No.194 埼玉医科大学総合医療センター 堤晴彦 院長 前編:多様な患者さんを受け入れる

インタビュー

埼玉医科大学総合医療センター病院長の堤晴彦先生。

「看護師とともに組織を作ってきた」との言葉の背景に、

先生の医療に対する信念があるように感じられます。

学費も生活費もご自身で賄われていたという医学部時代の興味深いお話もお聞かせいただきました。

あらゆる医療ニーズに対応可能

中:今回は埼玉医科大学総合医療センター病院長の堤晴彦先生にお話を伺います。

先生、どうぞよろしくお願いいたします。

堤:こちらこそよろしくお願いします。

中:貴院の特徴を教えてください。

堤:関東地区に大学病院と呼ばれる病院が64あるそうですが、

そのうち総合周産期母子医療センター、高度救命救急センターを持つ施設が4病院、

さらにドクターヘリも備えているのは2病院で、その一つが当院です。

すべての診療科が揃っていて、どのような患者さんにも対応できることが当院の大きな特徴です。

このように充実した診療体制をとり、

国が推進する医療計画である「5疾病5事業」のすべてに対応が可能です。

埼玉県にはへき地はありませんので、沖縄の離島に医師などを派遣しています。

さらに、難病患者さんを支援する取り組みもいま始めているところです。

また、埼玉医科大学グループの施設として、

医療型障害児入所施設「カルガモの家」や訪問看護ステーション、看護専門学校なども併設しております。

“住み込みのバイト”で自活していた医学部時代

中:次に、先生が医師になられようと思われた動機をお聞かせください。

堤:私の両親は二人とも高卒です。

そのためかどうか、父親から「大学なんか行く必要ない。大学に行っても遊ぶだけだ。手に職をつけろ」

という方針で育てられ、姉は洋裁の道に進み、兄は学費がかからず給料ももらえる防衛大学に進学しました。

私が医学部進学の希望を伝えると「そんなもん行かんでいい」と言われたのですが、

兄弟と母親が「一人ぐらいは大学に」と応援してくれました。

母親は若い頃に看護師になりたかったのですが看護専門学校の入学試験で不合格になってしまい、

叶わなかった医療への夢を私に託した面があるのかもしれません。

結局、進学が許可されましたが、授業料は自分で払うこと、生活費は自分で稼ぐことという条件付きでした。

中:生活の自立のために、どのような職を持たれたのでしょうか。

堤:大学の近く、本郷にある医学系出版社の倉庫の守衛をしました。

食事付きで泊まるスペースもあり、お金ももらえ、

さらに医学書もたくさん揃っていて勉強もできるという環境です。

1人では“勤務”に穴をあける危険性がありましたので、高校の同級生らと一緒にローテーションを組みました。

その後、その出版社の本店勤務の後、銀座の某有名時計店のガードマンに“出世”しました(笑)。

中:なんだかそのままドラマの設定に使えるようなお話ですね。

それでは大学時代は大変お忙しかったのではないでしょうか。

堤:学生時代は、ボート部にも入っていました。

埼玉の戸田にあるボートレース場に大学の艇庫があり、

年に数ヶ月は平日そこで合宿生活することもありました。

新しい領域への挑戦

中:ご専門領域はどのように選ばれていかれたのでしょうか。

堤:皮膚科や内科のように難しい疾患名がたくさんある診療科では覚えるのが大変なので、

迷うことなく脳外科へ進みました。

脳外科の主要な疾患は脳腫瘍と血管障害、頭部外傷ぐらいですから。

また当時、脳外科はまだ新しい領域でしたのでボート部などの先輩が少なく、

体育会系のように上から“命令”されることも少ないのではないかという期待もありました。

中:面白い選び方ですね。

実際、脳外科へ進まれて、どのような魅力を感じられましたか。

堤:日々新しいことを学び毎日が新鮮でした。

恐らくどの科に行ってもたぶん同じではないでしょうか。

また、いま申しまたように脳外科は若い領域でしたから、

手術の執刀も他の科に比べて順番が回ってきやすく勉強になりました。

中:私どもは看護師向けのWebメディアですが、若い看護学生の中には、実習の採血一つとっても

怖いのでなるべくやりたくない」人もいるようです。

先生のように新しいことへの挑戦を前向きに捉えていく姿勢は、たいへん刺激になるのではないかと思いました。

堤:確かに最近の若い医学生も、手術の見学に誘っても「一度見たことがあるので」と言って来ないなど、

消極的な傾向は見られます。

しかし採血にしても点滴にしても、回数を重ねるほど上手になることは疑いようがありません。

スポーツでも音楽でも、数をたくさんこなすことが上達する上で必須の条件です。

技術の向上が自覚できる環境ができれば、変わるように思います。

もし本当に若手の看護師が「怖い」という理由で避けようとしているのであれば、

周りのサポートが弱くなっている可能性があります。

人間関係の問題もあるのではないでしょうか。

フライトナースの発案

中:人間関係を理由とする離職も多いようですから、そうかもしれません。

貴院の看護師離職率はいかがですか。

堤:以前は全国平均と同じくらいだったのですが、現在はかなり少なくなってきています。

毎年、看護部がスタッフの満足度調査を行っておりますが、今回の調査では、

看護師さんたちの職場満足度が急激に上昇してきていることがわかりました。

中:スタッフ間の人間関係が良好ということですね。

堤:少し話が飛ぶかもしれませんが、当院のフライトナース(ドクターヘリ搭乗看護師)が、

ヘリコプターの離発着場不足の解決策として、小学校の校庭を活用するアイデアを提案しました。

早速、学校の先生方や消防署の救急隊員たちにアプローチして協力を求め、校庭に小学生を集めて、

交通事故でケガ人がでたという想定で、目の前に救急車や救急隊員が到着し、

さらにヘリコプターが降りてくるという体験型の実習を企画したのです。

当日は、小学生や先生だけでなく、PTAや教育委員会の人達も参加してくれて、

さまざまな交流が行われました。

この情報が新聞に掲載されたことによって県内に広まり、他の小学校からも要望があり、

当院の看護師も小学校巡りを繰り返し、一気に離発着場を増やしたということがありました。

余談ですが、当初は、当院の看護師のアイデアで始まった企画でしたが、その後、

それを聞きつけた埼玉県庁の青少年課が「夢の架け橋事業」に取り入れ、

自分達が行っている事業のような形にしました(笑)。

中:素晴らしいお話です。

貴院の看護師は非常にモチベーションが高いのだと思います。

堤:私には、当院の組織を看護師とともに一緒に作ってきたという自負があります。

私が当院の救命センターに着任した当時、病床数は12床ほどでこじんまりとしたものでした。

医療機器も少なく、事務部門に購入の要望を出すと

「実績のない部門の医療機器は買えない」と冷たく言われました。

この時の会話は、今でも忘れられません。

医療機器がないと医療そのものができませんので、業者にお願いして借りられる医療機器は貸してもらい、

それでも足りない機器は自費で購入したこともありました。

看護師さんたちが頑張ってくれたおかげで業績は向上し、入院患者数も3〜4倍にも増えたのですが

看護師の数を増やしてもらえず「先生、どうなってるの」とスタッフに言われ、

大学の上層部と交渉を重ねることもありました。

そういう経緯を看護師はみんな知っています。

後編に続く

Interview Team