宮城県石巻市女川町は東日本大震災の津波被害にあった場所の一つです。その時、女川町の高台にあった病院は一階部分が浸水したものの建物は残りました。
津波は17~18メートルの高さで街の姿を一変させてしまいましたが、女川町在住の方は「せめて病院が残って良かった」と話してくれました。震災後、山へ逃げて助かった多くの住民の皆さんが、変わり果てた街を眺め「駅がなくなっている!」と探したそうです。駅は街の中心にあったそうですが、津波に押し上げられ、山の中腹で発見したとのことでした。そんな時に、高台で唯一残った病院は女川町住民の心の支えになったと当時のことを思い返していただきました。
現在、女川町は街全体の地盤を高くするために連日休むことなくトラックが土を運び整備が進められています。閑散とした雰囲気の中でも、病院は休むことなく稼働し、地域住民の健康を守る大切な役割を今でも果たし続けています。
震災時に看護師が出来ることは多岐に渡ります。命を支えるだけではなく、精神面でのサポートもまた看護師の役割になってきます。看護師の責任感や役割意識は、地域住民の不安を和らげ、混乱を避ける一助にもなること、どれだけ頼りにされているのか、また実際に行動した看護師たちがどれほど偉大だったのかということを、医療職ではない方から話を聞くことでより実感しました。
建物が残った女川町の病院は、建物が残ったから「良かった」と住民の方々に思ってもらえただけではなかったのだと改めて感じます。
本日も、福島県沖を震源とする地震がおきました。自らも被災者でありながら、家族を残して勤務に出かけた看護師の皆さんも沢山いることと思います。勤務している皆様、住民の皆様の無事を願ってやみません。
シンカナース株式会社 代表取締役社長
看護師として勤務していた病院において、人材不足から十分な医療が提供出来なかった原体験を踏まえ「医療の人材不足を解決する」をミッションに、2006年に起業。 現在、病院に対しコンサルティングおよび教育を通じた外国人看護助手派遣事業を展開。25カ国以上の外国人看護助手を育成し、病院へ派遣することで、ミッションを遂行している。 東京都立公衆衛生看護専門学校 看護師 東洋大学 文学部 国文学科 学士 明治大学大学院 グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院 総合社会情報研究科 総合社会文化博士(Ph.D.) ニュージーランド留学 帝京大学医学部附属病院 東十条病院 三井住友銀行 元東京医科歯科大学非常勤講師 元同志社大学嘱託講師 元日本看護連盟幹事 元東京都看護連盟幹事 日本看護連盟政治アカデミー1期生 シンカナース株式会社/代表取締役社長 著書 『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社 『医師の労働時間は 看護業務の「分業化」で削減する』幻冬舎 『外国人看護助手テキストブック』幻冬舎