No.214 シャローム病院 鋤柄稔 院長 前編:シャローム=平安が溢れる病院

インタビュー

ヘブライ語で「平安」を意味する「シャローム」という言葉に願いをこめ、シャローム病院

経営にあたられている鋤柄稔先生に、病院の沿革や先生の学生時代のお話をお聞かせいただきました。

 

キリスト教に則った運営

嶋田:今回はシャローム病院院長の鋤柄稔先生にお話をお伺います。

先生、よろしくお願いいたします。

鋤柄:こちらこそよろしくお願いします。

嶋田:まず貴院の特徴を教えてください。

鋤柄:当院の特徴は、キリスト教の教えに則って運営していることです。

病院名のシャロームはヘブライ語を語源とし「平安」を意味します。

規模は決して大きくはありませんが、緩和医療と救急、そして訪問診療、この三つに力を入れています。

学生時代は聖書に没頭

嶋田:ありがとうございます。

次に、学生時代のことをお聞かせいただけますか。

信州大と伺いましたが。

鋤柄:いま思い返しますと当時の私は自分に自信を持てず、

対人恐怖症のような一面があったのだと思います。

大学時代に何をしていたかというと、ずっと聖書に没頭していました。

聖書に書いてあることは本当なのか、神様はいるのか、それを追い求めていました。

私には医学の学びよりも、それらの方がずっと大事だと感じていました。

その追求があまりにも高じてストレスのようになり、6年生の時ついに体調を壊してしまったくらいです。

しかしなんとか国家試験は通りました。

嶋田:ご専門領域はどのように決められていったのでしょうか。

鋤柄:私は気が変わりやすい性格で、専門を決めるまでいろいろ渡り歩きました。

在学中は精神科医になろうと考えていましたが、

卒業間近になると「とりあえず内科」と考えるようになりました。

信州大の生理学の教授が「弟が埼玉医大で整形の教授をしているから、埼玉に行く人がいるなら紹介するよ」

とおっしゃる言葉に乗って埼玉医大整形外科の教授室に行き

「内科に行きたいのですが、どこにすべきか迷っていますと」と申しますと、

「一番アカデミックな所を紹介する」とおっしゃり、第一内科へ進むことになりました。

ところが今度は外科に行きたくなり、さすがにその時は「しっかり目標を見定めてから動こう」と考え、

まずは外科領域のすべてを見渡せる麻酔科に行くことにしました。

麻酔科に三年半在籍しいろいろな手術を見た結果、第一外科へ進みました。

消化器一般に加え心臓、肺、乳腺など、ありとあらゆることを対象とする外科です。

ピッツバーグへ

嶋田:外科に進まれてからはいかがでしたか。

鋤柄:外科に入ってからは落ち着きました。

その当時の教授が、世界で初めてカラードプラを開発した先生で、私はその機械を用いて研究し、

論文もだいぶ書かせていただきました。

10年ほど経ちますと、肝臓移植に興味を持つようになり、

当時、肝臓移植において世界で最も実績をあげていた米国ピッツバーグ大の日本人教授に手紙を書き、

認められて留学しました。

嶋田:おいくつぐらいのことでしたか。

鋤柄:すでに40歳を超えていて、一般的な留学の「適齢期」はだいぶ過ぎていました。

ただ、自分は大学でのポストよりも興味の対象を重視したということです。

幸い、埼玉医大の教授も、快く送り出してくださり、

しかも教授が開発したカラードプラの器械を現地に送ってくださいました。

向こうでは移植を受ける人の肝臓を手術前後にわたり観察する研究などをしていたのですが、

その研究がまとまる頃に、自分が肝炎を発症してしまいました。

その時、自分の生き方を問われたように感じます。

嶋田:生き方を問われたと言いますと。

鋤柄:それまでは、世界最先端の研究と診療をし、一流雑誌に英文で投稿して掲載される、

それが自分の夢だったのですが、そのような生き方は、他のことを犠牲にして成り立つのではないか、

特に家族を犠牲にする生き方ではないかと思うようになったのです。

それよりも、日常の平凡な家族との交わり、患者さんとの交わり、

それがとても大事だと思うようになりました。

夢を掴んでの帰国

嶋田:そのお考えが、先生の転機になったということですね。

鋤柄:亡くなっていく方の看取りについて深く考えるようになり、そこに関わる医療に携わりたい、

より具体的にはホスピスを始めたいという新たな夢が生まれました。

幸い私の肝炎は一過性のもので、数カ月で治癒し、帰国いたしました。

帰国後は埼玉医大のもとの教室に復帰したのですが、すでに自分の夢が大きく育ってきていましたので、

数年後、大学を離れ診療所を開業することを決意しました。

嶋田:診療所からスタートされたのですね。

鋤柄:19床の医院でしたが、患者さんの話を傾聴することに本気で取り組みました。

当時の家内、その後亡くなってしまったのですが、その家内もクリスチャンで、

外来や救急で患者さんの話に耳を傾けたり、毎日、昼休みには讃美歌を歌い病室を回ったりしていました。

開業資金の調達

嶋田:開業の資金はどうされたのでしょうか。

鋤柄:開業には3億円ほど必要と試算されました。

しかしそのような大金はなく、担保もありません。

ところが、私が主治医として診させていただいていた患者さんに、ある銀行の頭取の方が

いらっしゃったことや、教会のメンバーも私の話に興味を持っていただいたという幸運が重なり、

皆さんが「医院建設協力委員会」という組織を作ってくださったのです。

そして、無利子、無担保、返済期間不詳、特典なしの病院債を発行し、

300人くらいから1億円を集めていただきました。

残り2億円は銀行から融資を受け、当地に開業できたという次第です。

嶋田:ドクターは先生お一人でしたか。

鋤柄:最初の数年は私一人でした。

一人で外来を診て、病室を回り、その後に手術をして、24時間オンコール待機でした。

何しろ銀行への返済が優先事項だと思っていましたから。

しかしそのうち、一人、二人とドクターが来てくださり、休める曜日を確保できました。

後編に続く

Photo by Carlos