今回はJCHO横浜中央病院の藤田先生に、地域包括ケアの先端をいく病院の特徴、および
その特徴とも関係する先生のご経歴についてお話しいただきました。
先進の地域包括ケア
中:今回はJCHO横浜中央病院、病院長の藤田宜是先生にお話を伺います。
先生、どうぞよろしくお願いいたします。
藤田:よろしくお願いいたします。
中:まず、貴院の特徴をお聞かせください。
藤田:当院は厚生労働省医政局が所管している病院で、JCHOという名前で呼ばれますが、
正式名は独立行政法人地域医療機能推進機構です。
法人の役割として地域医療機関との連携を強く打ち出しており、
当院も横浜市近辺の病院や家庭医の先生方と協力し、
横浜という地域内で医療を分担して完結させる、いわゆる「地域医療構想」の一角を占めています。
周辺には大学病院も含めて高度急性期医療を手がける大規模病院が複数あり、
それらの病院で超急性期を脱したものの、まだ病状が不安定な重症患者さんを主に当院でお引き受けしています。
このような位置付けが、当院の特徴と強く関係しています。
つまり「患者さんが危機を乗り越えたらあとは関係ない」というのではなく、
その患者さんの退院後の生活を見据え、入院された時点から治療計画を立てます。
近年になって地域包括ケアの推進が叫ばれていますが、
当院ではずっと以前からそれを実践していたことになります。
そのため昨今、全国各地の医療施設から当院への見学が絶えません。
中:具体的にはどのような取り組みをされているのでしようか。
藤田:患者さんが入院されると、入退院を調整する看護師とソーシャルワーカーに加えて
薬剤師、検査技師、栄養士、理学療法士等、全職種のスタッフが週に1回、
昼休みに病棟に集まりカンファレンスを行います。
そこでは、患者さんがどのような状態で退院を望んでいるのか、生活環境や家族構成はどうか、
ご家族は何を希望しているのかなどの情報を整理し、最善と思われる方向性を模索します。
その結果「この方にはこの段階でお帰りいただき、あとは家庭医の先生に診てもらおう」と方針が決まると、
家庭医の先生とご家族にご来院いただきカンファレンスを行います。
そしてご自宅に手摺りを取り付けるといった工事も、退院されるまでに終わらせます。
要は、病気を治すだけでは不十分だということです。
入院中にせっかくトイレへ歩いて行けるまで回復したのに、
帰宅したらそれができず寝たきりになってしまっては元も子もありませんから。
腎臓内科医として奮闘
中:貴院のそのような特徴は、病院長としての先生のお考えも反映されているのではないかと思いますので、
ここで先生のご経歴についてお伺いしたうえで、改めて病院運営のお話をお聞かせください。
まず、医師になられようと思われた動機や、ご専門領域を選ばれた経緯を教えていただけますか。
藤田:小学生のときに文部省推薦図書のシュバイツァーの伝記を読んで、子ども心に
「かっこいいな。同じように頑張ってみたいな」と思ったことが最初のきっかけだと思います。
そして医学部に進みますと当時、最先端を突き進んでいるのは免疫学でした。
私も膠原病の原因とされる免疫異常に興味をもち、また自己免疫疾患との関連性から腎臓病学にも魅力を感じていました。
どちらにすべきか迷いましたが最終的に腎臓内科を選びました。
中:その後、腎臓内科領域もかなり進歩されたと思いますが。
藤田:そうですね。
医学研究の分野は、ある程度細かいことがわかってくると、
それでまたわからないことが見えてくるようなところがあります。
山登りと同じで「あそこが一番高そうだから登ろう」と行ってみると、
隣にはもっと高い山が見え「ここはもういいから次はあっちだ」と移動していくような流れです。
腎臓病学はまだこれが続いています。
私も60歳手前まではその流れの中、大学病院などで腎臓病研究者として頑張ってきました。
60歳で研究にひと区切り
中:「60歳手前までは」とおっしゃいますと、その後はどのようなご経歴でしょうか。
藤田:大学病院に勤めていた当時は集まってきた患者さんを治療し病状が少し改善するだけで、
自分が役立っているという満足を感じていました。
しかし考えてみると、多くの腎疾患は継続的な管理が必要ですし、対症療法でなく原因治療が求められます。
実際、現在では分子生物学や遺伝子研究などから新しい治療法が登場してきています。
それらを臨床に生かすには基礎から勉強し直さなければいけません。
「自分のこれからの限られた人生ではとても追いつかない。
自分よりももっとフレッシュな頭の人が頑張ってくれるだろう」。
そのように考え、大学での研究に一段落つけることを決めました。
中:研究の第一線からは退かれ、他の面での活躍を期されたということですね。
藤田:歳をとっていないとできない仕事も必ずあると思うのです。
例えば、患者さんにお話するとき若い医者がこんこんと説明しても、
高齢の患者さんは「ふーん、そうかい」という顔をします。
ところが白髪混じりの医者が全く同じ話をすると大変ありがたがられます。
院長就任
中:なるほど。
患者さんからの見た目で医師の信頼度が変わってくるということですね。
そのようにお感じになられたのが60歳ぐらいの時だったのでしょうか。
藤田:そうです。
大学で腎臓内科の部長として、ある程度マネジメントを経験していた頃です。
ある時、当時の学部長から「大学関連病院の院長にどうか」というお話をいただきました。
先ほど申しましたように研究に区切りをつけ、これから患者さんの疾患だけでなく
その人がハッピーになるような医療をしたいと考えていた時期でした。
そのような医療は高度急性期医療に特化した大学病院よりも市中病院のほうが適していますので
「いい話だな」と思い「ぜひやらせてください」と答え、当院の院長に就任しました。
中:実際に院長になられ、事前のお考えとの相違はありませんでしたか。
藤田:思っていたとおりで、大学病院にはない良さがたくさんあります。
今は院長として、私が来る前から続いている当院の良さをもっと伸ばしていくような環境づくりを
していかなくてはいけないと感じています。
横浜の多様性の中で
中:冒頭で貴院の特徴を解説いただきましたが、地域における特色などを、
もう少し詳しく教えていただけますか。
藤田:当院は隣接している4方向の地域それぞれが、かなり特徴的で異なる環境です。
市役所や横浜スタジアムに面している北側は昼間人口が多く、ビジネスマンが昼休みや夕方に来院されます。
南側の本牧や山手方面は比較的、経済的にゆとりのある方の住宅街です。
またJR線の西側には社会的生活弱者と呼ばれる方が多くいらっしゃいます。
そういった方が来院され、退院にあたり当院で生活保護の申請をされることもしばしばあります。
東側は中華街ですから、中国籍の方がたくさんいらっしゃいます。
当院の外来ロビーでは毎日、中国語会話が聞こえてきます。
中:そうしますと、言語のサポート体制を整える必要がありますね。
藤田:単に「中国語と日本語ができます」という通訳では不十分で、
医学用語を理解して診療に立ち会える医療通訳者が必要です。
当院では複数の医療通訳者を配置しています。
中:今後、在留外国人はますます増えていくことが予測されていますので、
貴院が外国人診療のモデルケースとして取り上げられることもあるのではないでしょうか。
藤田:既に、厚労省の審議官や国会議員がヒアリングに来院されたこともあります。
なお、今しがた中国のお話をしましたが「港の見える丘公園」の隣には韓国の領事館があり、
韓国籍の方が大勢住んでいらっしゃいます。
後編に続く