No.207 聖隷横浜病院 内田明子 総看護部長 前編:地域住民のための病院であること

インタビュー

新人看護師入職後の2か月間で「一人でできること」を徹底的に増やすという教育システムを導入された、

聖隷横浜病院総看護部長の内田様に、時代とともに変わりつつある看護師像と、

時代を経ても変わるべきでない看護師の責任といったお話をお聞かせいただきました。

全寮制の3年間

中:今回は聖隷横浜病院、内田明子総看護部長にお話を伺います。

総看護部長、どうぞよろしくお願いいたします。

内田:よろしくお願いいたします。

中:まず総看護部長が看護師になろうと思われた動機を教えてください。

内田:自分では覚えていないのですが、ずいぶん小さい時から包帯を巻いたりするのが大好きな子どもで

「看護師になりたい」と言っていたらしいです。

明確な記憶に残っているのは高校の時に、一日看護体験に参加したことです。

白衣を着てナースキャップも被り、看護婦さんと一緒に病院の中を回った時

「やはりこの仕事をやってみたい」と憧れを持ちました。

中:では、生まれながらの天職のようなものなのですね。

看護学校時代のことで思い出に残っているエピソードはございますか。

内田:防衛医大付属の看護学院で全寮制でしたから、

非常に濃密な友人関係の中で3年の青春時代を過ごしました。

厳しくて辛いと感じたことは多々ありましたが、病院実習の際に患者さんに声をかけていただいたことが、たいへん励みになりました。

もう40年ほど経ちますが、いまだにその時の「がんばって看護婦さんになってね」という言葉がありありと耳に残っています。

看護師になるための厳しさ

中:学生時代の教育が厳しかったとのことですが、いま新卒で入ってこられる看護師をご覧になり、

どのように感じられますか。

内田:いま思えば、看護師になるために、

なぜそのような厳しさが必要なのかを教えられたという気がします。

今の看護学生は、その厳しさをどこで覚えられるのだろうかと、少し心配になります。

中:看護教育に関しては近年、事故を避けるために学生同士の採血もさせない学校もあるようです。

現在、総看護部長は新卒者の教育も担う立場かと思いますが、

昔とは異なる環境で育てられてきた新人看護師の教育面で、何か工夫はされていますか。

内田:入職前の3月末の2日間で、おむつ交換などの基礎的な研修を受けてもらい、

入職直後の4月から2か月間で、吸引や採血、点滴、移乗介助など基本的な6項目と、

ナースコールと電話に出ることを重点的に行ってもらいます。

そして6月から受け持ちを持ち始めるという方法です。

おっしゃるように、看護学校ごとに習得してきたレベルに差がありますから、

以前はそれに応じたいくつかのパターンを用意して教育していたのですが、数年前に変更しました。

まず、できることを増やす

中:最初の2か月で徹底的に技術を高めるということですが、

そのような教育方法に変更した目的はどのようなことですか。

内田:まず何より、できることを増やしてもらうためです。

新人看護師が病棟に配属されると、わからないことだらけですので先輩に尋ねるのですが、

皆さん忙しいので「ちょっと待って」と、30分ぐらい待たされてしまいます。

その間、みんなバタバタと忙しく働いているのに手持ち無沙汰で疎外感を感じてしまいます。

ところが一人で任せられる仕事があれば、先輩もいろいろ頼めますし、

本人も活躍できモチベーションが上がります。

新人に任せるのが最も不安な看護行為は点滴ですが、それも2か月あれば十分です。

その2か月間は教育担当者とアシスタントが付き、

現場の先輩看護師には教育上の負担が過度にかからないように配慮しています。

中:まずは戦力になってもらうことを重視したのですね。

そのような教育方法は総看護部長がお考えになったのですか。

内田:はい。

前職の勤務先で試みたことがあり、当院に着任後、教育担当者と相談のうえ、スタートしました。

中:効果はいかがでしょうか。

内田:良い結果が出ていると思います。

実際、新卒者の退職率が下がりました。

先日、日本看護管理学会で、当院のこの新しい新人教育システムを発表しましたところ、

フロアから多くの質問を受けました。

みなさんに大変興味を持っていただけたようです。

患者さんのための「厳しさ」は必要

中:新人看護師教育の全国的なモデルケースになるかもしれませんね。

少し話を戻しまして、先ほど「今の学生は看護の厳しさどこで覚えられるのか心配」

というお話がありましたが「厳しさ」はやはり必要とお考えになりますか。

内田:私の新人時代を振り返りますと、先輩は確かに厳しく、特に婦長は世界一怖い人だと思っていました。

しかしいま思い返すと、先輩に叱られたことはすべて

「患者さんにしてはいけないこと」をしてしまった時でした。

自分が教える立場になって初めて、厳しさとともに大切なことを叩き込まれたのだなと理解しました。

中:「患者さんにしてはいけないこと」とは、どのようなことでしょうか。

内田:例えば、ナースコールで呼ばれた患者さんから「点滴がなくなります」と言われた時には

「点滴がなくなる前に交換に行くべきでしょ」と叱られ、

看護記録の作成に没頭していてナースコールに出るのが少し遅くなると叱られました。

こういった本当に基本的で大切なことは、しっかり叱られた方がよく、

普段と同じようなトーンで注意されるだけだと、ことの重要性がわからないのではないでしょうか。

地域のための病院であること

中:総看護部長はご自身のお考えを、どのように院内の看護師へ伝達されていますか。

内田:私は4年前に、総看護部長として当院に着任しました。

そのため、あまりしがらみにとらわれることなく、最初の会議でまず

「私はこういうものを目指して、こういうふうにやりたい」と伝えることができました。

当院は一時期、他院と統廃合されるという話が持ち上がったのですが、

地域住民の署名活動により存続が決まったという背景があります。

ですから「地域住民のための病院である」ことを、病院としての基本方針としています。

その理念を徹底的に実現する、例えば入院を要する患者さんが搬送されてきたら、

最後の1床を使ってでも受け入れる、そういった考え方を伝達していきました。

現場のスタッフはとても大変だと思いますが、救急車の受け入れ台数や病床稼働率は飛躍的に伸びてきました。

本当に地域に貢献できる病院になったのではないかと思います。

中:ベッドコントロールはどのようにされているのでしょうか。

内田:病床管理委員会から「看護部でしっかり回して良い」と言われ、看護部に一任されています。

当院は脳神経外科と心臓血管外科が救急隊とホットラインで繋がっているので、

それら両科の急患はベッドがどんなに埋まっていても、必ず受け入れなければなりません。

そこをどうすべきか、毎日知恵を絞って運用しています。

いったん受け入れてしまえば、あとはスタッフたちの仕事のレベルに期待します。

つまり、どの病棟にどの患者さんを入院させるかは、きちんと考えるべき担当者がいて

コントロールしますから、ベッドサイドナースには徹底的に質の高い看護を考えて欲しいと思います。

後編へ続く

Interview with Araki & Carlos