No.94 箕浦 洋子様(兵庫県立尼崎総合医療センター)前編「何が足りないかを考えながら学ぶ」

インタビュー

今回は兵庫県立尼崎総合医療センターの箕浦 洋子副院長にインタビューさせて頂きました。

看護部長としてだけでなく、副院長としてもご活躍中の箕浦様の手腕に迫ります。

何もかも吸収する事が出来た学生時代

看護師になろうと思ったきっかけはどのようなものですか。

箕浦:実は高校三年生の頃まで看護師になろうと考えていませんでした。

将来の仕事をどうしようかと考えていた時に「看護師の役割は大きい」と父から話をされたことがきっかけで看護師を目指すことにしました。

勿論私が目指していた分野とは違いましたが、元々性格がおおらかなことも関係してか、チャレンジしてみようと思ったのです。

自分がこの道を選んだきっかけや職業のルーツを考える時には、いつも父の事を思い出して感謝しています。

どちらの学校に進まれたのでしょうか。

箕浦:学校は京都にある国立の短期大学に進学することになりました。

学校で学んでいる間に、何かギャップなどは感じられましたか。

箕浦:学ぶ事はどれも面白いと感じました。

元々期待する事や想像する事が少なかった事もあって、病院の看護師になるという事で必要な事だと素直に受け止める事が出来たのだと思います。

ですが、一年生で実習に出た時には、やる事や教えていただく事を改めて新鮮に感じました。

何もかも吸収する事が出来た実習だったと思います。

患者さんと対峙した時に戸惑う事はありましたが、それもどうすればいいのかを考えることで乗り越えられました。

自分で何が足りないかを考えながら学ぶ

印象に残っているエピソードはございますか。

箕浦:新人看護師として、兵庫県立こども病院に就職した時のことです。

初めに一般病棟に配属となりましたが、何故か子どもにとても拒否されました。

子どもはよく人を見ていて、新人看護師である自分は上手く対応してくれる人ではないという事を心得ていたのかもしれません。

がんを患っていても走って逃げていかれたり、触ると嫌がられたりもしました。

でも、その患児も大好きなベテラン看護師にはくっついて行き、自分で今の症状を伝えていましたし、体温測定にも協力してくれていました。

私は初め、そのような違いを生む自分の看護と先輩の看護の方法の違いがわかりませんでした。

ですが次第に、自分は患者さんの検温をすることに一生懸命になっていて、患者さんが何を求めているのかを考えきれていなかったことに気付きました。

はやく先輩の様に患者さんを捉えられるようになりたいと憧れていたのを思い出します。

先輩の姿を見て、経験を積むことでできるようになることは多いですね。

箕浦:学校を出たばかりでは基本的な事はわかっていたとしても、どのように活用していくかはわかりにくいと思います。

でも、どうしていくべきかを真摯に考える事で次に繋げることが出来るはずです。

そして私が新人の頃の先輩は、非常に厳しい方が多かったですがよく教えてくださりました。

よく「何故この処置をやっているのか考えて」など、声をかけて頂いていました。

そのように自分が考えるきっかけを貰いながら、育てていただきました。

こども病院には、何年程いらっしゃいましたか。

箕浦:スタッフとして5年間こども病院で努めた後に、統合される前の塚口病院へ転勤になりました。

そこでもスタッフとして4年、師長補佐として1年努めたのちに師長になりました。

比較的若い昇進だったと思います。

異動先では成人の脳外科病棟に配属になりましたので、それまでの対象とは全く異なるのですが、最初の5年間で教わったことは脳外科でも活かせていましたし、新しい所ではまた別のことを学ばせて頂けたので、実りある10年だったと感じます。

成功体験が次に進んでいくステップとなった

師長になられた後に、立場の違いを感じたことはございましたか。

箕浦:脳外科病棟で初めて師長を務めさせて頂いたのですが、直ちに取り組まなければならないことは、MRSA感染対策と退職者を減少させることでした。

当時MRSA感染が猛威をふるっている時代で、感染対策は厳重なものでした。今から考えればびっくりするような対策ですが、病棟にいらっしゃる沢山のMRSA患者にガウンテクニックなど防御対策を丁寧に行っていました。

そして、初めて院内の管理者が集まる会議にも出席し、自分の病棟で起きている問題についてどきどきしながら意見を発表しなければなりませんでした。

また、看護師長補佐の頃にも退職者の減少を研究テーマにしていましたが、師長になってからは実際に退職者を減らすために、働きやすい環境をどのよう作ればいいか悩みました。

何か取り組まれたことで印象に残っているものはございますか。

箕浦:MRSAに関する院内感染対策に取り組んだときには、診療部長から毎日呼び出され結果を求められました。

看護部の感染対策を担当していた次長や師長にも協力を仰ぎつつ、何とかMRSAを伝播させない方法を考案し、実際に結果が出た時には、診療部長に「素晴らしいことをした」と褒めて頂くことできました。

改善したことは素晴らしいことだから、その力をこれからも使っていくように、とも激励して頂いて、これは管理者になってから一番嬉しかったことです。

その成功体験が、自分が次のステップを踏む事につながったと思います。

その後はどのようなご経験をされたのでしょうか。

箕浦:師長を11年程経験してから、再度こども病院に移り、看護部の次長兼ICUの師長として3年間経験を積みました。

そのあとは県立病院局の主幹という仕事も就いたのですが、その3年間は主幹業務を週に1日、残りの4日は県立こども病院で働くという生活をしていました。

次長としてもトータルで6年経験を積んだ後に看護部長のお役目を頂きました。

部長として兵庫県立柏原病院で2年お世話になった後は、当院の前身である塚口病院に戻って参りました。

地域医療について深い学びを得た

部長になってからのエピソードを教えてください。

箕浦:部長として兵庫県立柏原病院に入った時は、医師が不足し病院の経営状態も悪い時期でした。

看護師や診療科の削減が行われ、病院を立て直す方法を模索していたので、近隣住民の方は柏原病院を頼ってくださっていたのですが期待に添うことが難しい状況でした。

でもそうした状況だからこそ最初の一年では経営に深く関わることができましたし、病院と地域の関係を深く考えることができ、地域医療に関しても学びを得られました。

私がその病院を離れて10年程経ちますが、その後順調に進化を遂げていますので、とても嬉しいです。

後編に続く

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