心臓血管外科教授から宇都宮リハビリテーション病院院長に転身された三澤吉雄先生に、
ご経歴と合わせてリハビリ医療に関心を持たれた理由などをお伺いしました。
医療過疎を解決したい
中:今回は宇都宮リハビリテーション病院、病院長の三澤吉雄先生にお話を伺います。
まず貴院の特徴を教えてください。
三澤:当院は回復期リハビリテーションを専門とする病院でして、
いわゆる一般病院で行われる手術等はいたしません。
手術あるいは、脳梗塞、脳出血の初期治療などを他院で受けられ、
ある程度安定した時期に、自宅復帰を目標として当院へ入院していただく、そういう病院です。
中:ありがとうございます。
それでは本日は、先生のご経歴や病院のお話、
先生のマネジメント方針などについて伺いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
三澤:よろしくお願いいたします。
自治医大一期生
中:まず、先生が医師になろうと思われた動機をお聞かせください。
三澤:私は長野と新潟の県境の信濃町という、いわゆる医療過疎の田舎出身です。
そのような土地に育ち、かつ、長男であるためにいずれは帰郷することが当然という時代でしたから、
医師になって地元の役に立つことができればと考え、医師を目指しました。
「幸いに」と申しますか、一度受験に失敗して浪人していましたところ、
自治医科大学という大学が新設されるという新聞記事が目に止まり「おっ、これは!」となりました。
医師がいない地方へ医者を派遣する、
つまり僻地医療の担い手を輩出することを目的に設置される大学だというのです。
しかも学費が無料とのことです。
そこで受験しましたところ合格いたしました。
浪人したことが幸いし、親孝行にもなったのではないかと思います。
中:すると先生は自治医大一期生でいらっしゃるのですね。
学校作りから始められたような学生時代だったのではないでしょうか。
三澤:そうですね。
1年目は学生と職員の数が似たり寄ったりで、もちろん先輩もいません。
建物さえまだ建築中で、看護学部の教室で講義を受けていました。
学生の中には、大学建設現場のアルバイトをしていた者もいたほどで、
文字通り「学校づくり」から始まりました。
また所帯が小さいため学生と職員が親密で、学生と同じ寮住まいの教員も多く、
夜お酒を一緒に飲むこともよくありました。
中:2年目からは一期生として、後輩の指導により力が入ったのではないですか。
三澤:よくそのような質問を受けるのですが、自分たちに先輩がいないものですから、
どうやって先輩面をすればよいかわからず、後輩とも仲間のように接していました。
中:先生は後に自治医大心臓血管外科の教授になられましたが、
どのようにご専門領域を決めていかれたのでしょうか。
三澤:自治医大には卒業後、僻地医療に従事する義務年限があります。
その間は何でも一人でせざるを得ません。
今の言葉でいえばジェネラリストですが、いわゆる「何でも屋」で、小児科も婦人科も、脳外でも、
来院するすべての患者さんに対応する、
たとえ難しいケースでも少なくとも初期対応はして転送するということを続けていました。
義務年限が終わるころに母校の胸部外科の教授からお誘いをいただいたのですが、
大学に戻るには自分の後任者を見つけなければいけません。
その後任者探しに1年を要し、結局、医師になって11年目に
心臓外科を専門にすることになったというわけです。
ジェネラリストの強み
中:ジェネラリストとしてのご経験は、ご専門領域の研鑽に何か影響ございましたか。
三澤:心臓外科を始めた当初は「ずいぶん遠回りしてしまった」という印象を持っていました。
しかし臨床において、心臓だけが悪い心疾患患者さんというのは実は少なく、
糖尿病や高血圧などが併存することがほとんどです。
大学に戻り、他の医師は専門外の疾患はすべて他科に判断を依頼するという診療スタンスでいるところ、
私は10年の経験からある程度の判断は自分でできるはずだという自信があり、実際にできました。
その点、10年間の遠回りはむしろ良かったと考えています。
中:患者さん側からすると、受診後、
一人の医師の診察を受けすぐに必要な治療を受けられるというメリットがありますね。
三澤:そのように前向きに考えてくださる人が多いですが、
中には「専門家でもないのに何を」という捉え方もする人がいて、対応に困ることもあります。
中:そうですか。
ただ、先生のお話を伺いまして、看護師にも似たようなことが言えるのではないかと思いました。
つまり、近年、認定看護師や専門看護師といったスペシャリストへの流れがあり、
一方であらゆる領域の看護を経験することによって得られることもあるはずで、
その大切さを教えていただいたように感じました。
三澤:確かに看護師がいろいろな部門をローテーションでする途中で
「何で私がこんなことをしなくてはいけないのか」といったことを考えることがあるかもしれません。
しかし、いろいろなものを、見る、経験するということは、代えがたいことです。
それをしていなければ「こういう患者さんの看護はしたことがないからできません」
という事態が生じかねません。
半ば強制的にでも、多くの患者さんと接する機会を設けるべきで、
看護師の方もそれをチャンスだと考えた方が良いのではないでしょうか。
中:素晴らしい考え方ですね。
自分で選んだのではなく与えられた環境の中でも学んでいれば、必ず後々役に立ってくるということですね。
ここで少しまた先生ご自身の話に戻りまして、心臓血管外科の教授になられ、
そして現在のリハビリテーョン病院にお勤めされるようになった経緯をお聞かせいただけますか。
三澤:心臓血管外科に入った当初は、学会に出席しても講演内容が理解できないくらいでしたから、
後に自分が教授になるなどと全く考えていませんでした。
自然に環境ができてきて教授を務めることになりました。
定年まで5年ほどになった頃からリハビリに興味を持ち始めました。
と言いますのは、我々が手術をして検査所見上、全く問題ない状態に回復しているのに
「調子が悪い」とおっしゃる方が多いのです。
「きっと手術や薬では解決できない何かがあるのだろう」と考えていく中で、
リハビリの可能性に気づきました。
テレビドラマでよく外科医が患者さんの家族に「手術は成功しました」と言っていますが、あれは
術中合併症を生じずに手術が終了したというだけであって「成功した」とは言えないだろうと思うのです。
成功というのは、患者さんが自宅に戻られて満足した生活ができた時に初めて言えることです。
後編に続く