No. 71 伊藤まさ江様(伊那中央病院)前編「憧れのナースキャップ」

インタビュー

今回は伊那中央病院の伊藤まさ江看護部長にインタビューさせて頂きました。

伊藤看護部長の手腕に迫ります。

憧れのナースキャップ

看護部長が看護師を目指されたきっかけを教えていただけますか。

伊藤:まず、私は活動的な仕事の方が自分に合っていると感じていて、可能であれば人間を相手にする仕事をしたいとも思っていました。

家族が入院した際に看護師という職業を知り、自分の考えに合っていましたので病院で働く道を選びました。

学校はどのように決められたのでしょうか。

伊藤:通う学校を決めた理由は、ナースキャップです。

慶應義塾大学付属の看護学校のナースキャップと白衣がとても可愛く、それに憧れて決めました。

ナースキャップは普通四角いのですが、水兵の帽子のようなデザインだったのです。

1年生の9月にあった戴帽式でそれを被れた時は、とても感動しました。

実際に入学してみて、それまでイメージされていた看護とのギャップを感じたことはありましたか。

伊藤:入学するまでは、あまりイメージを持っていませんでしたので、割と何でも従順に受け入れられたように思います。

ただ、ドイツ語や社会学の授業に関しては「何でこんなこともやるのかな」と思ったことはありました。

でも、とても楽しい学生時代を送りました。

学校にはご自宅から通われたのでしょうか。

伊藤:寮に入りました。

寮は4人部屋で必ず先輩と同じ部屋になるように組まれていて、それがいい緊張感を生んでいたと思います。

その先輩とは一緒に遊んだり、勉強やテストの傾向を教えて頂いたりしていました。

学生時代の実習で何か印象に残っているエピソードはございますか。

伊藤:実習はとても厳しかったです。

ケアを行う前には、必ず教官に「これはどういう目的でやるの」「なぜこの人にやるの」と裏付けを確認されて、使う物品も、何と何が必要で、どうやるのか、全てが合っていないとやらせて貰えませんでした。

患者さんとの関わりの中では、整形外科にいらした脊椎損傷の方のことをよく覚えています。

動けない患者さんを前に、学生の私が一体何をしてあげられるのだろうか、何ができるのだろうか、とすごく考えて悩みました。

その中で、寄り添うことで気持ちを引き出していくことによって相手が心を開いてくれる体験をし、「患者さんにしっかり向き合う」「話をしっかりと聞く」「気持ちを引き出していく」ことの大切さを学びました。

信頼関係を築くことができたのだと思いますが、その方からは実習が終わった後にもお手紙を頂くことがありました。

学校をご卒業されたあとはどちらに就職されたのでしょうか。

伊藤:卒業したあとは長野に戻ってきて、この病院に就職しました。

今年で勤め始めて38年になります。

いい見本になる師長たちとの出会い

新人時代は如何でしたか。

伊藤:最初は内科病棟へ配属されました。

私たちの新人の時代は一言で言えば、厳しかったです。

「先輩の姿を見て学びなさい」というのが一般的で、担当の指導者にずっとついて回れるわけでもなく、5月か6月には夜勤も自立していました。

師長もとても厳しい人で、ナースステーションの整理整頓、雑巾のかけ方、床の拭き方から、社会人としての基礎、医療、命を守ることの厳しさをしっかり教えて頂きました。

内科には何年くらいご経験を積まれたのでしょうか。

伊藤:6年程いまして、その間にリーダーやスタッフの新人教育を経験しました。

人を教育することを通して、その相手に合わせて、指導していくという事を学びました。

全員一律に、「覚えて下さい」と伝えても覚えられないのです。

そこで、必要なのは業務を教えることではなく、その患者さんへのやり方や必要性など、“看護”を教えなければいけないという事に気付きました。

「考える」という行動を取ると自分も育つということも学んだように感じます。

内科の後はどちらへ移られたのでしょうか。

伊藤:内科の次は小児科に移りました。

ですが、私自身が子どもとあまり接したことがありませんでしたので、正直嫌で涙が出ました。

人事は取り消せないこともわかっていましたが、師長に「私は自信がありません」「ここで看護をしていくのは嫌です」と伝えました。

その時の師長の反応はいかがでしたか。

伊藤:「あなたの気持ちはわかった。でもあなたらしくやればいい」、「やってみないとわからないから、やってみようよ」と、励ましてくれたと思います。

それで、頑張ってみようという気持ちになりました。

すごく心強い言葉ですね。

伊藤:実はその師長が前任の看護部長です。

看護の本質や看護の楽しさ、いくら忙しくても、看護のやりがいは持てる、という事を教えてくれた方です。

その頃は少子化ではありませんでしたから、小児科は常に満床でした。

患者さんの出入りが激しい中でも800gしかない様な赤ちゃんの呼吸器の管理もしなくてはならない環境で、とても忙しかったのを覚えています。

それでも看護を楽しいと思えたのは、師長自身が看護を好きで、しっかりとした看護観を持っていて、どういう看護をみんなにして貰いたいのかを常に示してくれていたからだと思います。

忙しくても「この小児の看護は私たちしかできない」というプライドを教えてくれました。

忙しい中でも積極的に研修にも参加されていて、全国的に見ても管理者として先駆的な活動をされていました。

しっかりビジョンを示して常に学ぶ姿勢を見せてくれていたのです。

手本になってくれる人が傍にいてくれたことで自分が育てられたと思います。

後編へ続く

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