No.88 花岡 澄代様(加古川中央市民病院)前編「新しいことを開拓していく看護人生」

インタビュー

今回は加古川中央市民病院の理事であり、副院長・看護部長でもある花岡 澄代様にインタビューをさせて頂きました。

看護部長、副院長としてご活躍中の花岡様の手腕に迫ります。

恩師の言葉が道しるべ

看護師になろうと思った理由はどのようなものでしょうか。

花岡:私が小さい頃は女性が生涯職業を持つとすれば、教師が第一選択でした。

中学3年生の担任から、これからは女性も手に職をつけて一生やりがいのある仕事をもっていかなければならないという事、また看護師はそういう意味においてこれからの仕事としてよいと言われた事が一つの道筋になりました。

看護師になるためにも高校は進学校に進みましたが、進学校から看護師の学校に進む事はあまりポピュラーではありませんでしたので大変でしたが、自分で色々と調べて神戸大学医学部の附属看護学校に進学しました。

看護学校に進んでからも、思っていた以上に素敵な仕事だったので、迷う事なく今まで真っ直ぐに進んでくる事が出来たと思います。

学生時代の印象深いエピソードを教えてください。

花岡:看護学校は割と自由な校風でした。

とにかく何事にも、自由な発想で物事を進めることができる環境であったと思います。

いつも、「なぜ?」「どうして?」と考えることが求められました。

また、目的を達成するための方法は、色々なやり方がある。

どうすれば一番良い方法で目的が叶うのか、自由に考えて答えをみつけなさい。そうしたことを教わったように思います。

そのおかげで自分でも知らないうちに、しっかりと根拠をもって、どうすれば効果的なのかを考え実践する事を身に付けることが出来たと感じています。

自分の看護観を認識した新人時代

学校を卒業されて病院を選ぶ時はどのように選ばれましたか。

花岡:卒業後は同級生達と一緒に、とある大学病院に就職しました。

素晴らしい歴史のある大学病院でしたが、私が学生時代の実習の中で築いてきた看護との違いに戸惑うことが多くありました。

もちろんその違いから学んだことも多くあったのですが、学生時代の恩師にも相談をして、学生時代に実習をさせて頂いた神戸大学の病院に戻りました。

そこでの看護は自分がイメージしていた通りの物だったので、迷いを持つことはなく、そのまま働くことが出来ました。

こちらに来たのが二年半前ですので、それまではずっとそこで仕事をしていたことになります。

神戸大学の病院に戻ってからのはじめは何科に配属となりましたか。

花岡:学生のときから憧れていた脳神経外科病棟に配属させていただきました。

五年弱ほどそこで関わらせていただいて、非常に良かったと思っています。

というのは、今の私の看護はその時の知識や経験の上に成り立っており、看護師としての基軸となっているように感じるからです。

医療情報部門で学んだこと

その後はどのようなキャリアを積まれたのでしょうか。

花岡:私の経歴はかなり変わっているかもしれません。

私は、脳神経外科での看護にやりがいを感じていて、患者さんとの関わりの中からも沢山の学びを得られていたため、ずっとそこで看護師を続けていこうと思っていました。

でもある時、看護部長から「コンピューターは好きか」と声をかけられて、医療情報部という病院内の医療情報を構築していく部門に配属されたのです。

それからは、そこと病棟とを兼務する形になりました。

ちょうどその頃は医療の世界にコンピューターが入り出した頃でしたので、その時代に医療情報に携わっている看護師は少なかったと思いますが、院長主導で進められた医療情報の電子化に関わった形です。

経験のない仕事でしたし、忙しかったですが、その中で特に学んだことは物事を客観的にみる力や情報を分析する力、そして色々な物の意味を考える力が身についたと感じます。

実際に同僚からも「物事を俯瞰的にみる力が強い」と言われたこともあります。

看護管理者としても大いに役に立つ力を得られたと思います。

何年ほど、医療情報部でお勤めになったのでしょうか。

花岡:本格的にしていたのは29歳から34歳ごろまでの間です。

師長職についてからも関係はしていましたので、最終的には18年程になるでしょうか。

ステップアップするために応用情報科学も学びましたので、看護管理者という立場ではありますが情報には常に関わってきています。

新しいことを開拓していく看護人生

実際、看護管理者という立場になられたのはいつ頃でしょうか。

花岡: 最初は大学病院の放射線科の師長になりました。

放射線科では肺がんや、肝臓がんを患っていらっしゃる方と関わることが多くありました。

当時は、まだ終末期医療が盛んではありませんでしたが、がん看護専門看護師の方が赴任してこられた事もあって、告知の問題や疼痛緩和に関して学ぶ事が出来ました。

自分の中で経験していなかった部分に触れることになりましたので、看護の広がりを作るという意味で非常に良かったと思います。

管理者になると、臨床からは少し離れてしまいますし仕事の内容も変わってくるように思いますが、それらに関してはいかがでしたか。

花岡:個人的には臨床で看護をしていたいと思っていましたので、看護管理者になって、直接患者の看護を行なわない自分でいいのか、管理者になる戸惑いや迷いは勿論ありました。

しかし、終末期医療のための体制づくりや、医療情報にも関わりがありましたから、患者さんの側にいながら、いかに看護師が情報を活用していくかという事を考えて仕事をしていました。

情報管理の視点は看護管理者としても持っていなければならないものです。

私はそれが得意でしたので、管理者になることは、比較的スムーズに受け入れる事が出来た方かもしれません。

情報管理の仕事を通じて、「いい看護を提供するための環境を整える、そのための管理をどうするか」ということをこの手で実践できることは素晴らしいことだと自然に思えるようになったように思います。

その後も、滅菌センター、物流センター、集中治療センター、臨床倫理委員会、病院統合による新病院の立ち上げに関わってきたことを振り返ると色々と新しいことを始めることが多い看護人生だと思います。

後編に続く

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