No.104 小林久子様(さがみ仁和会病院)前編:人間が好き

インタビュー

今回はさがみ仁和会病院看護部長、小林久子様(※追記:2020年4月より看護部長職を根岸様と交代なされてます)にインタビューさせていだきました。

小林看護部長の手腕に迫ります。

幸先のいいスタートで看護の道へ

看護師になろうと思ったきっかけを教えていただけますか。

小林:高校を卒業する前に、友人に一緒に看護専門学校を受験しないかと誘われた事でしょうか。

もともと看護の専門学校には興味を持っておらず、その学校の受験でさえ、私にとっては違う意味を持っていました。

専門学校の試験を、学校の期末テストの模擬試験のように活用したのです。

実は、私はあまり化学が得意ではなく単位を取れるか取れないか、という状況でした。

兄弟にも励まされつつ期末テストに向けて必死に勉強していた時に、友人から声をかけられたのです。

それで調べてみると、化学が試験科目の一つに入っていて、ちょうど学校の期末テストが始まる前日が学校の試験日でした。

これは自分の力試しになるに違いない、と看護専門学校を受験したのです。

期末テストではクラスで最高点を出せましたし、受験もトントン拍子で一次、二次試験を無事に通過しました。

もともと人と関わる事が好きでしたし、これは幸先がいいな、とそのまま看護専門学校へ進学する事を決めました。

夢中になれることがたくさん

実際に医療の勉強をされてどう思われましたか。

小林: 医療関係者のいない家庭で育った私にとっては、見るもの聞くもの全てが初めて出会うものでしたので、とても興味が湧きました。

実習中ドキドキすることもありましたし、涙を流したこともありましたが、とにかく夢中になることが多く、学生時代は本当に楽しかったです。

印象的だったのは、学校で「あなた達は将来リーダーになるのです」と言われて育てられた事です。

学校の先生だけでなく、実習先で出会う医師や院長からも「リーダーになっていくのですよ」と言われるのです。

いつもそう言われていたこともあってか、リーダーとは、どうあるべきか?は、頭の中に常にあったように思います。

私自身、卒後3年目くらいから看護学校の講義を行っていました。

その後、学校の先輩には大学の教授や学部長、看護協会長を務めた方もいらっしゃいます。同窓生にも看護部長を経験していた人が何人かいます。月日は経ちましたが、今でも1年に一度は集まって食事会をしています。

様々な積み重ねが自分の貯金になる

看護専門学校を卒業されたあとは、どこの病院に就職されたのですか。

小林:実習先の病院に就職し、多くのことを学びましたし、経験させて頂きました。

今は電子カルテも普及し、ロイやヘンダーソンの看護論を用いて、系統だった看護を展開するのが当たり前ですが、当時はそうしたシステムも理論もなく、ようやくチームナーシング出てきた頃です。

専門学校の卒業論文のテーマに看護方式を選んだこともあってか、当時としては珍しい、そのチームナーシング方式を取り入れている病棟に配属して貰えました。

今思うと十分な仕組みではなかったと思いますが、自分たちで作り上げて行く事ができましたし、早い時期から研究をして発表する機会にも恵まれていました。

病棟での仕事に加えて研究もされていたのですね。

小林:病院の周りに遊ぶ所がたくさんあったわけではないので、自分がやろうと思ったらそれに集中できる時間は十分にありました。

いろいろなことに楽しく取り組んでいらっしゃったのですね。

小林:そうですね、たくさんの経験の積み重ねが自分の貯金になっていると思います。

いろいろな経験を積むと、人と関係を築く方法がだんだんとわかってきます。

私は患者さんと接する時に患者さんの斜め後ろに付いて「そうですね」「すごいですね」とゆっくりと話をするのですが、これもその経験から学んできた方法だと思います。

後編へ続く

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