今回は関西ろうさい病院の平井三重子看護部長にインタビューさせて頂きました。
大所帯である看護部を率いていらっしゃる平井様の手腕に迫ります。
人生で初めての一大事
なぜ看護師を目指されたのでしょうか。
平井:体育の先生になりたかったのですが、高校3年生の時に病院を受診する機会があり、その際に関わって下さった看護師の優しさと笑顔にとても癒されました。
その時に看護師という職業は素敵だなと思い、急遽進路を変更しました。
親戚に看護師がいましたし、病院の看護師のイメージがとても良かったので、その時は希望に満ち溢れていました。
学校は実家の近くに進学されたのですか。
平井:実家は愛媛県なのですが、岡山県の看護専門学校に進学しました。
3年間岡山の学校で学ぶと愛媛県で就職できるという制度がありましたので、岡山県の学校を選びました。
看護学生時代のエピソードを聞かせていただけますか。
平井:自分でも予想していなかったのですが、親元を離れて生活をするのが初めてだったので、ホームシックになりました。
宿舎の屋上から海を眺めて「実家はあの辺りかな」「辞めて帰りたいな」と思いながら過ごしていました。
帰省し、「学校を辞めたい」という気持ちを伝えた時の両親の驚く顔を今でも鮮明に覚えています。
私は前向きで活発な子だったので凄く驚いたのでしょう。
その時に両親に言われた「辞めてもいいけれど、考えてみれば長い人生の間の3年間。
看護師免許を取ってから辞めても遅くないのではないか」という言葉で温かい気持ちになり、家族や友達に支えてもらいながら3年間過ごすことができました。
この出来事が、その後たくさんのことを乗り越える基盤になっています。
そうだったのですね。では、卒業後は予定通り愛媛県に戻られたのですか。
平井:はい、愛媛労災病院に就職しました。
しかし、労災病院は全国に34の病院があるので転勤があります。
愛媛労災病院のあとは関西ろうさい病院で副看護部長、新潟労災病院で看護部長、大阪労災病院、東京労災病院と転勤し、今年の4月に再び関西ろうさい病院に戻ってきました。
頭を使い、まず自分で考えるということ
看護師1年目はどこの部署に配属されましたか。
平井:希望が通り、手術室に配属されました。
手術室ということは、1年目からたくさん学ぶことがあったのではないでしょうか。
平井:手術室で初めに教えてもらったのが「頭を使うこと」「まずは自分で考えること」という2つです。
先輩看護師からは、ただ分からないことを質問するのではなく、まず自分で勉強して「ここが分からないので教えてください」という学ぶ姿勢を教えてもらいました。
「頭をつかう」「まずは自分で考えること」が手術室では重要なことなのですね。
平井:そうですね。
例えば術式の展開を勉強しておけば「医師は次にこの器械が必要になるだろうな」と頭で考え先読みし、タイミングよく手術器械を渡すことができます。
これが先輩達から学んだ、きちんと勉強したことを実際に頭を使って生かすということです。
仕事中は厳しく、仕事が終わると優しい先輩方でした。
振り返ると、本当に多くの人との出会いがあり、たくさんのことを教えてもらいました。
その方々の支えと、諦めずに歩み続けたことで今の自分があると思います。
看護学生時代は大変なこともありましたが、それを乗り越えて働き始めるといろいろなことが新鮮に感じる日々でした。
成功が次への力になる
手術室の他にはどのような部署での経験がありますか。
平井:手術室で2年働いた後、病棟、ICU、外来それから訪問看護も経験しました。
いろいろな部署を経験されて、印象に残っている患者さんはいらっしゃいますか。
平井:病棟勤務の時に出会った外科の患者さんが印象に残っています。
注射の練習は看護学生の時にしていましたが、初めて実際の患者さんを目の前にすると手が震えて手順も分からなくなってしまいました。
その時、患者さんが「大丈夫、心配しなくてもいいよ。失敗してもいいからやってみて。」とおっしゃってくださり、その言葉で不安を乗り越えて実施できました。
とてもありがたかったですし、成功を体験すると次も頑張ろうと思うことができました。
すてきな患者さんですね。
では、どのタイミングで管理職へなられたのでしょうか。
平井:労災病院は、経験5年目から昇任試験という管理の道に進むための試験を受けることができます。
私は上司に勧められて5年目でこの試験を受け、看護師長補佐になりました。
「管理職とは」職務を理解するまでには時間が必要だった
師長補佐とはどのような役職なのでしょうか。
平井:看護師長の命を受け、看護師長を補佐する業務や臨床実習指導者としての役割を担います。また看護職員の役割モデルとして目指す看護を実践します。
頭では分かっていてもなかなか行動と結びつかず、この職務内容を理解するのに時間がかかりました。
看護師長補佐としてどこの部署に配属されたのですか。
平井:看護師長補佐として初めに配属されたのはICUだったのですが、まずはICUの開設から関わりました。
私を含め、スタッフは他病院に研修に行ったのですが、何かご縁があったのか私はこの関西ろうさい病院で1ヶ月間研修を受けました。
ICU開設から軌道に乗るまでには本当にいろいろなことがありましたが、みんなでこのICUをどのように作り上げていくのか、医師を含めて意見を交わしながら進めていったのは楽しかったです。
またこの経験が自分自身の強みになりました。
訪問看護室も開設にも携わられたのですよね。
平井:ICU開設から6年後に、次は訪問看護室を立ち上げてほしいと病院から依頼を受けました。
その際も他病院で訪問看護についての研修を受け、訪問看護室の開設から関わりました。
またその当時、ケアマネージャーという資格が新しくできたので、一期生としてケアマネージャーを取得しました。
病院では物品が揃っていることが当たり前なのですが、在宅看護では物品を在宅用にアレンジしていかなければなりません。
在宅看護についての研修は受けていましたが、知識と実際の現場にはギャップがあります。
しかし、「百聞は一見に如かず」ですから、訪問看護を経験しながらたくさんのことを習得していきました。
「人生は挑戦」学ぶべきことはまだある
看護師長補佐から看護師長へなられた時はどのように感じられましたか。
平井:循環器病棟で看護師長になったのですが、その時は本当に私がこの役職を受けてもいいのだろうかと思いました。
看護師長になられて何か気付いたこと、感じたことはありましたか。
平井:看護師長の職務内容を頭では理解をしていたのですが、実際に自分がその立場になるとどうしたらいいのか分からなくなってしまいました。
看護師長になると看護部長の命を受け、各部署の責任者として看護職員の指導監督を行い、部署の看護管理について責任と権限を有しなければなりません。
私の中には「人生は挑戦」というキーワードがあるのですが、この時、私は看護管理をもっと学ばなければならないと思いました。
その頃に丁度、転勤してこられた新しい看護部長が教育に力を入れている方だったので、日本看護協会の認定看護管理者の研修へ行かせてくださり、ファーストレベル、セカンドレベル及びサードレベルの3過程を受講しました。
研修のメンバーは看護副部長や看護部長ばかりでしたから経営のことなど、看護師長の私には分からない言葉が飛び交っていました。
しかし、「分からないのならここで学ばせてもらおう」「これも挑戦」と前向きに捉え研修に向かううちに、少しずつ経営の知識が増えてきて「現場でやっている事」「理論」「自分の経験」が全てマッチする感覚を得られるようになっていきました。
そして認定看護管理者の資格を取得したのですが、自分にはまだこの役職に似合っていない、まだまだ学ぶべきことがあると思い、自ら大学に進学することを決意しました。
大学ではどのようなことを勉強されたのですか。
平井:大学では、医療だけでなく福祉、保健についても学べる健康福祉学科を専攻しました。
看護では教科書やマニュアルから学ぶ形式知から、その知識を元に実証、経験の下で得られる暗黙知が必要と言われています。
大学では様々な知識を持って経験していくことで看護の幅を広げていくことができました。
実は現在も大学院に在学中で、学び続けています。
看護師の仕事をしながら大学へ行くのは大変ではありませんか。
平井:大学はeスクールと言ってインターネットで授業を受けられるシステムだったので、仕事を続けながらスクーリングの時だけ大学に行きました。
初めは新しいことの連続で大変でしたが「だめだったらまたその時に考えよう」と思い、まず1年間がんばってみました。
そして少し流れがつかめてきた大学2年目に看護副部長としてこの関西ろうさい病院に転勤になりました。
組織風土は分からないし病院の規模は約2倍、そして看護副部長という新たな役職に再び「私にできるだろうか」と思いましたが、私はどちらかというとポジティブ思考なので、ここでも「やってみないと分からない」と気持ちを切り替えました。
経験は全て財産
大学で勉強をしながら看護副部長として転勤というのは大変だったと思います。
違う病院で管理者として働く上で気を付けてらっしゃったことはありますか。
平井:周りからはよく「大変ですね」と言われるのですが、私は「経験は全て財産」だと思っています。
各病院にはそれぞれの看護のあり方、組織のあり方がありますが、基本的に目指しているところは、どの病院も同じです。
その病院が地域の病院として目指すものはなにか、どのような看護のあり方を目指しているか理解したうえで、自分の経験を元にアレンジを加えていきます。
そしてもう一つは、各組織には代々良いものが受け継がれている組織文化があるので、それを見極め大切にして物事を進めるようにしています。
管理には意思決定がついてきますが、振り返ってみると認定看護管理者教育課程や大学で学んだいくつかの理論、改革の手法を自分の主軸として常に持っていることが強みになったのかなと思います。
後編に続く
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No.96 平井 三重子様(関西ろうさい病院)後編:スタッフ一人一人に浸透するように語りかける