No.216 万協製薬株式会社 松浦信男 社長 前編:阪神大震災の罹災をバネに

インタビュー

皮膚科用剤やスキンケア製品のOEM供給元として隠れた存在感をもつ万協製薬。

その社長である松浦信男様に、事業内容や経営戦略を紹介いただきました。

スキンケア製品に特化

中:今回は万協製薬株式会社、代表取締役社長、松浦信男様にお話を伺います。

社長、よろしくお願いいたします。

松浦:こちらこそ、よろしくお願いいたします。

中:まず貴社の事業内容や特徴をお聞かせください。

松浦:私どもはスキンケア商品、主として医薬品を開発、製造、販売している会社です。

特徴は自社ブランド製品よりも他社様のブランドでの生産、いわゆるOEM(相手先ブランドによる生産)や

ODM(相手先ブランドによる製品開発・生産)に注力している点です。

中:OEMやODMが主体ということですので、貴社が製造されたり開発をサポートされた製品が、

大手医薬品メーカーの製品として世の中に流通しているということですね。

松浦:軟膏材、クリーム剤、液剤などの皮膚科外用剤を中心に、先発医薬品メーカーさんや

OTC(一般用医薬品)メーカーさんなど100社以上からアウトソーシングを受託しております。

OEM、ODMに注力する理由

中:自社ブランドよりもOEMやODMに比重を置いていらっしゃるのは、何か理由がおありでしょうか。

松浦:それは弊社の歴史と関係があります。

弊社は以前、神戸を本拠地としていたのですが、震災のためこの地に移転してきました。

それを機に、自社が真に社会から必要とされる会社に生まれ変わるため、

他社様の商品に力を入れることにいたしました。

中:もう少し詳しく教えていただきたいのですが、神戸の震災の時、既に社長をお務めだったのでしょうか。

ご経歴をお聞かせいただけますか。

松浦:私は徳島文理大の薬学部を出まして、薬剤師免許を取得し、

父が経営しておりました当社に入社いたしました。

それから製品開発一筋だったのですが、1995年に阪神大震災で工場が被災し、

翌年、当地に移転したタイミングで、私が社長になりました。

阪神大震災からの再建

中:震災でかなりご苦労されたかと思いますが。

松浦:神戸でも長田区という最も被害が甚大だった所でしたので、激震地区指定という地域に定められ、

2年間は新しい建物を作ってはいけないと決められてしまいました。

会社を存続させることが困難になり、

やむなく全従業員をいったん解雇するという苦渋の選択をせざるを得ませんでした。

阪神大震災以降に大災害の被災者に対する公的ケアが充実してきましたが、

当時は未整備で被災者同士での支え合いが頼りでした。

私も「震災再開ノート」を作り、みんなで励ましあったものです。

そのノートは今でも手元に置いています。

また、神戸からこちらに移転する際には、玄関の敷石を剥がして、こちらへ携えてきました。

中:地震でなくなってしまった会社をもう一度再開するには、

たいへんな熱意が必要だったのではないでしょうか。

松浦:自分がこの会社を諦めてしまうと、作ってきた医薬品が世の中から消えてしまう、

それは自分が歩んできた人生そのものが消えてしまうことと同じような気がしました。

ですから私は、会社を再起させたかったというよりも、

自分が作ってきた製品を世の中に残したいという一心で、もう一度会社を立ち上げようと思ったのです。

選択と集中

中:大変な時期は何年ぐらい続いたのでしょうか。

松浦:再建が一段落するのには10年かかりましたが、最も厳しかったのは最初の3年間です。

その間、いろいろなことを考えた結果、

先ほど申しましたように他社ブランドで製品を流通させることに意義があると気づきました。

それまでは自社ブランド製品の拡販、

つまり自分たちの名前が世の中に広まることばかり考えていたのですが、

被災して自社製品を供給できなくなっても、社会は何事もなかったように過ぎていくのです。

社会から必要とされる会社に生まれ変わらなければいけないと思いました。

と言いましても資金に限りがありますから、

ニーズのある医薬品に手当たり次第挑戦するわけにはいきません。

そこでスキンケアに特化するという選択と集中の戦略をとりました。

企業としてのホスピタリティー

中:当然、社長も開発だけでなく、営業的なお仕事もされたのでしょうね。

松浦:もちろんです。

最初は3人で再開しましたから、何でもやりました。

私も当然お客様のところに回っていたのですが、

ある時からできるだけお客様に弊社へおこしいただくように変えました。

私どもの生産現場やさまざまな社会的な取り組み、例えばフィギュア博物館なども見ていただき、

その上で評価・ご判断いただくようにし、

さらに「私どもの施設を使って一緒に製品開発をしましょう」と呼びかけました。

言い方を変えると、この工場と会社こそを営業マンにするというような考え方です。

中:なぜそのような手法をとるようになったのですか。

松浦:私が頭を下げて仮に仕事を受注できたとしても、

私が病気などでいなくなった途端に仕事を取れなくなるのであれば、それは組織的経営ではないからです。

取引先の会社の所在地が東京ですと、当社に来ていただくには1日がかりの出張です。

そのコストに見合うだけのホスピタリティーを持って、この場所でお迎えできるよう常に心がけています。

おかげさまでスキンケア関連製品に関しては業界内で「とりあえず万協さんに相談してみよう」と

言っていただけるようになってきました。

ふつうはしないことですが、ライバル会社さんの相談にも乗ります。

それに対して「なぜそこまでするのか」と質されることもあります。

しかし人間は、「少し良いこと」は秘密にしておきたいものの、

「ものすごく良いこと」は人に話したくなるものではないでしょうか。

後者が万協製薬のサービスです。

後編に続く

Interview with Araki & Carlos