開院3年目という新しい成田富里徳洲会病院の院長に就任された荻野先生。
ご自身もお若くエネルギッシュに挑戦を続けられているご様子です。
前編では、院長就任までのご経歴を中心にお伺いしました。
徳洲会グループで最新、開院3年目
中:今回は成田富里徳洲会病院院長の荻野秀光先生にお話を伺います。
先生、どうぞよろしくお願いいたします。
荻野:よろしくお願いいたします。
中:まずは貴院の特徴を教えていただけますか。
荻野:当院は徳洲会グループの72番目、グループで最新の病院として2015年に開院しました。
成田地域には複数の大規模病院があり三次救急はそれらの病院が担っているのですが、一次、二次救急は
手薄だったため、その充実を望まれる地域住民の声にお応えするように開設したという背景があります。
中:建物もまだとても新しく綺麗ですね。
病床数はどのくらいですか。
荻野:建物は700床規模を想定し建築されています。
ただし現在の許可病床数は285床です。
ですから今後に向けて大きな可能性を秘めた病院と言え、それも一つの特徴です。
ラグビーに没頭した学生時代
中:続いて先生が医師になろうとされた動機を教えていただけますか。
荻野:私が中学校の時に父が大学病院に入院しました。
父は入院中の体験から医療へ強い関心が生じたようで、退院後に自分が理想とする医療の話を私に語りかけ、
ついには私を医師にしてその理想を実現しようという思いから「医者になったらどうか」と勧めるようになりました。
ただ、私はと言うと勉強より運動の方が好きでしたので、無理な相談だと感じていました。
ところがその後、兄が交通事故で亡くなるという体験を通して、
私自身も医療をグッと身近に感じるようなり、やがて医師を目指すようになりました。
中:医学生時代の思い出と、外科医を目指された経緯をお聞かせください。
荻野:ラグビー部に入り、勉強よりもラグビーに多くの時間を費やすような生活でした。
ところが4年生の夏休みに研修に行った病院で、非常にスマートな外科医に巡り会い、
即座に自分も外科医になろうと志を決めました。
良い外科医になるにはやはり手術の場数を踏むことです。
若手に手術経験を積ませてもらえることで知られている徳洲会グループの湘南鎌倉総合病院で
初期研修を受け、外科医の道を歩み始めました。
血管外科の魅力は、結果がストレートに現れること
中:外科のサブスペシャリティー領域はどのように選ばれたのでしょうか。
荻野:外科医は卒後5年ほどで外科専門医を取得し、
そこから自分の専門性を積み上げていく仕組みになっています。
私もまずgeneral surgeryの教育を受け、その中で血管手術をつきつめたいという思いが募り、
尊敬する血管外科の先生のもとへ出向し勉強させていただきました。
中:血管外科にどのような魅力をお感じになったのですか。
荻野:結果が非常にストレートに出るのです。
手術が上手くいった時は劇的に改善し、そうでないと術後、短時間で悪化していきます。
ある意味、手技に職人芸が要求されることも、道を極めたいというモチべーションになっていました。
あまり派手さはないものの「いぶし銀」といった言葉が似合う領域です。
例えば近年増加している重症下肢虚血はこれまで切断されることが多かったのですが、
血管外科医がしっかり仕事をしてバイパスで繋ぎ血流を回復できれば足を救えます。
もちろん、実際にはそれほど簡単な話ではなく、うまくいかず辛くなることも多いのですが、
上手くいって患者さんが元気に退院される時の喜びはひとしおです。
中:ところで、先ほど大学時代にラグビーに熱中されたというお話を伺いましたが、
そのことがご卒業後の臨床スタイルに何かしら関係があったと思われますか。
荻野:ラグビーはプレイヤー15人が一つの目的に向かっていく究極の団体スポーツで、
その素晴らしさを感じていました。
今の医療はどの診療科においてもチーム医療ですから、
スポーツでのチームワーク形成の経験が生かされているように感じます。
また、よく「外科医は体力が勝負」と言われますが、体力以上に「忍耐力」が必要です。
スポーツを通して忍耐力が身に付いていたことは、確かに役立っていると思います。
さらに、臨床では「瞬時の判断力」が求められることが少なくありません。
それは手術中のみでなく、さまざまな局面で決断に迫られます。
その瞬時の判断もスポーツで培われていたように感じています。
臨床と院長とのプレイングマネージャー
中:先生は大変お若くして院長になられたと思います。
血管外科医として腕を磨かれ、その後、病院長に就任されるまではどのようなご経歴だったのでしょうか。
荻野:前任地の湘南鎌倉総合病院では外科主任部長と副院長を兼任していました。
当時、7人の副院長がいて私が最年少でしたから、特に重要な役割を担っていたとは言えませんが、
マネジメントの勉強にはなりました。
そして当院の初代院長が退任される時、私に声をかけていただいたという次第です。
私自身、将来的にはマネジメントの道にも進む希望が全くなかったわけではありませんが、
思い描いていたよりもかなり早いタイミングでその機会をいただき、戸惑いがありました。
しかし、まだ若いからこそ体力的に無理がきき、チャレンジもできるのではないかと考え、
お引き受けしました。
中:院長としての先生のマネジメントスタイルを教えていただけますか。
非常にお若い院長でいらっしゃいますので、とても関心を引かれます。
荻野:若さは確かに一つの力ではあります。
しかし、知識あるいは人間としての箔といったことは先輩方に敵わないことを承知しています。
ですから今の私ができることは、現場での臨床力を先頭になって見せ、
「付いてきたい」と思う職員が一丸となってくれることだと思っています。
ある意味、プレイングマネージャーです。
そのような理想のスタイルを必ずしも実現できているとは限りません。
今は、自分がこれまでやってきたことを力として発揮して、
職員に評価してもらおうと頑張っているところです。
若い病院でのチャレンジ
中:インタビューの冒頭からスポーツのお話も含め、先生のチャレンジされる姿勢を強く感じました。
院内のマネジメントもやはりそのような姿勢で取り組んでいらっしゃるということですね。
荻野:当院は開設してまだ3年です。
この地域の皆さま方にもまだ十分周知していただいていません。
逆に言えば、非常に可能性のある病院です。
そういう意味では、今おっしゃったように、何事にもチャレンジする姿勢を見せていこうと考えています。
後編に続く