けません。

中:本日は短い時間でしたが、先生の研究者、教育者、医療者としての多彩なお話と、

最後には芸術的なお話まであって、伺っているだけでドラマに引き込まれるような感じがいたしました。

川上:ただただ、その場その場でどうすれば良いかを考えていたように感じます。

思い起こせば、自分がいつも一生懸命になれたということは、

家族を含めて周りに迷惑をかけていたのだろうなという気がします。

幸いにして友人に恵まれ、アメリカではボスに非常に可愛がられました。

今でもボスから「時間ができたからスカイプで話そう」と言ってきます。

そういう意味ではこれまでのところ、恵まれた人生だったな思います。

患者さんに一番良い病院づくりに参加してほしい

中:素敵なお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。

それでは、まとめとして看護師へのメッセージをお願いします。

川上:当院は高度急性期医療をはじめとし、

地域の皆さんの幅広い医療ニーズに応えることを目的としております。

そういう意味で、看護スタッフの方々にも非常に高度な医療から、

患者さんに寄り添う日常的なお世話まで、さまざまな幅広い活動をしていただいております。

もちろんそれらを一人で全部していただきたいということではありません。

多くの特徴のある技術、あるいは知識を持った方々が協調しながら働きやすい場を作り、

そして患者さんに良質な医療を提供していきたいと思っております。

そういう志を持った多くの方々が当院で働いていただくことを期待しております。

皆さんが働きやすく、そして患者さんにとって一番良いことは何か常に考えながら、

皆さんで病院を作り上げていただきたいと思います。

ぜひ一緒に、より良い病院へと盛り上げていきましょう。

よろしくお願いします。

インタビュー後記

地域に密着しつつ、進化していく病院のあり方を川上先生に教えていただきました。

また、川上先生は常に新規開拓や新規立ち上げのオファーに対して、前向きに取り組まれていらっしゃいます。

前例が無い中で、一から作り上げていく大変さも伴うとは思いますが、勇気ある行動と

信念を持って対応することで、自分の理想とする未来を自らの力で構築出来るということも事実。

とても希望溢れるお話をしていただきました。

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