No.181 病院長 小澤幸弘様(三浦市立病院)前編:三浦半島南端の地域医療

インタビュー

今回は三浦市立病院の小澤先生に、病院の立地と特徴の関係、医学生時代のエピソードと

食道外科医になられた経緯、院長としての病院改革の取り組みなどをお聞かせいただきました。

三浦半島の南端で

中:今回は三浦市立病院病院長の小澤幸弘先生にお話を伺います。

先生どうぞよろしくお願いいたします。

小澤:よろしくお願いします。

中:まず貴院の特徴を教えてください。

小澤:当院は神奈川県三浦半島の最南端に位置する三浦市という漁業と農業の町にある唯一の病院です。

136床と比較的小規模ながら、地域に密着した中小病院です。

園児の頃の入院体験

中:後ほどもう少し詳しく貴院の特徴や看護師へのメッセージなどをお願いいたしますが、

まずは先生が医師になられた動機をお聞かせください。

小澤:幼稚園の頃に腎炎のため2か月近く入院した経験があります。

後から振り返ると、その時に子供ながら「医師になろう」と思っていたように感じます。

また当時、アメリカのドラマをよくテレビで放送していまして、

その中に「ベン・ケーシー」という医療ドラマがありました。

それを観ていた影響もあります。

中:幼稚園という小さな頃の夢を叶えられたのですね。

なかなか稀有のことではないかと思います。

では、医学生時代の思い出や、ご専門領域をお決めになった経緯をお聞かせください。

小澤:学生になるとラクビーを始めました。

6年間ラグビーに明け暮れ、学生生活を満喫していました。

そんな学生時代に尊敬できる先輩に出会いました。

その先輩は外科医でした。

私もその後についていくように外科へ進んだというわけです。

食道外科はキングオブサージェリー

中:外科の中でも食道外科を専門にされていたそうですね。

当時、外科では食道が最も難しい領域でした。

胸部はもちろん頸部と腹部も開いて、病変を切除し再建するという侵襲の大きさから、

私の師匠は「食道外科はキングオブサージェリーだ」とよく言っていました。

その言葉に誘い込まれるようにして食道外科を選びました。

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中:手術が難しいチャレンジングな領域を選ばれるには、相当な決意がおありだったのではないでしょうか。

小澤:いろいろな人との出会いの中で流れに身を任せて進んでいった結果として、

チャレンジングにならざるを得なかったという面もあります。

ただしその後、食道外科一本でいた時に、救命救急センターに出向した時期があります。

ちょうどその時期に神戸の震災やサリン事件がありました。

当時は外傷外科や災害医療という分野が未確立の時代でしたから、すぐに神戸に行き

手探りで災害医療の現場を経験したり、サリンのような事件への対応を検討したりしました。

その時の体験も大変チャレンジングなものでした。

そのような体験を通して、食道という一領域専門の外科医に戻るよりは、それまでの自分の経験を

全て生かせるような環境の方が自分にはあっているだろうと考えるようになりました。

そうこうしているうちに当院外科部長の声がかかり、勤め始めました。

そのまま当院で定年を迎えるつもりだったのですが、

前院長の異動によって私が院長を務めることになったという次第です。

三浦ならではの地域医療

中:臨床医から院長という病院経営をされるお立場になられ、大変さや楽しさがあるのではないでしょうか。

小澤:経営者という立場になったものの、利益を追求する能力が私にはありません。

そこで、この地域で当院は何をしなくてはいけないのか常に考えるようにしました。

地域からの要望に応えていく中に、病院経営に利することもあるのだろうと思ったのです。

その一つは、今よく言われるところの「地域包括ケア」です。

現在、地域包括ケア病床が制度化されて保険点数が上乗せされるようになりましたが、

我々は以前から「三浦ならでは」の地域医療を確立しようと目標を掲げ、

保健、医療、介護を地域で一体化するかたちを目指してきました。

当院もその中心的な機能を果たすことを志向してきました。

幸い、その活動がいま、地域包括ケアとして評価されるようになっています。

中:地域をきちんと見て、将来を見据えて住民のニーズをとらえる力も、経営者の大事な資質なのですね。

小澤:そうだと思います。

当院のような公立病院は不採算部門を安易に閉鎖するわけにはいかず、

それでいてかつてのように税金での補填は難しくなっています。

その中で経営を成り立たせなければいけないという、二律背反の重荷に押し潰されそうなのが、

多くの公立病院の姿ではないでしょうか。

リバイバルチーム

中:そういったプレッシャーの中では「地域を守る」という強い意志がなければ、

院長職を続けるのは難しいのではないでしょうか。

小澤:それは確かに必要だと思います。

「この地域に当院がなければならない、それはなぜか。どのように経営を成り立たせていかなければいけないか」ということを、強く思っています。

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中:そのような環境において、どのようにスタッフと問題共有されていますか。

小澤:院長に就任後しばらくは経営も苦しく、医師も看護師も数が不足しがちという状況において、

最初に試みたことは「リバイバルチーム」の立ち上げです。

院内各セクションのスタッフから病院改善のアイデアを出してもらい、

それを一つ一つ実行していくという取り組みです。

その地道な活動により、経営も少しずつ改善してきました。

後編に続く

Interview Team