No.121 李 道江様(村田病院)前編:看護師が営業に回るから患者さんを受け入れられる

インタビュー

今回は村田病院の統括管理部長、認定看護管理者でもいらっしゃる李 道江様にインタビューをさせて頂きました。

李管理部長の手腕と魅力に迫ります。

 

子供の頃から勉強が好き

 

看護師になろうと思ったきっかけを教えてください。

 

李:私の場合、ちょっと変わっていますが、子どもの頃からとても勉強が好きでした。

色んなことを知りたいという好奇心がとても強い性格で、高校時代は大学に進学したいという一心でした。

大学に進学するにあたって、両親に相談した時、大学に行く目的は何なのかということを問われました。

勉強がしたいというだけで、私には目的がありませんでした。

目的がないのに大学には行かせられないことと経済的にも難しく、大学進学を半分諦めかけていた時、就活としての施設見学実習がありました。

病院と銀行と商工会のいずれかを選ぶわけですが、病院というのは自分が関わったことがなかったので、病院へ見学に行きました。

その時に初めて実際の看護師の仕事を見ました。そして一番の魅力は看護学校に行きながら仕事ができることでした。

収入を得ながら勉強させてもらえると聞いて飛びつきました。

なので最初から看護師になりたいと思っていたわけではないですね。

 

看護師だけができるもの

 

実際働きながら、学校に行ってみていかがでしたか。

 

李:看護学生時代は、午前中に仕事をして、午後は学校に行き、夜はまた働いての繰り返しでした。

そうした中で本当に看護師をやっていくと心に決めた思い出が学生時代にありました。

ある50代前半の入院患者さんとの出会いでした。

末期の肝臓癌の方で、奥さまのご意向で絶対本人には告知しないでほしいということでした。

今では考えられませんが、その時には告知しないことが当たり前だった時代でした。

ご本人様は、自分の病気に対して疑いをもっており、自分には家庭があり、もし癌であれば、最後にやらないといけないことがたくさんあるため、告知をしてくれと頻りに仰っていました。

しかし、私たちは「いや違うよ、大丈夫だよ」としか、言いようがありませんでした。

病状は刻々と悪くなります。

患者さんからは、泣いて懇願されたり、時には怒りをぶつけられました。

それでも、奥さまは徹底して絶対に言わないでほしいと仰います。

治療の望みがない方、告知ができてない方に対して、医師の足は遠のいていきます。

毎日診に来ていましたが、患者さんから言われることにもう答えようがなくなるとのことで、週に2回とか3回になっていきました。

しかし、看護師の患者さんとの関わりは24時間です。逃げられません。

患者さんに傾聴し共感して、何とか患者さんの不安な気持ちを取り除いてあげないといけないということが、一番の目標でした。

それができない未熟さにジレンマを強く感じました。

その中で最終的にお亡くなりになり、ずっとそれが、私の中で今でも心残りとなっています。

告知すれば楽ですが、告知したらもっと大変なことが起きていたかもしれません。

答えはないかもしれませんが、その時の自分の未熟さと同時に、患者さんに共感して、一番の望んでいることを叶えるしんどさというのが、医師には難しいのだと感じました。

マイナスな経験ですがそれは、看護だけができるものであると考えています。

これは私の中でずっと忘れられないことで、看護師として頑張って行こうと心に決めたきっかけとなっています。

 

華やかで楽しかった学生時代

 

学校で仲間関係や楽しかったエピソードを教えてください。

  

李:准看2年と、その後に正看3年という形で学校に行かせていただきました。

准看の時には、皆さん働きながら学校に行きます。時間もなく、本当に勉強だけして、帰るという形でした。

正看の学校に行った時には、様々な共有をすることがたくさんできました。

実習など、とても大変でしたが、患者さんの症例を通して仲間と議論したこともありました。

みんなが看護師になるという大きな目標があった学生時代は華やかで、私にとって一番大事な時期だったと思っています。

卒業して実際に看護師になってから、みなさんが口を揃えて、学生時代に戻りたいと言います。学生時代はたったの3年しかありません。ぜひとも色々なことを学んでほしいと思います。しっかり勉強することは、とても大事なことだと思っています。

 

実習先での印象に残る思い出はありましたか。

 

李:心療内科で20代の患者さんと出会いました。

自分自身のアイデンティティをきっちり確保できない病気でしたが、私には心を開いてくださった実習でした。

初めは壁だけを見つめて、人との対人関係が難しい方でした。

その方との3週間の関わりで、一緒に外出し、話ができるようになったという経験をしました。

精神面の普段は見えない看護が、大事な部分だと思っています。

実習はどの科も楽しかったですが、この経験が一番印象に残っています。

 

脳神経外科が分からなければ始まらない

 

最初の就職先は何科でしたか。

 

李:最初は脳神経外科に配属となりました。

看護師のほとんどが、脳神経外科と循環器は不得意とすることが多いと思います。

一番難しいと言われていますが、実際はこの分野が看護の基本となるところです。

実は、私も脳神経外科が大の苦手でした。

始め脳神経外科に派遣された時は、とても困惑したことを覚えています。

当院は、たくさん面接に来ますが、当院が脳神経外科に特化している病院だという理由で選んで来られた方は、とても貴重な存在だと思います。

 

営業回りも看護師の仕事

 

総合病院に就職しましたか。

 

李:はい、その後に手術場に行きました。

そこも大の苦手でした。

私は消化器外科が希望でしたが、結局行くことはありませんでした。

しかし、脳神経外科のICUと手術場を経験することにより、大変勉強させて頂きました。

脳神経外科の患者さんは、けいれんを起こしたり、突然出血したり、悪化したりと前兆がほとんどなく急変することがあります。そこで普段の看護師の観察がとても大事になってきます。ちょっとした変化を捉えること、それが何を意味するのかを判断する能力は絶対に欠けてはいけない基本能力だと思っています。

 

総合病院の後はどこの病院に行きましたか。

 

李:そのあとは、家庭の事情で八尾の方に引っ越しました。

そこで回復期リハビリテーション病棟に勤めました。

その時はまだ病棟が認可されていなかったため、立ち上げから入りました。

それに関連して、看護師と兼務として地域連携課をさせていただきました。

急性期病棟を持っていなかった病院であり、他病院から紹介を受けないと入院ベッドが埋まらないため、様々な病院との連携が必要でした。

急性期病院を全部回り、自病院の特色や今のベッド状況など、どういう患者さんを受け入れられるかアピールしていかないといけないので、多いときは1日に7件、8件の病院を回りました。

ほとんど営業マンです。

 

看護師になって、なかなかそういう仕事しないですよね。

 

李:看護師がやることによって、受け入れることができるという判断が即時にできます。

患者さんの情報をいただき入院判定として患者さんとご家族にお会いすることが大切です。そして、その方の回復する力の有無や当院の看護体制として受け入れが可能かの判断が即時にできるので、すぐお返事ができるメリットがありました。

 

 

後編へ続く