No. 58 河原 美智子様 (芳賀赤十字病院) 後編:受け継ぎ、繋がっていく

インタビュー

前編に引き続き、芳賀赤十字病院の河原美智子看護部長へのインタビューをお届けいたします。

受け入れてもらい、できること

循環器の師長からどのように副部長になられたのでしょうか。

河原:内科の師長、救急外来の師長、救急外来とICUを兼ねた師長をさせて頂きました。

その後、救急外来、ICU、救急病棟の3つを兼ねた師長になり、看護副部長になりました。

こちらの病院で看護部長として勤務されている中で、感じたことはありますか。

河原:私自身、看護副部長としての経験は2年間しかありませんでしたが、こちらの病院に看護部長として来た時には、同じ赤十字でもやはり地域が違うと全く別の病院に来たような気持ちで、不安が強くありました。

今まで私がやってきたことが通じないこともたくさんあり病院の違いを感じましたが、2人の看護副部長や看護師長たちが私を受け入れてくれたことで、何でも相談をし、話し合いながら進めることができているのだと感じています。

「人が宝物になるように」育てていきたい

貴院の看護部理念に掲げられています、「時代の変化や対象のニーズに合った質の高い看護を提供する」に関してのお考えをお聞かせ下さい。

河原:この理念については、地域やそれぞれの時代背景が変わっても普遍的であり、変えることなく現在に至っています。

そして私はこの部屋に入ってまず、栃木県で唯一フローレンス・ナイチンゲール記章を受章していらっしゃる初代の看護部長のお言葉である「組織は人なり」を大切にしています。

今は地域を支えるシステムとして地域包括ケアシステム構築がありますが、いわゆるそれを支えるのも私たち医療職なので、「組織は人なり」というお言葉を大切に思い、「人が宝物になるように育てていきたい」と、ずっと思い描いています。

そして、私自身も前看護部長から受け継いで来たことを、次の看護部長になる方にも受け継いでいきたいと考えています。

教育ではどのような体制がとられているのでしょうか。

河原:教育は、教育担当の看護副部長が中心となり行っていますが、赤十字には全国共通のキャリア開発ラダーがあるため、その指標に則った段階別の教育を盛り込みながら進めています。

レベル毎の指標をクリアできる教育を受けてから、認定の申請を行い、師長や教育担当の係長で評価会を行い、レベル1、レベル2と認定していくよう年間計画を通じて行っています。

スタッフの方々から、研修会への参加を申し出ることもあるのでしょうか。

河原:ラダーではレベル1が新人さんを中心としているため、4月から院内研修会が計画されていますが、レベル2以上を申請したい場合には、受けなければならない教育があるため、希望者を募りながら行っています。

また、看護協会の研修や様々な院外研修、学会への参加があるため、今年受けたい研修の希望等を部署ごとに希望を募り各師長を通じて確認し、年間計画の中に組み込んでいます。

看護師は何名くらい、いらっしゃるのでしょうか。

河原:実稼働としては340名くらいで、その他に産前産後休業や育児休業の取得者がおり、全体で約370名程度になります。

看護師の離職率はどのくらいでしょうか。

河原:昨年は5.6%でした。

地域柄もありますが、地元志向が強い傾向にあるため、地元の方を中心として宇都宮や茨城県の方も勤務されています。

看護補助者は何名くらい、いらっしゃるのでしょうか。

河原:現在は45名になります。

看護補助者の役割として、どのようなことがございますか。

河原:患者様の食事や身体保清のお世話、環境整備や移動の介助になります。

患者様の高齢化も進み、看護師だけでは手が行き届かないことも多くなってきているため、日常生活の援助は特に、看護補助者の役割がとても大きいと感じています。

そして、医師や看護師の業務負担軽減においても看護補助者の業務役割は大きいと感じています。

看護補助者の中でも事務的なクラーク業務として、現在2名勤務しています。

患者様の日常生活の援助はしませんが、電子カルテの導入に伴い、同意書など数多くある書類等のスキャンなどを行って頂いています。

看護補助者の教育は、先輩の看護補助者が行っているのでしょうか。

河原:日常の業務では、先輩の看護補助者から教育することもありますが、看護部の教育計画でも看護補助者の教育を導入しています。

そしてどのような教育を受けたいかという看護補助者からの希望も募りながら計画に盛り込んでいます。

ヘルパーなどの資格がない看護補助者もいるため、赤十字の健康生活支援講習などで講師から直接ベッドや車椅子、ストレッチャーへの移動時の介助を指導して頂いています。

芸術から考える一流の看護師

お忙しく勤務されながら、どのように気分転換をはかられているのでしょうか。

河原:今は親の介護もあり、あまりリフレッシュできていませんが、家族と旅行したり、歌舞伎など美しく煌びやかな衣装を見ることが昔からとても好きです。

また、なるべく本を読もうと思っていますし、自分自身が外からの刺激を受けていなければ新しい発想も浮かばず、周りにも良い影響が与えられないと思っています。

芸術からも、看護師としての考え方を照らし合わせていらっしゃるのですね。

河原:ただ華やかなだけでなく、舞台に立つまでに乗り越えられた苦労などがあるのだと思いますし、一つの芸術から職業人(職人技)であると感じています。

全く職種は違いますが、私自身も看護師として、一流の看護師とは何をしたらいいのかと考える中で、何かを極めるというところでは通じる物を感じます。

看護部長になってからは、あまり直接患者様と接することはできませんが、現場の看護師を教育し、「さすが芳賀赤十字病院の看護師」と言われたい思いがあるため、私の看護観や思い描くことを伝えていきたいと考えています。

今まで諸先輩から看護についての熱い語りを聞き教えて頂いたことで、今ここにいると思っているため、次の後輩に受け継ぎ、人の命や健康を守る、住民を支えるという形で繋がっていきたいと思っています。

看護部長からのメッセージ

最後に新人看護師やこれから看護師を目指す方々へメッセージを頂けますでしょうか。

河原:今は医療機器も進み、数値で見られることが多くあります。

しかしその数値の意味、今目の前にあるデータはどのような背景であり、患者様の状態を表しているのかという根拠を考え、そして次の看護に活かして欲しいと思っています。

同じ数値でも、血圧であれば患者様自身が精一杯頑張って出ている正常値なのか、脈拍であれば拍動が強いのか、弱いのかなど様々です。

今は、自動血圧計ですが、私たちは患者様の腕に直接マンシェットを巻き、自分の耳で聞き、拍動を感じ、急変の兆候を見逃さないことに通じていたように思います。

だんだんと患者様に直接触れることが少なくなっているように感じますが、1つのデータであっても、そのデータが示す根拠をきちんと捉え、自分が考える看護、患者様の求めることを感じ行動のできる看護師になって頂きたいと思います。

シンカナース編集部インタビュー後記

河原看護部長は、今まで色んなところで出会った人たち、仲間を、とても大切にされている方だなと感じました。

新しいことに取り組むときも、仕組みを変えるときも、また医療の様々な現場においても当然1人の力ではどうすることも出来ません。

何人もの力で助け合い、補い合いながら、形にしていきます。

河原看護部長は、「組織は人なり」と仰っていました。

人材育成にとても力を注いでいらっしゃいます。

人材という言葉を「人財」とされているところに改めてそれを感じました。

人が宝物になるように育てていきたいと言葉がとても印象的で素敵な言葉だなと感じました。

河原看護部長、この度は、素敵なお話をしていただきまして誠にありがとうございました。

芳賀赤十字病院に関する記事はコチラから

No. 58 河原 美智子様 (芳賀赤十字病院) 前編:周囲の支えから生まれた自分自身の変化

病院概要

芳賀赤十字病院