日常だった札幌
2011年3月11日。
私は旅行で北海道は札幌を訪れていました。
あの瞬間、現地では震度3の緩やかな地震があり、よくある軽い地震だろうと友人たちと話し、確認のためテレビをつけるとほどなくしてあの津波の光景を目にしたのでした。
都内にいる家族の安否確認がとれたことで安心し、札幌の街へと繰り出すとそこは普段と変わらない時が流れていました。
東北や都内などが大変なことになっているにも関わらず・・・。
計画停電が始まる前日、札幌から羽田空港に降り立ちようやく現実を知ることになるのです。
のんきにおみやげを選んでいる場合ではありませんでした。
お米や乾電池、野菜を買ってくるべきだったと知っても後の祭り。
3日遅れで震災後の生活が始まりました。
自転車が大活躍
当時勤務していたクリニックは幸いにも被害はなく、普段より少なめではありましたが患者さんは「いつものお薬お願いします」と診察に来ていました。
計画停電で電車通勤が困難になった私がとった手段は、自転車で片道20kmの距離を連日通勤するということ。
普段からスポーツ自転車のロードバイクに乗ってサイクリングすることが趣味だった私にとって、この距離の移動は難なく移動できるものでした。
しかし、余震が続く中での移動は緊張を強いられるものでしたし、もし何かあったらと食料等を背負って移動するという、いつもと違う通勤スタイルがありました。
交差点で停止中に余震が起き、信号機が大きく揺れて怖かったことを覚えています。
電車が動かず出勤できない人に代わって勤務をすることもありました。
震災後、会社から被災地への長期出張の要請がきて「しばらく来られなくなるので薬を多めに下さい」と話す患者さんが続き、再びクリニックで会えることを願わずにはいられませんでした。
1人だけの学位授与式
震災後に大学院修了式を間近に控えていた私ですが、震災の影響で式は中止。
後日学校に修了証書を受け取りに行ったところ、待っていた研究科長が校歌をBGMに私に修了証を渡して下さいました。たった1人の温かい学位授与式は忘れられないものとなりました。