三浦半島において長く精神科医療を提供する福井記念病院。
前身の初声荘病院以来の先進的な取り組みを、現院長の高屋淳彦先生に伺いました。
中:今回は福井記念病院、高屋淳彦先生にお話を伺いします。
先生、どうぞよろしくお願いいたします。
高屋:よろしくお願いします。
中:まず、貴院の特徴を教えてください。
高屋:当院は現在448床の精神科を中心とする病院です。
精神科医療の核となるスーパー救急病棟を48床有し、
患者さんの6割以上は3カ月未満でご自宅に退院されていきます。
精神疾患を早期に治療して、短期間でご帰宅いただくことを目指しています。
また、認知症患者さんのための病棟を平成4年という早い時期から開設しています。
もう一つの特徴は、日本専門医機構が定める精神科領域専攻医養成のための基幹病院として、
神奈川県の民間病院では唯一、指定されていることです。
若い医師を養成する場でもあるということです。
さらに、地域で患者さんをケアしていくという考えから、隣町の津久井浜にクリニックを開き、
外来診療と訪問診療、訪問看護を展開しています。
中:ありがとうございます。
後ほど貴院の目指す医療についてもう少し詳しくお尋ねいたしますが、
その前に先生が精神科をご専門とされた経緯をお聞かせいただけますか。
高屋:私は昭和43年に大学入学しましたが、当時は非常に大学が荒れていました。
いわゆる学園闘争です。
その波の中で私もさまざまな社会運動を知るようになり、
とくに障害者の社会的問題に触れる機会がしばしばありました。
そうした活動を通して精神医学に興味を惹かれていったのだと思います。
中:先生が医師になられてから現在まで、精神科医療もかなり変化してきたのではないでしょうか。
高屋:私が医師になった当時の精神科病院はほとんど閉鎖病棟でした。
入院されているのは、いつ退院できるかわからない方が多く、
精神科医療の現実は非常に厳しい状況だったと思います。
しかし、この数十年の間に大きく変わり、病棟も今は開放病棟が主体になりました。
私もそのような変化の流れに揉まれながら、当院の院長を努め今日に至ったように思います。
中:その歴史をもう少し詳しくお聞かせいただけますか。
高屋:当院の開設者は福井東一先生です。
現在の病院名も福井先生のお名前から名付けられました。
福井先生は、開かれた精神科医療を旗印にして、昭和38年という極めて早い時期に、全て開放病棟の病院を作られました。
鉄格子のない病棟ということです。
その数年後にWHOが日本の精神科医療の実情を調査に来まして
「日本の精神科医療は閉鎖病棟ばかりで非常に悲惨だ。患者さんも長期間入院させられている。
これは改善しなければならない」というレポートを出したのです。
「クラーク勧告」と呼ばれ、精神医学領域では今でもよく取り上げられます。
その調査チームが「日本の中にもわずかだが評価できる精神科医療を提供している病院がある」として、
いくつかの病院名を挙げたのですが、その中に当院の前身である初声荘病院も含まれていました。
それがマスコミに取り上げられ、当院が全国的に知られるようになったという歴史があります。
中:「初声」はこの地域の地名ですね。
高屋:そうです。
平成元年に名称変更しました。
この病院は開放的な精神科医療を、何十年もかけて積み重ねてきました。
私はその先進性や歴史に惹かれて、当院に勤めるようになりました。
中:そうでしたか。
やはり病院に理念があると、そこで働くスタッフも働きやすいのだと思いますが、いかがでしょうか。
高屋:そうですね。
かつて精神科医療の現場は若い人からの人気があまりありませんでした。
しかし今は逆で、若いスタッフが大勢いる職場になりました。
中:貴院の長い歴史と精神科医療の変遷がオーバーラップしているように感じました。
高屋:歴史的なことをもう少し補足しますと、
冒頭に申しまたように当院には認知症患者さんのための病棟があります。
これを開設したのは平成4年のことです。
社会的にはまだ認知症の問題がほとんど理解されていなかった時期のことです。
当時、認知症の患者さんを受け入れる施設が非常に少なかったため、三浦や横須賀だけでなく
横浜近辺からも患者さんが来られ、入院に3カ月以上お待ちいただくという状況になったこともありました。
我々もその経験を通じて、今ではできるだけ工夫を重ね認知症の方を地域に帰していく段階に来ています。
また同じく平成4年には、特徴的と言える設備をもう一つ設けました。
開放病棟の個室です。
うつ病患者さんに、ゆったりした空間で過ごしていただきたいという思いで設置しました。
当時、開放病棟に個室などとても考えられない時代でした。
後編に続く
シンカナース株式会社 代表取締役社長
看護師として勤務していた病院において、人材不足から十分な医療が提供出来なかった原体験を踏まえ「医療の人材不足を解決する」をミッションに、2006年に起業。 現在、病院に対しコンサルティングおよび教育を通じた外国人看護助手派遣事業を展開。25カ国以上の外国人看護助手を育成し、病院へ派遣することで、ミッションを遂行している。 東京都立公衆衛生看護専門学校 看護師 東洋大学 文学部 国文学科 学士 明治大学大学院 グローバルビジネス研究科 経営管理修士(MBA) 日本大学大学院 総合社会情報研究科 総合社会文化博士(Ph.D.) ニュージーランド留学 帝京大学医学部附属病院 東十条病院 三井住友銀行 元東京医科歯科大学非常勤講師 元同志社大学嘱託講師 元日本看護連盟幹事 元東京都看護連盟幹事 日本看護連盟政治アカデミー1期生 シンカナース株式会社/代表取締役社長 著書 『わたしの仕事シリーズ2 看護師』新水社 『医師の労働時間は 看護業務の「分業化」で削減する』幻冬舎 『外国人看護助手テキストブック』幻冬舎