面接者、訪問看護師、会社経営者として東京で体験した2011年3月11日
看護助手面接
あの日の午後は、都内の大学病院で看護助手さん数名の面接を行っていました。
面接用の部屋に入ってくる看護助手さんは、緊張や何を聞かれるのか?という警戒もあったのか、看護助手さん方は、入室時ほぼ笑顔はなく、混沌とした表情でした。
簡単な自己紹介の後、個々の仕事に対する意気込みや姿勢を聞くと、表情は徐々に熱意ある雰囲気へと変化し「自信を持って仕事をしている」と感じ取れました。
経営者でもあり、看護師でもある自分だからこそ、看護助手さんの大切さは理解している。故にチームメンバーには欠かせないポイントをチェックしていました。
結果、
「この人達となら大丈夫」
と徐々に確信を持てる人が増えていき、一人、また一人と面接を進めるごとに高揚していました。
次の面接者を呼び入れ、会話がスタートした所、間なしに「地震」がおきました。
最初は看護助手さんと目を見合わせて「地震だね」と声をかけましたが、直ぐにおさまるのでは?と根拠のない思いが頭をよぎりました。
所が、次第に揺れも大きくなり、いつもとは違う何かを感じ、扉を開け、周囲の様子を確認すると、エレベーター前に点滴スタンドを握りしめた患者さん、その方を支える看護師、移送途中のベッドに横になる患者さんと、移送する看護助手、それぞれが揺れに耐えながら、しっかりと患者さんの側にいました。
不思議なほど「キャー!」など声を出す人はおらず、病院全体が静まり返り、揺れにより、ビルのきしむ音の方が強く感じられるほどでした。
一本の電話
一旦揺れが収まり、面接中だった看護助手さんに部署に戻ってもらうと、私の電話が鳴りました。
「大変なことになって、どうすればいいんですかー、直ぐに来てくださいー」と泣きながら電話をしてきたのは、訪問看護先の利用者のお母様からでした。
この御宅では、超未熟児のベビーの退院後から訪問看護を行っていましたが、ベビーは人工呼吸器や吸引機を家で使用しています。
とにかくお母様に器械の確認、ベビーの様子を教えてもらえるようお願いすると、器械も動いており、ベビーも無事ではありそうでしたが、かなり取り乱されていたこともあり、伺う旨を伝え、一旦電話を切りました。
残っていた面接者への連絡を病院の方へお願いし、階段を急ぎ降りて、タクシー乗り場へ向かいました。
するとタクシー乗り場には長蛇の列。
地震で皆さん慌てて移動を開始されたのだと気付きました。
これでは時間がかかりすぎると思い、タクシーがつかまりそうな大きな道路めがけて走りました。
タクシー運転手さんとの会話
都心方面へ向かう道路で、タクシーがつかまりました。
タクシー運転手さんも地震を感じ「今日は忙しくなるかもしれないな?」と思っていたところ乗り込んだ最初の客が私だったということでした。
運転手さんにラジオをつけてもらい、地震情報を聞きながら移動しましたが東京の震度5程度ということくらいしかわかりません。
向かう途中の道路は特に普段と変わらぬ様相だったこともあり、タクシー運転手さんは「これなら普通どうりあがれそうだな」「外は特に被害もなさそうですし、問題ないですね」と安心している程、運転手さんも私も、大きな揺れだったけど、東京は案外通常通りなのかもしれないな?と呑気に会話をしていました。
先ほどまでの焦りがかなり消え、訪問先もきっと大丈夫だろうと思い込んでいました。
訪問看護先は高層マンション
渋滞も若干あったものの、思ったほどの混乱もなく1時間程度で訪問先に到着しました。
こちらは高層マンションの最上階。通常4台あるエレベーターが、全て停止中でした。
この時にようやく「そうか、何かあれば階段なんだ。階段はどこから登ればいいのかな?最上階までは果てしないな」と途方にくれながら階段を探し、登り始めました。
この時はまだ、家の中がどんな状況か知る由もなく、ひたすら息を切らせながら最上階を目指した。