今回は共和病院の理事、松下 直美 副院長にインタビューさせて頂きました。
病院の理事、さらに副院長・看護部長として組織をまとめていらっしゃる松下副院長の手腕に迫ります。
人と接する仕事がしたくて
看護師になろうと思われたきっかけを教えてください。
松下:とにかく人と接するのが大好きで、幼い頃から、将来人と接する仕事がしたいと思っていました。
私が幼少の頃から祖母が寝たきりで、母が看護する姿を見てきたことも看護のお仕事を選択する一因にはなったと思いますが、医療従事者を見て影響を受けたというよりは、居酒屋の女将さんやスナックのママさんのような仕事でもいいと思っていたくらいですので、やはり人と接する仕事に興味がありました。
進路を決める時に、保母さんや学校の先生になるという選択肢もあり大学も受験しましたが、最終的に看護の専門学校に入ることにしました。
愛知県内の看護学校に進学されたのですか。
松下:はい、看護学校は名古屋市でした。
もともと岡崎市という德川家康が生まれた街の出身でして、その岡崎から名古屋に引っ越すのは、まるで海外旅行に行くような感じでした。
家から離れて看護学校の寮に引っ越すとき、「今から転出届を出しても手遅れだから、看護学校に入るのは辞めてここでスナック経営をしたら」と、最後まで父が言ってくれたのが印象深く心に残っています。
生きることを学んだ神経内科病棟
卒業後は、どちらの病院に就職されましたか。
松下:東名古屋病院附属の看護学校でしたので、そのまま東名古屋病院に就職し、はじめは神経内科病棟に配属になりました。
神経難病の患者さんがたくさんおられる病棟で、呼吸器をつけている患者さんも多く、文字盤で会話をすることもありました。
印象深く関わった患者さんがたくさんいらっしゃいましたので、今でもその頃の写真は看護部長室の机の上に飾ってあります。
神経内科病棟には、希望して行かれたのですか。
松下:そうです、看護学校の先生に「神経内科は看護の宝。看護師としてやれることがいっぱいあるから、良い病棟だと思う。」と言われ、実習でも本当にそうだと実感しましたので、神経内科病棟を希望しました。
神経内科病棟の患者さんは、看護師の手を必要とされている方ばかりでしたので、看護の力を発揮する機会がたくさんありました。
辛いこともたくさんありましたが、その患者さんたちから、生きることの素晴らしさや、限りある命を精一杯生きることを学ばせていただきました。
神経内科病棟での忘れがたいエピソードを教えてください。
松下:印象深い患者さんのお一人に、筋萎縮性側索硬化症という難病を患っておられた方がいます。
その患者さんは、アンビューバックで呼吸の補助をしないと、CO2ナルコーシスになってしまうほど病状が重かったのですが、ご自分の意志で最期まで呼吸器をつけないという選択をなさっていました。
ある日、私が日勤帯で帰るとき、「また明日来ますから頑張ってくださいね」とその患者さんに声をかけましたが、文字盤で「もう明日はいないよ。もう明日はいないけど、本当に今までありがとう。」と言われました。
やはり翌日仕事に行くとその患者さんはいらっしゃいませんでした。
その患者さんがどんなお気持ちで呼吸器をつけないという意思決定をされたのか、周りのご家族に対する配慮もあったのではないかと考えるととても辛かったです。
心を込めて看護されていたのですね。
松下:その頃まだ若かったので、不用意な言葉しか掛けられませんでしたが、自分の命の最期を感じながら、一生懸命生きていらっしゃる患者さんたちと向き合って看護させていただいたのは、とても思い出深いです。
その様にこの世を去って行かれたお一人ひとりの患者さんの顔は、今も自分の胸の中で生きています。
神経内科病棟では、結婚を機に退職し、その後パートで復帰して退職するまで、約5年間勤務しました。
精神科での再出発
現在の病院に入職されたきっかけを教えてください。
松下:子どもが二歳になるまで自宅にいました。
でも「早く戻りたい、このままだと取り残される」という思いがあり、子どもも可愛いけどやはり看護の事も大事にしていきたい、という気持ちが強かったように思います。
以前の病院にパートで復帰して半年後、通勤に便利な職場を探していたところ、『託児所完備・共和病院』という広告を目にしまして、この病院に来ました。
正直なところ、精神科の病院ということもありはじめは少し躊躇しました。
でも看護の仕事と子育てとの両立を考えた結果、こちらの病院に決めました。
共和病院に入職されてからは、どのような病棟で勤務されたのでしょうか。
松下:共和病院では、はじめはパート職員として内科病棟に配属してもらいました。
実は入職の時、「精神科は自信がないのでとてもできないけど、内科だったら今まで経験がありますので、内科病棟に入らせてほしい」とお願いをしたのです。
精神科病院の中にある内科病棟ですね。勤務されて大変なことはありましたか。
松下:はじめ、民間病院と国立病院に大きな違いがあることを知り、戸惑い、カルチャーショックを受けました。
私が就職した25年ぐらい前には、国の制度で民間病院に「家政婦さん制度」があり、家政婦さんが患者さんの食事の介助や身の回りの世話を担当していました。
ですから、看護師の仕事はバイタルチェックや褥瘡の処置などが主でしたので、「ここには、私のやりたい看護はない」と思いました。
病院を辞めようと思われた、ということでしょうか。
松下:はい、でも仕事と子育てとの両立を考えると、「今は辛抱するしかない」という思いで続けまして、結局、内科の病棟では、約4~5年勤務しました。
しかし、その後まもなく、家政婦さん制度が無くなり、基準看護になりましたので、この病院で頑張って行くことに決めました。
分かり合えない人はいない
内科病棟からどちらに移動されたのでしょうか。
松下:その後、内科病棟から老年期の閉鎖病棟に主任として配属になりました。
老年期の閉鎖病棟は内科病棟と変わらない、と当時の看護部長から言われまして、役職もお受けしました。
そして、老年期の閉鎖病棟の主任をした後、慢性期の閉鎖病棟の師長になりました。
当時の看護部長の手腕として素晴らしかったなと思うことは、内科から老年期、老年期から慢性期と、知らず識らずの内に私がキャリアアップしていたことです。
管理職としてお仕事をするようになって、良かったことはありますか。
松下:役職を引き受けてからは、人をまとめる面白さと苦しさとを感じながら、仕事をさせてもらいました。
人と接するのがすごく好きというのもありますが、きちんとコミュニケーションをすれば「わかり合えない人はいない」と思います。
例えば、「何でこんなことをするのだろう」というスタッフの中にも、よく話してみると、その人なりの理由があったり、これまで知らなかった強みに気付くことができます。
ですから、「語り合えば誰もわかり合える」というのが私の持論です。
管理職になられてから、大変だったことは何かありますか。
松下:慢性期の閉鎖病棟で師長をしていた時に、精神科病院の中での患者さんの人権を守るために何をどのように変えていくべきかを考えるのは大変でした。
今では職員の1人ひとりが、患者さんに不必要な行動制限しない・不必要な拘束をしない・不必要な隔離をしない、という考えをポリシーとして持つ風土になったと思います。
身体拘束をしない看護
「患者さんの人権を考える」ため、具体的にどのような取り組みをされたのでしょうか。
松下:例えば老年期の閉鎖病棟で主任をしていたときには、お年寄りに身体拘束するのは良くないという視点から「老人の身体拘束を廃止する」という目標を掲げ取り組んだことがあります。
激論を交わしながらカンファレンスをして、ご家族の思いと私たちスタッフの思いを全部すり合わせ、最終的にご本人の思いを最優先にしながら、何が一番いい選択肢なのかを検討しました。
高齢者に対する身体拘束の問題は、いろいろな面があり難しいとお聞きします。
松下:そうですね、精神科の身体拘束に関しては、心が痛むような新聞記事を目にすることもありますが、当院では、基本的に身体拘束をしない、ということを大原則にしています。
ただし、救命のために認知症の患者さんをどうしても拘束しなければいけない状況もあるでしょうし、ベッドから落ちて骨折してしまうリスクも無視できません。
でも身体拘束を外したことで、今まで歩けなかった方がリハビリをしてどんどん歩けるようになったり、その様子を見て今まであまり来なかったご家族の面会の回数が増えたり、という貴重な経験することができました。
その体験について、もう少し詳しく教えていただけますか。
松下:いつも車いすに座っていた患者さんとの思い出をお話しします。
その方は、ずり落ち防止のためにいつも車いす用の身体拘束をしていました。
その身体拘束を外すにはどうすればいいかをみんなで考えた結果、車いすを使うことをやめたのです。
もちろん歩けませんでしたので、初めは床の上で過ごして頂くことになりました。
でもそうして過ごして頂くうちに、なんと手すりに摑まって歩けるようになったのです。
それは感動的ですね。
松下:はい、病院のスタッフ皆に応援される存在になっていました。
さらに、その方の回復を見て、今まで病院から足が遠のいていたご親戚も、頻繁に面会に来てくださるようになりました。
このように、身体拘束を廃止して患者さんが歩けるようになるのは、とても嬉しいし素晴らしいことですが、綺麗ごとばかりではなく、いろいろな葛藤を経験します。
でもそれが看護の面白み、深みでもあると思います。
患者さんの人権を考える
ほかにも、「患者さんの人権を考える」ために取り組まれたことはありますか。
松下:例えば、スタッフの患者さんに対する言動について「これは本当に患者さんの人権を考えた言動なのか」を倫理的な問題が起こるたびに、みんなでカンファレンスをして考えました。
特に精神科病院は、鍵の管理が必要な病棟がある性質上、どうしても閉鎖的になったり、倫理的な問題が起きやすかったりする傾向がありますので、いつも倫理的な面を考えていく必要があります。
例えば小さなことですが、「患者さんに携帯電話を持っていただこう」とか「病棟の中にジュースの自動販売機を設置しよう」とか、患者さんが快適にまた人権上脅かされずに治療に専念するためにはどうすればいいのかということを、スタッフのみんなで意見を出し合いました。
これまでやってきたことを変えていくのは、すごくエネルギーがいりますね。
松下:患者さんの人権だけでなく、職員を守るための対策も大切です。例えば、何かがあった時にはアラームを鳴らして助けを求められるような仕組みを構築するため、ケースカンファレンスをたくさんしました。
でも、私がみんなを引っ張ってきたというよりは、私が発信をしてあとはスタッフが現場で取り組んでくれましたので、逆にみんなに引っ張られてきたという感じです。
患者さんの人権を考える取り組みを通し、看護師としてとても良い時を過ごせたと思います。
後編に続く
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No. 81 松下直美様 (共和病院) 後編:患者さんの強みを生かした看護