No.229 医療法人靖和会 飯能靖和病院 木川浩志 理事長 前編:老人病院をケアミックス病院へ転換

インタビュー

以前から老人病院として地域に根付いていた飯能靖和病院を、

理事長就任後に病棟構成の変換などをはじめとして、大きく様変わりさせてきた木川浩志先生。

その目的や方法をお聞かせいただきました。

医療制度改革への対応

嶋田:本日は医療法人靖和会の理事長、木川浩志先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

木川:よろしくお願いします。

嶋田:まず、貴法人の沿革や特色をお聞かせください。

木川:美濃部都政により老人医療費が無料になり、都内で高齢者が入院する病院が

不足していたことに対応して、昭和55年に私の父親が飯能靖和病院を開設しました。

その後しばらく当院はいわゆる老人病院として運営していたのですが、今から十数年前、

行政主導により本格的な医療制度改革が始まる頃、老人病院単体では将来性が不透明だということで、

当時、他院に勤めていた私が呼ばれ理事長に就任し、経営改革に当たりました。

理事長就任後はまず、神経難病や脊椎損傷などによる重度障害、

あるいは意識障害等により長期間入院を要する患者さんのための特殊疾患病棟を立ち上げました。

それに続き、回復期リハビリテーション病棟や認知症治療病棟を開設したり、

急性期医療も一部担うなど診療範囲を拡大し、現在はケアミックス病院と呼ばれるような体制です。

医学部時代はサッカー三昧

嶋田:続いて先生のご経歴についての質問で、初めに先生が医師になろうとされた動機をお聞かせください。

木川:私が高校生の時に当院が開院しまして、その時から将来の職業として医師を志すようになりました。

嶋田:医学部に進学され、どのような学生生活を送られましたか。

木川:ほとんど部活しかしていませんでした。

小学校の時にやっていたサッカーを、大学に入ってから再開したかたちです。

脳外科医・救急医でありながら、再来患者さんを必ず診る

嶋田:ご卒業後のご経歴をお聞かせください。

木川:恩師の神野哲夫先生、現在、世界脳神経外科連盟の名誉会長であられる先生ですが、

その神野先生に惹かれて母校附属病院の脳神経外科に進みました。

神野先生には医師としての心構えなどを指導いただき、たびたび感銘を受けました。

例えば我々が手術を終え先生のもとへ行き「成功しました」と言いますと

「脳外科の手術で成功とは、患者さんが五体満足で退院された時点で言えることであり、

今は『全力を尽くさせていただきました』という言葉を使いなさい」と、よく言われたものです。

その後、名古屋市内の病院に勤務し、救急と脳外科の新設に関わりました。

そこでも神野先生の信条である「自分が一度診た患者さんが再来されたら必ず自分で診る」ことを

守っていました。

夜間に「風邪をひいて頭が痛い」という重篤感の乏しい主訴の患者さんが来院されても、

ナースから私に連絡が入り、私が診察をしてから内科へ回すということをしていました。

当然、毎日たいへん疲れました。

けれども充実していました。

何より患者さんとの信頼関係を非常に効果的に築くことができました。

そして今から十数年前に当院に呼ばれたことは、先ほど申しましたとおりです。

病棟構成を大転換

嶋田:特殊疾患病棟の設置など、貴院の改革を推進されてきたということでしたね。

入院先が少なくてお困りであった地域の方に、喜ばれたのではないでしょうか。

木川:そうだろうと思います。

病棟の新設・変更に伴い、看護師の構成にも大きな変化が起こりました。

以前は准看護師が8割、正看護師が2割だったものが、今ではその比率が正反対に逆転しています。

嶋田:それにはどのような理由があったのでしょうか。

木川:かつては診療報酬算定のための人員を満たしていれば良いという旧態依然の病院だったのですね。

しかし地域のニーズに応えていくには病棟構成を変えるだけでなく、スタッフの教育も必要です。

それを進めて行った結果だと思います。

看護師確保に奔走

嶋田:正看護師の増員はどうされましたか。

木川:地元から採用しようとしたのですが、医療制度改革の影響で看護師不足が

深刻だったこともあってなかなか集まらず、地方の高校を訪れて相談いたしました。

鹿児島の高校に訪問した時、そちらにも300ほどの病院から同様の依頼が寄せられていたそうですが、

当院だけに卒業生を送っていただけることになりました。

理事長がいきなり訪問するというのは初めてのケースだったようで、インパクトがあったようです。

嶋田:それからは毎年何名か入職されるのですか。

木川:7〜10名ほど入ります。

このような状況が続くと、思ってもいなかったことが起こりました。

すでに当院で働いていた准看護師たちが、自分たちと同世代の若者が正看護師として働く姿を見て

「自分も学校に行きたい」という話をし始め、結果的に正看護師が8割を占めるまでになりました。

現在、当院は彼女たちにとって、看護師として長い人生を生きていくための

最初のステップの病院にあたります。

その重要性を念頭に置き、看護の基礎をしっかり教えられる病院であることを重点課題としています。

看護師の進化への期待

嶋田:先生は看護師に対してどのような進化を期待されますか。

木川:これから先は看護師が今以上に多くのことをしなくてはいけない時代になってくると思います。

その要求に耐え得るための勉強に、喜んで取り組むような看護師を期待しています。

嶋田:その進化に向かって、貴院が何か具体的な取り組みをされていればお聞かせください。

木川:例えば、長期入院されている患者さんを旅行にお連れすることを定期的に行っています。

つい先週も1泊2日で行ってきました。

もちろん患者さんやご家族は非常に喜ばれ感謝されるのですが、

看護師にとっても代え難い経験となるようです。

どういうことかと申しますと、旅行中、看護師は患者さんのオムツ交換など、

毎日の職場と同じように看護をします。

行っていることはふだんと同じですが、旅先であるため、初心に帰るということがあるようです。

つまり、自分がなぜ看護師をしているのかをもう一度考えさせられる場になり、

日々の勤務の連続でおぼろげになっていた目標をしっかり再確認できるということです。

後編に続く

Photo by Carlos