第21回目のインタビューは、東大和病院の橋本光江看護部長です。(※2020年9月現在は役職が変わっておられます。)
前編では、高校時代バレーボールに打ち込んでいた橋本部長が看護師になるまで、新人教育プログラムがない中で必死に患者さんと向き合った新人看護師時代、管理職になるきっかけとなった出来事について伺っています。
「保母さんになりたい」からの転換
ご自身が看護師になろうと思われたきっかけから教えていただけますか?
橋本:人の役に立つ仕事をしたいという思いがあって、高校生の頃は「保母さんになりたい」
と考えていました。
当時バレーボール部に所属していたのですが、将来の夢を部活の先生に話したら、「部活動で
のあなたの取り組み方を見ていると、性格的に看護師のほうが向いているんじゃない?」と言
われて。
看護師は「白衣の天使」のイメージしかなかったんですけど、そのちょっとした先生の言葉が
きっかけになって、やってみようかなと思いました。
看護学校時代の印象に残るエピソードはありますか?
橋本:高校とは違って、学ぶ教科の多さと大変さは強いインパクトがありました。
都立の看護専門学校に通っていたのですが、1つの科目が終わるたびに試験になるんです。
今みたいに試験期間が設けられているわけではなく、例えば15時間の授業が終わったら試験、という感じで1年を通していつも試験があることが、高校時代と大きく異なる部分でした。
実習では初めて看護師と直接接することになったかと思うのですが、その時は怖いなとか楽しいなとかありましたか?
橋本:どの実習に行っても怖かったですね
私が学生の頃は「見て覚えろ」という時代だったので、今のような真綿で包んで育ててあげるという体制とは違いましたね。
朝、行動計画や看護計画を発表するのですが、緊張でなかなか上手く言えないと「何言ってるの?」と言われたり。患者さんに合った計画が立てられなければ、午前中ずっと部屋で計画の修正をすることになって、患者さんのもとに行かせてもらえませんでした。
部活動で培われた考えや感情
卒業後の就職先はどのように選ばれましたか。
橋本:実はここが初めての就職先で、今日までずっと勤務しています。
卒業して結婚したのですぐに就職しませんでした。
生活が落ち着いたところで就職しようと思った時、家が近くて、子供の頃から馴染みのあった病院ということもあって、こちらに就職させてもらいました。
よくご存知の病院だったのですね。
その当時は就職にあたって「採用は新卒のみ」といった制約の多い病院もあったかと思うのですがいかがでしたか?
橋本:当時は、新卒採用がほとんどありませんでした。
昔は規模が小さくて、病棟が3つしかない、100床くらいの病院でした。
病院に就職して新人の頃、心に残っているエピソードはありますか?
橋本:たぶん私が管理職に向かっていくきっかけだったのかもしれないんですけど、昔は教育ツールが何もなかったんです。
もしあったとしても、見せて教育するという体制ではなかったので、誰に聞いたらいいのか分からなくて、一から自分で探ってやっていかなければならず、毎日大変でした。
とにかく患者さんに元気になって帰ってもらう病院じゃなきゃいけないと思っていましたし、自分がやる事に責任をもち、きちんと理解した上で行動しなければなりませんでした。
新人の頃からご自身で考えたり、見て覚えていくという事をされていたのでしょうか?
橋本:そうですね、スパルタですね。
プリセプター制度なんて全くありませんでしたから。
誰が先輩なのか、誰が看護師で誰が准看護師なのかも分からない中で、ポンと投げ出された感じで。
就職した月の月末には「夜勤が入ったからね」と言われ、見よう見まねで聞きまわっていました。それを嫌だと思ったり、文句を言う余裕はなかったですね。
その状況から逃げずに乗り越えられたのは何があったのでしょうか。
橋本:看護師は患者さんにとってどうあるべきなのかを、いつも考えていました。
この患者さんにとってどうすることがよいのか、自分がどう行動することがこの患者さんの回復につながるのかなど、いろいろな想いを巡らせていました。
そのお考えはどの時期に成されていったのでしょうか。
橋本:部活でバレーボールをやっていたのですが、試合に出たくてもなかなか出られずにいました。
たまに試合に出た時には、アタックしようと前に行くと「アタックなんてしなくていい、後ろでレシーブだけしてろ」と先生から言われて。負けず嫌いだったので、それが悔しくて。
運動しながら乗り越えたという部分ですかね。
橋本:そうですね。
小柄で、体格的にも技術的にもバレーボールは難しいから、チームの中でみんなを世話する役をやっていくようになりました。
それが人の役に立ちたいと考えるきっかけだったのかもしれないですね。
そう思うと、部活の先生の影響は大きいかもしれません。
スポーツをしていると、勝負がきちんとつきますから、「勝ってうれしい」「負けて悔しい」という、感情を調整するという部分でも非常に重要な部分なのかなと思いますね。
橋本:バレーボールにしても勉強にしても「頑張ってやらないと」という考えだったと思います。
負けず嫌いな面と、出来ないところを自覚して「やらなきゃ」と思うところがあったかもしれないですね。
まさにその部分が、のちの管理職につながっていると思いました。
反面教師から管理職の道へ
就職して2〜3年たってくると、病院の事がよく分かるようになってくると思いますが、将来看護師としてどういうキャリアを踏んでいくのかをどのタイミングで考えましたか?
5年目あたりのタイミングで、何かきっかけがあったりしたのでしょうか?
橋本:ちょうど3年くらいでリーダーの役割を担うようになった頃、師長さんに認めてもらえない事例がありました。
みんなこんなにがんばって、良い看護をしようとチーム作りしているのになぜだろうと、自分の看護の仕方やチームの在り方をすごく考えた時期でしたね。
私を含め頑張っているスタッフをもう少し労ってほしいなと思い、師長さんに言ったことがあるんです。
「師長さん、私たちが頑張っていることを認めていますか? こんなにみんな頑張っているのに認めてもらえてない気がする」、「師長さん、スタッフ一人ひとりの良いところ、悪いところをちゃんと見ていますか?」と。
今思えば、生意気な看護師だったと思うんです。
その頃から、人を育てる事やまとめていくことに興味をもち始めました。
スタッフ時代の時から周りをみたり上司をみたりしながら、管理について考えがスタートしたという感じなのですね。
橋本:その時はとにかく自分たちが働きやすい環境がほしい、患者さんにいい看護を提供できる場を作ってほしいという気持ちでしたね。
それが管理に進むきっかけだったのかなと思います。
その時の管理職の方からの回答はどのようなものだったのですか?
橋本:日本看護協会の管理研修という1年間のコースの受講を薦められました。
看護教員になるための専門のコースと、看護教員の資格も取れるけど管理を中心に学ぶコースの2つのコースがありましたが、私は看護教員の希望はなかったので、管理コースを受講しました。
自分がもっと自信を持てるものを学びたいと思っていたこともあって、1年間休職扱いで通学しました。
それは師長さんからの推薦ですか。
橋本:そうですね。勉強したらあなたの生意気が治る、私の苦労が分かると思われていたかもしれないですけれど、薦めてもらいました。
就職して3〜4年という時期に管理の道に進んでいくという選択は、かなり早いですよね。
そこで学ばれた時に、こういう事が学びたかったんだという感覚はありましたか。
橋本:グループワークをやる機会が多かったのですが、「何でそう思ったの?」「何であなたそういう行動したの?」と毎回厳しく質問されました。
そこで、自分の看護に対する姿勢がすごく傲慢だったということを突きつけられたんですね。
自分が勝手に患者さんにとっていいと思い込んでいた、自分の看護師としての傲慢さに気付かされました。
もう学校も続かないなと思うほど気持ち的に落ちるところまで落ちましたけれど、仲間が助けてくれたおかげで、無事修了することができました。
研修を終えて病院に戻ってきてから、院内でのポジションや見方は変わりましたか?
橋本:主任のポジションで研修に行ったのですが、戻ってきて1年くらいで循環器がオペを始めることになり、新しい取り組みだから師長をしないかと言われて任されました。
スタッフから管理職になる時かなり抵抗を持たれる方も多いかと思いますがが、そういった人に対し何かアドバイスなどございますか?
橋本:自分のやりたい看護ができるようになるよ、と伝えたいですね。
一スタッフでいると、主任さんや師長さんから言われる事をやらなきゃいけない、でも師長になると病棟づくりができるので、自分のやりたい病棟の看護を実現できる楽しさがあります。
こういう看護がやりたいというビジョンを持っている人は向いているかもしれないですね。
橋本:そうですね。
前向きに色んなことに取り組むチャレンジ精神がある人は、ちょっと辛いなと思うことがあっても乗り越えられると思います。
日々、気持ちのいい職場環境づくりを
管理職になると、他のスタッフとの距離が開いてしまうことはないですか?
橋本:割と“仲間感覚”の師長だったので、距離はなかったと思います。
自分も「できる」という自信がなく、スタッフから助けてもらわなければできないことがわかっていましたから、「一緒に病棟を作っていく仲間」として見て欲しかったんです。
スタッフの方々への声掛けなど、特に気を付けていらっしゃったことはありますか。
橋本:日々の変化に対しては、意識的に観察しています。
今日は元気がないねとか、顔色が悪いんじゃない?など、先手を打って声をかけるんです。
髪型や口紅の色など、ちょっとした変化も見逃さないで、その都度声をかけることで、「あなたのことを見ていますよ」ということを伝えています。
そう言ってもらえるとスタッフも見てくれているんだという安心感から、看護を取り組む姿勢も変わってくるじゃないのでしょうか。
橋本:そうですね。「何かあれば私が絶対助けるから、絶対守るから、安心していい看護実践をしてほしい」と思っています。
こんな看護をする病棟だよというレールを敷いて、それに乗ってくれるような人間関係づくりを目指しています。
看護職って患者さんに対しては重要な観察部分や日々の変化をみつけるということがベースとしてありますが、対スタッフとなるとないですね。
橋本:そうなんです。
そこを養って欲しいですね。
管理職の方がそこに介入していただけると、声をかけたりスタッフ同士でも褒め合い、助け合うという文化を作っていくことが可能ですね。
橋本:毎日来る職場ですから、環境が悪いと絶対嫌になると思うんです。
だから、みんながいい仕事をしたいと思えるような職場環境にしたいという想いがあります。
今もまだ取り組んでいる最中です。
それを管理職の方が思っていただけているというだけでもスタッフとしては嬉しいですし、安心しますね。
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