自立と家族を支えるために看護師へ
桃田副院長が看護師になられるきっかけになったエピソードですとか、なぜ看護師になられたのかということをまずお聞かせ願いますか?
桃田:母親が多分看護職を希望したんだと思うんです。
いい仕事だなというので私はあまり深く考えずにこの仕事を選んだということです。
勧められてという感じで?
桃田:勧められたわけではありません。
自分の判断です。
最終的には自分の判断で。
桃田:やはり女性の自立っていうところで選んだのだと思います。
自立したいとか、自立した職業に就こうというきっかけみたいなものがあったんでしょうか?
桃田:私は父親が早く亡くなりまして、姉妹がいるんです。
自分が支えなきゃというのがすごく私の気持ちの中であったんだと思うんです。
母親は別に仕事を持っているわけじゃないので、自分で何とかしたいというそこからの始まりです。
看護学校に入られたときの思い出に残るエピソードはありますか?
桃田:私が看護学校に入ったときには、多分私より年齢の上の方が多かったんです。
その中できっと真面目な学生だったと思います。
学校に行くと今考えると事務の人だったと思うんですけどその人が迎えてくれて、そして真面目に学校を無事終えたということで、そのときの仲間というのはいまだに覚えています。
その後、いよいよ卒業されて病院に就職になるかと思うのですが、病院はどのようにして選ばれましたか?
桃田:今の時代と違って情報がないわけですから、自分で何となく福岡よりは大阪がいいかなというので大阪に行ったということです。
たまたまそこが募集していたので、関西で初めての仕事を選びました。
総婦長さんにしてもらったことを次は私が
そうすると大阪に行かれて1年目のときのエピソードはありますか?
桃田:新人で入ったときに、私要領が良かったのかも知れませんが、みんなにすごく大事にされました。
その当時の看護総婦長さん、その方が食事を朝私に作ってくれました。
怒られるんだけど朝は優しい人だったという思い出があります。
普段はそんなに仲良くしないんですけど、朝になると寮ですから部屋にトントンとノックして「ご飯ができたよ」という感じで良くしてもらいました。
総婦長さんも寮に住まわれていたのでしょうか?
桃田:寮です。
今では考えづらいことですね。
桃田:でもそれがあって、私今頑張れるのかな。
そのときのことがあって、今の若い人が入職してきたら、できるだけ私は自分のできる範囲で誰かに何かしたいと思っています。
できない料理を一生懸命やって食べさせてあげたりとか。
通勤に2時間かかるんですけど、自分が美味しいと思うものは何とかみんなに食べさせてあげたいなと思っています。
私の教えてくれたのがあまり会話がなかったんですけど、大先輩だったんです。
3〜4年目のリーダーになる頃、何が壁に当たったりということはそれまでありませんでしたか?
桃田:それはやはり看護職をしていると、今ほどうるさくない時代ですけど、やはり事故に近いものが発生したり、あるいは私自身が裁判でいろいろ戦っていかないといけないことというのがありました。
今はそういうことはあってはいけないのだけれども、私はその時代にいい経験をできたんだなと思います。
人との繋がりが大切
管理職はご自身で希望されたのですか?それとも周りからの推薦というか?
桃田:周りからの推薦です。
周りからできないのを承知でやるということは、私自身が要領良く、敵は少なかったです。
大事ですね。
桃田:その当時働いていた医師たちが、今国のトップクラスの人たちなんです。
中には神奈川県のある町長さんになったりしています。
その時代の人たちが今の医療をつくられている方々ということなんですね。
桃田:はい。
私にご自身の本を送ってきたり、そのときにお会いしましたよとか言われるんですが、でも私にはあまり記憶ないんですけどね。(笑)
中には神奈川県内の町長になった人は連絡しますよね。
人って本当につながりが大切です。
だから私は自分の経験から、みんなに「この世の中にどうでもいい人はいない」「みんなと関わりを持って生きなさい」と言っています。
私は看護職していて、私より幸せな人いないと思っています。
ええっ?(驚)そういうお言葉初めてうかがいました。
桃田:私はラッキーっていうんですか、コマーシャルとかラジオが取材に来たんですけど、ライシャワー大使という大使がいて、私はその方にすごく信頼されました。
そういう方にも出会うことができました。
それから今国を支えているような方のお父さんが患者さんだったり、いまだに会うと声かけますよね。
看護って素晴らしいっていうのはその辺から思います。
いろいろな人とのつながりができてきて、楽しいですよ。
どこにでも行く
副院長になられても「看護が楽しい」ということをはっきりとおっしゃっていただけるというのは、看護職としての喜びとか尊さみたいなものを感じられたからこそというお言葉になっているんでしょうか?
桃田:私は看護していて、看護って生活者ですから、そういう意味でいろいろな人とつながりがあります。
だから行きたくないなと思ってもどこでも行く。
どこでもですか?
桃田:招待されたら必ず行きます。
嫌だと思いながらでも行けば、1ついいことがある。
日曜日も休みなく行きます。
100周年記念だったんです、全く私に関係のない祝典です。
全く知らない方たちばかりでした。
そうしたら理事長さんという方が400人ぐらい来られていました。
いろいろな所でいろいろな出会いがあって、その出会いを大切にして、今の若いこれからの人たちに人とのつながりって本当に大事にすれば、相手が明日どういう地位になっているかわからない。
その人がひょっとしたらその後すごく立派な人になっているかも知れない。
そういう出会いもたくさんありました。
だから一人一人大事にしようねって思います。
出会いの繰り返し
そういう人だということを周りの方も知っていたからこそ、管理職へという後押しがあったのでしょうか?
桃田:その時代に何となく私が波に乗っただけです。
出会いは私は中小病院だけど素晴らしい人と出会った。
どうでもいい人とは出会わなかった。(笑)
ずっといい出会いを繰り返して。
桃田:私の人生は本当に素晴らしいですよ。
何でも経験しました。
だから仕事は嫌がっちゃいけないということです。
来たものはまず受けるとか。
桃田:受けます。
断らないとか。それはとても大きいですね。
桃田:私たち医療職だから、例えば爆発現場があったらみんな行かないですよね。
私は行けと言われたら行きますよ。
私のスケジュール表を見たらみんな驚きます。
そんなに。常に予定がいっぱい?
桃田:いっぱい入っています。
週末にもかかわらず?
桃田:はい。
常に何かの予定が?
桃田:時間通り動いて、それが起業家であったり政治家であったり、いろいろな人に声かけられたら必ず参加します。
外に出るには職場の安定が重要
看護といってもベッドサイドだけではなく、外での活動も?
桃田:世の中が変わっていく時代だから、そういうのはやはり先に看護管理者というのは全部自分が確認して、そして方向性を示さないとならないと思います。
病院と家庭との往復だけでは合っていないと思います。
それは自ら率先してという感じですか?
桃田:そうです。
今日はこの後お別れの会が秦野まで行かないといけないのです。
「偲ぶ」ですから行かないといけないと思っています。
それと出ていくというのは職場が安定しないとだめですよね。「どこ行くの?」と言われたら困ります。
その点、私は職場が良かった。
誰も反対しない、協力的です。
そういう環境を今までの管理職の場所それぞれでつくり上げてきたということでしょうか?
桃田:つくり上げなきゃいけないってことですよ。
看護管理者として責任があると思うんです。
病院が良くなればいいというのではなくて、近隣の病院も含めて地域の人が「良かったな」って思われなければならない。
「あの病院でああいう看護師さんに出会えて良かったな」と思われるようにしなければならない。
会えて良かったと思ってもらえる人材養成
今後看護職はどうあるべきか、こういうふうになってほしいというものはありますか?
桃田:今、看護教育がほとんど大学になるじゃない。
それだけでは駄目だろうと思うんです。
専門性を発揮できるような教育を受けて、それぞれが地域で頑張れて、そしてお互いが助け合える仲間づくりが大事だと思うんです。
「隣はあまり発展してほしくない」なんていう考えはやめたほうがいい。
患者さんが下駄履きで行けるそういうところで働く志のいい人、上だけが良くても駄目で直接患者さんに関わる人たちが技術もそれから人としての、「あの人だったら」「出会えて良かった」と思えるような人材を養成しないといけないなと思います。
そういった人間力ですとか、看護職が看護のもちろん技術だけではない、人としての技術みたいなものを身に付けていくためにはどのようにしていったらいいと思いますか?
桃田:やはりご自分で投資して…。
私だったらまず若い人たちに新聞を読みなさいと言います。
新聞は1社だけじゃ駄目、考え方違うよと伝えています。
いくつもの新聞を取って、そして自分なりに考え方をまとめる力を付けなさいと言っています。
後はテレビのいいニュースとか歴史を学びなさいと言っています。
「はい」って言っているけどほとんどしているかわからない。(笑)
副院長会と繋がり
副院長会というのは何名ぐらいの会員の方がいらっしゃるんですか?
桃田:基本的には500名ぐらいいます。
そんなに?
桃田:でも会員というのは100名ちょっとです。
会議をやると100名の人たちがきます。
皆さん必ず出てきます。
その方々が集まってグローバルなお話を聞いてということをされていらっしゃるんですか?
桃田:そうです。
例えば経営的なことももちろんありますよ。
診療報酬の改定にはこういうことって正しく学ぼうということと、普段聞けない国の偉い人だったりも来られます。
国の偉い人というと本当に政治的な方とかも来て、お話を聞けるんですか?
桃田:そうです。
すごいですね、その副院長会。
桃田:政治家の方や大手銀行の取締役の方をお呼びすることもあります。
そうなると会員はみんな来ますよ。
絶対。
それは副院長が連絡をするのですか?
桃田:はい。
その代わり私は国のパーティーなどで様々な方に出会うじゃないですか。
その時にお願いするんです。
そこで出会って、お願いしたら必ず来てくれます。
そういうつながりを持たなきゃ駄目だということですよ。
看護職も?
桃田:そうですよ。
看護、看護でただ集まっているだけじゃ駄目なんですね。
桃田:それじゃ駄目です。
NHKのドキュメンタリー取材
すごく大きな視点で見られるというのは、それはいつ頃からそうなられたんですか?
桃田:今振り返ったら、昔で言う総婦長の頃にNHKのドキュメンタリー取材が1年間入ったことがありました。
すごいですね。
それは部長の?
桃田:放送されるまでは何が映るかわかりませんでした。
芸術祭参加作品のドキュメンタリー部門で大賞をとったんです。
放送される前の日に呼ばれて、気を付けなければいけないことを言われるのです。
有名になるから。
桃田:それで放送日に見て、その前にコマーシャルみたいなものが出るんですよね。
でも映ってないから私のことじゃないと思っていました。
放送されたらまるっきり私のドキュメンタリーでした。
またそれが再放送されるんです。
うちのここの職員が、寝ていたら夜中に頭のところに私の声がしたって言うことがありました。
その頃から視点が変わって来たように感じます。
患者さんとの繋がり
桃田:やっぱり患者さんとのつながりも切ってはいけないと思います。
病院に来ていろいろな人と関わったけれども、外来の入口のところにいつも立つんです。
クレームが来るんです。
そうしたら1人見たような人がいるんですけど、よしもとのタレントさんだったの。
それが30年前の私が関わっていた人だったんです。
30年前だったらよしもとでも活躍、上方漫才大賞とった方でした。
その当時に?
桃田:その人がいるんです。
ビックリしちゃって、入退院はしていたみたいですけど、人の出会いってわからない。
でもそこでパッと見て、あっと気付いたというところはすごいですね、やっぱり。
桃田:一人一人それぐらい看護って大事だなと思います。
それ以来、恵比寿からその人の家族中がここに来るんです。
恵比寿からこちらに通われて?
桃田:通ってるの。
それでその当時よしもとで働いていた人に連絡して、電話をかけるんです。
私がここにいると。
すごい大きな紹介ですね。
桃田:どんな人だって大事にしなきゃいけない。
私の知り合いだと現場の看護師は見ていますので。
みんなこの世の中のためになっている、大事にしようねと思います。
男性看護師の待遇作り
看護師になられる、もっと前から視点的には大きくこの世の中を見ていらっしゃったというのがあるんでしょうね。
桃田:職場が良かったんです。
今私がやりたいのは男性の看護師が、まだ少ないじゃないですか。
この人たちは家庭持って生活できるような、他の職種に比べてとってもと思われないような待遇をつくり上げていきたいなと考えています。
私のところには17名おります。
この子たちは辞めないです。
それがずっと続いているんです。
脱落はいないんです。
男性看護師が質を向上させる
男性看護師ってやはり孤立してしまったり、女性の中でうまくいかなかったりという話よく聞きます。
桃田:うちの子は優秀なんです。
質を上げてくれる。
「嫌なことを僕たちが全部やるから」「みんなで助け合いますよ」って言うんです。
本当にいい子たちです。
すてきな顔してますよね。
年はいろいろですけど、おっさんもいるんですけど、素直です。
一番上を見て、下って育つということでしょうか。
そこを見ているから安心して働けるとか、大切にされているという思いからどんどんそうなっていくんでしょうね。
大切に扱うと看護師戻ってくる
桃田:この時期だと水をいっぱい飲むじゃない。
ペットボトルで不潔なものやめなさいって言って3、4年前からウォーターサーバーを置いています。
全部の部署にウォーターサーバーを置きました。
今度はアンバサダーを置いたんです。
アンバサダーも各病棟に置きました。
企業のような。
桃田:やはりよそと違うことをしないと無理だと思う。
そうやって扱っていただいているということは、やはり本人たちもすごくわかっているということですよね。
桃田:そこまで確認しないし趣旨は言わないようにしています。
最初に水を置いたときに、診療報酬で点数をもらえるからじゃないかと言った者もいたんじゃなかったかな。
水を置けば点数がもらえる、どんな点数だ。(笑)
桃田:それはそれでいいんじゃないって思っています。
別に説明しなくていいと思います。
今は多少わかっていて、よその施設と比べて自分たちは違うというのはわかっている。
だから辞めたってすぐに戻ってくるんです。
それは大きいですよね。どうしても何かあって詰まったときに、離れても「また」って思う場所かどうか。
桃田:ほとんど出戻り。
それってすごい強いポイントですね。戻ってきたい場所って。
桃田:海外に行って活躍している元職員には「看護って素晴らしい力があるんだから、あなたがもし迷ったらいつでもいらっしゃい」って言っています。
そうしたら、自信が付いていい仕事ができる。
師長さんクラスは散々文句言って辞めてもみんなほとんど戻ってきます。
早い人は2月の末に辞めて、3月末に電話かけてきて「行ってもいいですか?」って言ってきました。
「あなた辞めたんじゃないの?」「4月1日入職は駄目だ、入り過ぎて病院から怒られている。これ以上とらないでくれ」と。
だから4月5日にしなさいと言ったんです。
「はい、わかりました」と言っていました。
多過ぎちゃって怒られています。
人が寄ってくるんですね。それはそうですよね、副院長に集まるわけですもんね。
桃田:現場の人たちが人員配置がきちっとされていると、やはり信頼できる職場だと思うんじゃないですかね。
後編へ続く
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