看護学生に精神科への就職を勧めることがあるのですが、彼らは「興味はあるのですが、他科で技術を身に着けてから」と口をそろえて言います。
その背景には看護学校の教員や周囲の先輩看護師からアドバイスを受けたりするという事情もあるようです。
そう考えると、「精神科で働く前に他科で技術を身に着けてから」という考えは、看護学生だけではなく看護界全般の見方のようにも思います。
皆さんはどのようにお考えでしょうか。
そのような考えを根強くさせている背景には、精神科領域を※)心身二元論から見ようとする医療風土が関係しているのかもしれません。
新人看護師が精神科医療への就職を拒むワケ
皆さんもご存じのように、こころは脳と密接な関係にあることは医学的に明らかです。
とすると、「こころの病」は脳の疾患であると言いかえて差し支えないでしょう。
ですから、精神疾患は脳という臓器(正確には、そのほかの臓器やホルモンも関連していますが)の疾患と言えるわけで、精神疾患を心身の二元で分けて論じることには自ずと限界が出てくるわけです。
このような考え方からすると、心身二元論をいまの医療に当てはめて考えることにも無理があることは自明ですが、感覚的にこの域から脱することができていない医療者が少なくないのが現状ではないでしょうか。
どの領域の看護も難しい!?
他科に勤務する看護師から聞く「精神科は難しい」という言葉も、この心身二元論的思考が軸にある言葉であると筆者は考えています。
いうまでもありませんが精神科も他科も対象は同じ“ヒト”であり、精神科でも身体面のケアを抜きには看護は成立しません。
精神疾患を中心にケアしているからこそ、身体面の変調を見逃してはいけないわけです。
換言すると、精神科においても身体面の知識と技術(特に精神科以外の問題であることを見抜く力)は自ずと看護師には求められることになります。
精神科にいようが他科にいようが、ウェイトの違いはあっても不要な技術などはないはずで、どちらの技術も簡単ではない(つまり、難しい)はずです。
「精神科は難しい」という言葉は、正確には「精神科“も”難しい」と表現するほうが適切ではないでしょうか。
精神科に興味がある学生を支援しよう
ここまでの話は、“精神科で身体面も見ることができる教育”の体制整備の必要性を示唆します。
教育体制を再整備するにあたって、政治団体・職能団体・病院組織、あるいは学校教育関係者らがいかに系統的に議論することができるかが今後の課題でしょう。
そして看護基礎教育の現場や精神科医療の現場では、将来の看護師を目指す学生らに、「精神科で働く前に他科で技術を身に着けてから」という定型的な発想に押し流されないようしっかり説明してあげられる人が少しでも増えることを願っています。
※心身二元論(=実体二元論)
実体二元論(じったいにげんろん、英:Substance dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、とする考え方。ここで言う実体とは他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言い、つまりは脳が無くとも心はある、とする考え方を表す。ただ実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではなく、一般に次の二つの特徴を併せ持つような考え方が実体二元論と呼ばれる。
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