No.182 病院長 山中太郎様(横浜旭中央総合病院)前編:想像と創造

インタビュー

今回は横浜旭中央総合病院の山中先生に、医療機関のニーズはどのように決まるのかという本質的なお話と、

先生がご専門とされてきたウイルス学の移り変わりなどをお話しいただきました。

医療エンドユーザーの要望を捉える

中:今回は横浜旭中央総合病院、病院長の山中太郎先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

山中:よろしくお願いいたします。

中:まず、こちらの病院の特徴について教えていただけますか。

山中:当院はIMS(イムス)グループという日本で最大規模の医療機関グループの一つです。

昭和50年代、横浜市北西部に造成された若葉台団地の医療ニーズに応えるために開設されました。

中:力を入れている診療科はございますか。

山中:それは簡単に答えられるようで、

実はきちんとご理解いただけるような答えがなかなか難しいご質問です。

と申しますのも、我々がある領域の診療が得意だからといって、

それだけの理由で病院としてそこに投資するわけにはいかないからです。

医療のニーズは誰が決めるかと言いますと、それは医者や医療機関ではなく医療のエンドユーザーです。

では医療のエンドユーザーは誰かというと、一般には患者さんを指すことが多いと思われがちですが、

それも全く正解というわけではありません。

正しくは、日本は国民皆保険である以上、医療費を負担している国民全員です。

国民全体がどのぐらい医療にお金をかけるべきなのかを判断し、

そこから我々医療従事者の労働コストが賄われています。

ですから当院が何に力を入れていくかという方針を公言する前に、

横浜市民が何を我々に求めているのかを、まず感知しなければなりません。

イマジネーションとクリエイション

中:なるほど。

求められる医療ニーズは時代とともに変わっていきますね。

山中:政府の考え方、国民の考え方、地域住民の考え方、さらには国家の経済力によっても、

求められる医療は変わってくるでしょう。

ですから、当院について「強みは何ですか?」と聞かれたとき、実は私自身もよくわからないのですね。

それは、市民が判断することです。

二つの「そうぞう」が求められます。

一つはイマジネーションの「想像」であり、そこからクリエイションする「創造」です。

中:実は昨年、貴院の看護部長にインタビューさせていただいた時、貴院では看護師も含めて

スタッフがなるべく院外に出て声を聞くというようにされているというお話を伺いました。

そのような活動も、いま先生がおっしゃったことと関係しているのでしょうか。

山中:はい。

医療従事者はどうしても医療の中しか見えていないのですね。

我々は常にそこを意識する必要があるだろうと思います。

アメリカのような自由診療であれば「これだけお金を出すからこれだけのサービスを提供してほしい」

という声に応えるかたちで競争が生まれ、その部分のニーズを満たせます。

しかし国民皆保険の日本では、医療は社会インフラです。

ある意味、国民の安全保障のような側面があり、

それに市民の声をプラスαとして加え反映するということだろうと思います。

ただし「市民の声」というものもしばしば個々の欲になりがちです。

個々の欲と公益のバランスのとり方は難しいと、常々考えています。

当地においても若葉台の住民の高齢化が進行する一方で、若年・壮年のメタボリックシンドロームが問題になっています。

それぞれの問題に対応するためにどのくらいの予算を当てられるのか、我々は常に知っておくべきです。

ウイルス学の移り変わり

中:少し具体的な質問になるのですが、先生が携わられてきたご専門領域も、

やはり先にニーズありきだったのでしょうか。

山中:そうですね。

私の専門はB型肝炎等のウイルス学です。

正にいま申しましたことの良い例で、B型肝炎の研究はかつて日本がリードしていたのですが、

バブル崩壊後、B型肝炎研究に予算がつかなくなりました。

当時は私も若かったので「なぜ予算を付けないのだろう?」と不思議でしたが、

今から考えればそれは社会のニーズの変化であり、他の施策に予算が必要だったということでしょう。

医療は間違いなく国民が決めるものであって、その決められた枠組みの中で我々は、

困っておられる患者さんに、すべからく平等にベストを尽くす。

もちろん100%の治癒はなかなか難しく50%、60%が関の山で、

場合によっては20%、30%しか回復できないこともあるでしょう。

しかし20%を21%にする前向きの姿勢と努力が大切です。

最後はハートだと、私は思っています。

中:先生は、なぜ医師になろうと思われたのですか。

山中:私は高校時代、社会学を学んでジャーナリストになりたいと思っていたのですが、

環境的なことなどいろいろありまして、結局は理系に進みました。

大学進学前の医学的な関心は脳の神秘性でした。

しかし、実際に医学部で勉強しているうちに、次第にウイルスへの興味が強くなっていきました。

近年になり、ウイルスを単に病気の原因という負の面から考えるのではなく、実は正の面もあるのではないか

と注目されるようになっていますが、そのような考え方の萌芽は私の学生時代にもありました。

そこに魅力を感じてウイルスを学ぼうとしたのです。

しかし当時ウイルス学にきちんと取り組んでいる教室はありませんでした。

唯一、B型肝炎を研究している教室があったので、そこに入ったという経緯です。

中: ウイルス性肝炎の治療もここ数年で大きく変わりましたね。

山中:私が医者になって33年になりますが、この30年、ものすごいスピードで発達してきました。

私がウイルス学を志したときは「C型肝炎」などという言葉はなく「非A非B型肝炎」で、

医師に就いて大学院生のときにC型肝炎と命名されました。

30年たった今、ご存知のようにC型肝炎は数週間経口薬を飲むだけで治る病気になりました。

間違いなく劇的に進化した分野の一つと言えるでしょう。

それは我々を含めた肝炎学者、ウイルス学者が頑張った結果でもあり、

同じことが多くの分野で起きています。

後編に続く

Interview Team