No.241 松山赤十字病院 横田英介 院長 前編:臨床・研究・組織運営の責任と挑戦

インタビュー

現在、リニューアル工事が進行中の松山赤十字病院の院長、横田英介先生。

インタビュー前編では、先生のご経歴を中心にお話を伺いました。

新病院として改築が進行中

中:今回は、松山赤十字病院、病院長の横田英介先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

横田:よろしくお願いします。

中:まず、貴院の特徴を教えてください。

横田:当院は松山医療圏における地域医療支援病院として地域の医療機関との連携のもとに、

急性期病院として高度専門医療・救急医療を担うという立場で医療を提供しています。

中:建物の改築が進行中のようですね。

横田:私が院長になった2014年に工事が始まり、2020年12月に完成の予定です。

軟式テニス部の仲間との絆

中:病院リニューアルの意気込みなどを後ほどお聞かせいただきますが、

まず先生のご経歴をお聞かせください。

医師になろうとされたのはどのような理由からでしたか。

横田:祖父が小児科医で父が内科医、親戚にも医師が多いという環境で育ちましたので、

自ずと医師を意識するようになりました。

逆に言えば、医師以外の世界があまりよくイメージできなかったということかもしれません。

中:では、小さい頃からお祖父様やお父様の姿を通して医師という職業の厳しさや尊さを

自然と感じていらっしゃったのですね。

大学は九大と伺いましたが、どのような学生時代でしたか。

横田:勉強はそこそこで、部活の軟式テニスに熱をあげていました。

中:テニスは大学以前からされていたのですか。

横田:中学で始め高校では中断し、大学で再開しました。

医学部内のクラブではなく、九大全学の軟式テニス部です。

ですから医学部以外の人との付き合いが広がりました。

話がだいぶ飛びますが、3〜4年前から1年に一度、同期会をするようになり、昨年9月には、

ここ松山に12~13人、東京や大阪、福岡などから集まり、みんなで遊んだところです。

中:若い時代に培った友人関係は、強い絆が長く保たれるのですね。

横田:医学部の友達は医師になって今でも現役で働いていますが、他学部の友人は大方リタイヤしています。

そのせいかもしれませんが、みなさん、当時の仲間が恋しくなるようです。

やはり学生時代の部活動というは良いものです。

これを言うのは少し恥ずかしいのですが、

実は私が家内と知り合ったのがこの部活で、他学部の2年後輩でした。

中:そうでしたか。

人生の伴侶も見つけられた、本当に大切な部活動だったのですね。

長足の進歩を遂げたリウマチ治療

中:次に医師としてのご経歴について伺いますが、ご専門領域はどのようにお決めになりましたか。

横田:実は私の兄が、小学校5年のときに白血病で亡くなっており、

血液疾患に関心があり九大の第一内科に入りました。

当時、卒後2年間は臨床研修をして3年目に研究室に配属されますが、

教授からヘモグロビンをテーマにするように言われ、その年に米国に留学しました。

帰国後は教室の事情で方向が変わり結果的にリウマチ・膠原病を専門とするようになりました。

中:リウマチ・膠原病領域の楽しさや難しさとは、どのようなことでしょうか。

横田:その頃、リウマチや膠原病に対してなかなか良い治療がなく、患者さんを前にして悩む日々と、

その一方で新規の治療につながる知見を得られないかと、基礎研究に集中する時期もありました。

臨床と基礎の両方に揺れながら過ごしていたようなところがあるのですが、

関節リウマチに関しては、ここ10年、15年で治療が大きく進歩しました。

生物学的製剤の登場で、患者さんの予後は大変改善してきています。

今、世間ではニュースなどでがんの免疫療法が話題になっていますが、

関節リウマチの治療の進歩も画期的と言えます。

中:長年、患者さんに寄り添い悩んでこられたところに画期的な治療法が現れますと、

臨床医としての喜びも、それだけ大きくなるものなのでしょうか。

横田:そうですね。

自分たちが使える「武器」を手にし、自信を持って患者さんの治療にあたることができるようになりました。

家族で米国留学

中:話を少し戻しますが、先ほどおっしゃったご留学経験についてお話をお聞かせいただけますか。

大学の部活で出会った奥様と一緒に行かれたのでしょうか。

横田:2年間の研修医生活が終わった次の年から3年間、アメリカのテキサス大学に留学しました。

家内とは既に結婚していて生後6カ月の長男を連れて3人で渡米し向こうで2人目の子どもが産まれました。

今でこそ若い人も含めて海外旅行はごく日常的なことですが、私にとっては初めての海外でした。

そういう時代の自分が若い時期に外国で生活し、向こうから日本を見るというのは、

いい経験だったなと思います。

留学から帰国し大学に戻って5〜6年たち、平成元年に当院に着任しました。

責任が増えるほどやる気が増す

中:院長に就任されるまでのご経歴をお聞かせください。

横田:当初は内科の中で膠原病を専門としつつも、

今で言うところの総合内科的に全身を診るような立場でした。

それと同時に、当時、国内の医療機関で問題になり始めていたMRSAの院内感染対策を担当したり、

副院長就任後は、その翌年に始まった医師臨床研修制度や医療安全対策なども担当してきました。

そういった中で結果的に院長に就任することになりました。

中:膠原病をご専門とされるドクターらしく患者さんの全身を診るとともに、

病院という組織の中でも早くから院内全体を見渡すポジションにいらしたのですね。

先生は、新しい役割をあてられた時、拒否せず

さっとポジティブに受け止めるようなご性格でいらっしゃいますか。

横田:それはあるかもしれません。

しんどいと思うことはあまりなく、むしろ他者からいろいろ言われたり頼まれたりするほど

気力がわくような気がします。

後編に続く

Interview with Nakada & Carlos