今回は白根大通病院の田中京子看護部長にインタビューさせて頂きました。
田中看護部部長の手腕に迫ります。
”楽しく仕事をする”ために選択した看護師の道
まず、ご自身が看護師になろうと思った理由についてお聞かせいただけますか?
田中:高校の時に、養護教諭の先生がとても素敵な先生だったので、その先生のようになりたいと思ったことがきっかけです。
新潟大学医療技術短期大学に入学したのですが、実習を進めるうちに養護教諭より看護師の方に魅力を感じたので、看護師になることを選びました。
学生時代はどのようなことが印象に残っていますか?
田中:実習そのものがすごく楽しかったです。
実習中は1人の患者さんとたくさんお話できる機会に恵まれます。
長期間透析をされる患者さんを受け持ったことで、病気とともに生きていくことについて、深く関わっていきたいという思いを持ちました。
最初は養護教諭を目指されていたものの、実習を通して看護師の道へ魅かれていったのですね。
学生時代「看護師になろう」と思った時に、「やっぱり看護師より養護教諭になりたい」とは思いませんでしたか?
田中:特になかったです。看護師を選んだ大きな理由は、看護実習担当の先生と話したことがきっかけでした。
先生が「楽しいと思える仕事をすることが一番だと思うわよ」とおっしゃった時に、楽しく仕事をするとはどういうことなのだろうと考えました。
そして、たくさんの人たちと関わったり、患者さんが病気を克服していく過程を共にしたり、いろいろな方たちとのつながりが自分にも栄養になり、それが楽しさにつながるのではないかという答えにたどり着きました。
素敵な先生に出会われたのですね。
田中:そうですね。自分1人で考えることよりも、人から示唆されることに影響を受けるタイプなのかもしれません。
”予想外”から始まった脳外科での看護
就職する病院はどのようにして決められたのでしょうか?
田中:実習先だったということが一番の決め手となり、大学病院への就職を決断しました。
実際就職して、最初に勤務したのは何科でしたか?
田中:脳外科です。卒業論文で、透析患者さんに関する論文を書いたので、透析に関連する病棟に配属されるだろうという思いがあったのですが、思ってもいない脳外科だったもので、かなりショックでした。
その後、脳外科とは長くご縁が続いて、スタッフ、副師長、師長と足掛け15年もお世話になりました。
ですので、最初の年の印象はかなり強いですね。
実際に脳外科での看護をされてみていかがでしたか?
田中:もう30年以上前になりますが、寝たきりの患者さんが多く入院されていて、体位変換や移動など、腰に負担がかかりすぐ腰を痛めてしまいました。
また、脳外科は疾患の特性上、術後元気に回復されて退院なさる患者さんはそう多くありませんでしたから、寝たきりのままで今後療養生活を送る患者さんの看護は家族が大変だなと思うと、少し辛い気持ちになりました。
そのような辛い気持ちや戸惑いなどをどのように乗り越えられたのでしょうか?
田中:スタッフと楽しく仕事ができたので、それが大きかったと思います。
仕事そのものはもちろん辛い時もありましたが、一緒にいろいろな行事参加したり、学びに行ったり、スキーしたりテニスしたり、そういうことが本当に楽しかったので仕事にも打ち込めました。
楽しかったという経験の積み重ねが私を支えてくれました。
本当に最初だけ戸惑われて、あとは仕事もプライベートも楽しく過ごされたのですね。
田中:さすがに1年目は緊張していたり、先輩から叱られたりしましたが、2年目になると自分らしく楽しく仕事できました。
そうなのですね。それは職場の仲間の方たちと交流を深めていく中で、お互いの人となりがわかって楽しくなってきたということでしょうか。
田中:それが大きいですね。
また、家族を持ったことも大きかったように思います。
私は就職して3年目に結婚したのですが、仕事をしながら子どもを育てることが私の将来ビジョンに早くからあったので、そのためには働くという選択肢がなくなることはありませんでした。
「大変だから辞める」という気持ちになったことは一度もないですね。
子育て期間中もずっと仕事を続けられたのですか?
田中:ずっと続けてきました。
4人子供がいますが、1人目の妊娠は脳外科でスタッフとして勤務しましたし、脳外科に副師長で配属された矢先に3番目の双子を授かりました。
職場としては大変だったと思います。
元々、学生時代に先生からアドバイスをいただいたことも支えになっていたのでしょうか。
田中:そうですね。私自身あまりくよくよしない性格ですし、猪突猛進型というか、これと思ったら突っ走るというところはありましたね。
何か辛いことがあっても、常に前に前に進まれてきたのですね。
田中:そうですね。あまり立ち止まってはいなかったですね。
多様な働き方を受け入れ、安定した人材確保を実現
素晴らしいですね。脳外科で副師長をされてその後師長になったのでしょうか?
田中:師長になる前に、最初に配属されるだろうと思っていた透析患者さんが入院する部署に異動して、その後、今度は師長として脳外科病棟に戻りました。
透析患者さんが入院される部署はどの位勤務されたのですか?
田中:6年ぐらいですね。
6年経って、脳外科病棟に師長で戻られた時は、またちょっと見方が変わったのではないでしょうか?
田中:はい。スタッフとして自由な意見を言えた立場から、今度は管理職としてその科をまとめるために言わなければならないことはしっかり伝えなければなりませんし、常に前へ前へという訳にはいかないので、気持ちを大きく転換させなければならないと思いました。
師長という立場でスタッフの方たちをまとめていくために、どのようなことを工夫されましたか?
田中:客観的に状況を見てから発言するようになりました。また、スタッフの時にこれは嫌だなと思ったことは自分ではしないなど、そういうことを考えながら仕事しましたね。
一歩引きながら、客観的に見てまとめていくのはご苦労もあったのではないでしょうか?
田中:大変なこともありましたが、慣れ親しんだ場所だったので、わかっていることが強みでした。
全く違う所で、知らないところだと、1から勉強しなければならないことがあるので、そういう意味では助けられたと思います。
師長の後はどのようなキャリアを?
田中:神経内科病棟に師長として勤務して、2年後に副看護部長になりました。
副部長を3年務めて当院に赴任し、丸5年経ちました。
こちらの病院に来られた時は、前の病院とは違うという感覚をお持ちになったかと思いますが、いかがでしたか?
田中:脳外科疾患に伴う後遺症のある患者さんがかなり多いので、そこについて違和感はありません。
ただ、当院は民間病院ですので、本部等の組織を理解しながら仕事しています。
最初の頃は人材確保に苦労しました。
当院は奨学金制度を設けているので、新人の入職は毎年10人程度あります。
当院で専門的な技術は習得できるのですが、3年ぐらい経つと「違う病院に行ってみたい」と思うスタッフも多く、そういう方たちが退職して、また新しいスタッフを迎えるという、その繰り返しにもなります。
また、中途で就職される方も多いので、彼女たちをサポートすることにも力を入れました。
今では落ち着いてきているのですか?
田中:教育体制を強化したり、部署全体で新人を育てる方向性を明確にしてからは少しずつ安定してきて、看護師の数は増えてきています。
こちらに来られてから教育などの仕組み作りをされたことで、看護師の定着という結果が得られたのですね。
田中:これは胸を張って言えることなのですが、平成19年に看護師(准看含む)が100人でしたが、同じベッド数で、平成29年4月で150人になりました。
ただ、いろいろな働き方を推奨するので、夜勤ができる看護師が少なく、各部署の夜勤の人数が足りるかどうかを計算しながら配置しなければならないので、そこが大変ですね。
逆に考えれば、いろいろな働き方ができますし、部署の人間関係も良いし、定時で帰れることが多いですから、ワークライフバランスがとりやすいのが強みでもあります。
プライベートとの両立を実現したいと、転職してくる方もいらっしゃるので、ここの良さをアピールしながら労働環境・教育環境の整備を進めているところです。
いろいろな働き方の選択肢があるということは、今まで、出産などで退職された方も、少しの時間なら働けるといったことがわかってまた仕事に戻れますから大きな強みになりますね。
田中:そうですね。急性期病院では在院日数が14日前後ですから、1日の入退院がそれぞれ7〜8人ずついて、さらに何人か病棟を転棟して、そこに術後の管理や退院調整等の通常業務もするわけですから、忙しすぎて何も考えられなくなってきている方もいらっしゃると聞きます。
当院は1日の入退院は1人程度ですし、日常的な生活援助の繰り返しなので、日々の関わりによって患者さんやご家族との信頼関係を築くこともできます。
ご家族からは「他の病院だと、忙しそうな看護師さんに声もかけられないし聞きたいことも聞けないけれど、ここは本当に患者さんに寄り添って目線を合わせて、丁寧に説明してくれました」と言っていただけます。
今年も高校生の看護体験を20人ほど受け入れたのですが、「他の病院と違って、患者さんと看護師の関係が近いですね」という感想をいただきました。
こういう声を聞くと仕事への意欲が高まります。
これから看護師を目指そうという高校生たちも、看護体験を通してなんとなく目指そうと思っていたものが、より具体化して「目指したい」という決め手になりますね。
田中:看護師になるためには、3〜4年の訓練期間を経て、一人前の看護師になっていきます。
最近の特徴としては、いろいろな種類の施設や病院を見学して自分に向いている場所はどこなのかを考えて選んでくるようで、「私はこういった療養向きだと思うのでここに就職したいのです」と言って新人で就職される方も出てきています。
その辺りは時代の流れなのかなと思います。
後編へ続く
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No. 63 田中 京子様 (白根大通病院) 後編「挨拶を通して風通しのいい病院に」