今回は昭和大学横浜市北部病院の門倉先生に、医学生時代に外科医を志された時の意気込みや、
アメリカ留学時に体感された日米の医療の違い、特に看護師の役割の違いなどを語っていただきました。
手術のダイナミズム
中:今回は、昭和大学横浜市北部病院、病院長の門倉光隆先生にお話を伺います。
先生、どうぞよろしくお願い致します。
門倉:よろしくお願い致します。
中:まず、貴院の特徴を教えてください。
門倉:当院は、横浜市北部医療圏の中核病院として誘致され開設した病院です。
中:ありがとうございます。
では、後ほど院長としてのお立場での病院運営や看護師に対する思いなどをお尋ねさせていただきますが、
まず、先生が医師になろうとされた契機や医学部に進まれてご専門領域を決められるまでのご経歴を教えてください。
門倉:医師を目指した理由というのはよく尋ねられる質問なのですが、
子どもの頃は身体が弱く、しばしば親に病院へ連れて行かれる機会が多かったためではないかと思います。
医師の所作を間近で見て、憧れを感じていたような記憶があります。
そして医学部に進学後にどのように専門を決めたかと言いますと、当時はまだ臨床研修制度がなく、
医学部を卒業しますとそのままストレートに自分が目指す医局に所属するパターンでした。
そのため学部の5〜6年生あたりになると「将来自分は何をやろうか」と考え始めました。
病院実習でさまざまな診療科を回る中で、外科、特に消化器外科の手術を見学した時、
侵襲が大きく(メジャーな手術という表現も使われますが)、そのダイナミックな治療に憧憬を感じた、
というのが理由です。
外科教室から胸部外科へ
中:ご卒業後はどのようにご専門を絞り込まれていきましたか。
門倉:その頃は外科の領域が今ほど細分化されておらず、消化器外科、胸部外科、脳外科、小児外科などが
全て含まれている「外科学教室」という講座に入局しました。
そして3ヵ月ごとにローテーションし、
2年目には外部の病院での研修を経て「胸部外科をやりたい」と思うようになりました。
当時はまだ心臓血管外科と呼吸器外科が区別されておらず、合わせて「胸部外科」といっていました。
中:心臓や肺と言いますと、ともに重要臓器で緻密な手術操作が要求されるかと思います。
その魅力を教えていただけますか。
門倉:やはり大きく胸を開くという躍動感ではないでしょうか。
直視下に、心臓の拍動や大動脈、あるいは拡張と虚脱を繰り返す肺が見え、たいへん興味を引かれました。
そしてしばらくすると、心臓血管外科または呼吸器外科の二者択一をする時期が訪れます。
私は肺がん手術への関心が高まっていたため、呼吸器外科へ進むことにしました。
探し当てた生きる道が呼吸器外科医
中:肺がん手術へのご関心は、やはり肺がんによる死亡率の高さによるものでしょうか。
門倉:そうですね。
当時は進行がんの段階にならないと発見できず、肺がん診断後の予後は極めて不良でした。
そうであっても、患者さんに少しでも長生きしていただきたいという気持ちで取り組んでいました。
また医学的な視点からは、手術的に見る肺の様子に個人差が非常に大きいことに興味を持ちました。
肺がたいへんきれいな人もいれば、タバコで汚れた肺の人もいました。
中:お話を伺っていますと、非常にチャレンジングで困難であっても、
興味を持たれたらそれに立ち向かっていくという気概が感じられました。
門倉:自分の生きる道を探し当てたらそれだった、ということかもしれません。
アメリカ留学
中:その後、アメリカ留学をされていますね。
門倉:メイヨー・クリニックでの国際医学会に参加した際、既に留学経験のあった知人から
「ボスに会っていこう」と誘われ訪問してみますと、話が弾んで「お前いつから来れるんだ」と聞かれ、
とんとん拍子に留学が決まりました。
中:メイヨー・クリニックに行かれて、日本との違いなどお感じになられましたか。
門倉:物があふれていることと、何をするにもお金に糸目をつけないことに
カルチャーショックを受けました。
レジデントも日本と違って余裕があるように感じました。
病棟を任されていても17時になると、後のことは当直の医師に任せて帰ってしまうのです。
「それを日本でやったら患者さんがみんな文句言うよ」という感じです。
今でこそ私もスタッフに「早く帰りなさい」と指導しなくてはいけない時代になりましたが、
当時の日本の医師は職場にできるだけ長くいることが美徳とされていました。
中:日本の医師の働き方も変わりつつあるのですね。
門倉:当院では去年から医師もインとアウトの時間をチェックするようしています。
昔は医師がタイムカードを押すなどということは絶対考えられなかったのですが。
アメリカの看護師
中:看護師についてはいかがでしたか。
アメリカの看護師と日本の看護師の違いはありますか。
門倉:日本では今でこそ看護師の業務範囲が明確化されてきましたが、
当時は医師がなんでも看護師に頼んでやってもらっていました。
しかしアメリカでは業務が細分化されていて、
例えば採血だけを担当する専門技術者が病棟を回ったりしています。
患者さんのメンタル的なケアに専念する看護師も配置されていました。
そして医師と看護師が虚飾なく同レベルの立場でチーム医療を組んでいることに感心しました。
中:海外のシステムの良い面はとり入れながら、日本の良さを残していくのがベストだと思います。
ただ、お話を伺っていて、医師と看護師が同レベルとして医療に参加するには、
そのように評価されるように看護師が研鑽していかなければいけないのかなと思いました。
門倉:確かにそうだと思います。
今の看護師に求められることは本当にたくさんあり、大変だと思います。
ただ、逆に言えば、最後の責任は医師が取るのですから、
その医師の責任の下で看護師はできることを積極的に取り組んでいけば良い、という考え方も可能です。
看護師が「私がこれをやって何か起きたら自分で責任とらなくてはいけないのかしら」と考えすぎると
医療の萎縮に繋がってしまうのではないでしょうか。
後編に続く