No. 70 熊谷恒子様(東北公済病院)前編「中学時代から看護師を視野に入れて」

インタビュー

今回は東北公済病院の熊谷 恒子副院長にインタビューさせて頂きました。

看護部長として看護部をまとめる、熊谷副院長の手腕に迫ります。

看護師を目標にしたのは養護教諭の勧めがきっかけ

看護師を目指されたきっかけを教えていただけますか。

熊谷:私自身、小さいころ病気がちでよく病院に通っていました。

一般的に子供は病院に行くことを嫌がると思うのですが、私はあまり抵抗がありませんでした。

病院に行って注射や吸入などを泣かずに頑張ると看護師さんから褒めてもらえることが嬉しかったのだと思います。

きっかけになったのは、中学生の時に保健委員をやっていたことです。

そこで、養護教諭から看護師や養護教諭の魅力を話して頂く機会が何度かありました。

ある時、「あなたにすごく合っている仕事だと思うよ。人の役に立つ仕事を一生懸命する人は、きっと良い看護師になれるよ。」という言葉を頂きました。

保健委員としての自分の仕事ぶりを見て下さったようでした。

その言葉を頂いたことがとても嬉しく、次第に看護師になりたい気持ちが芽生えていきました。

その後、進路を看護科のある高校を目指そうか考えた時に、担任の教員から「中学生で進路を決めるのは早すぎる。高校は普通科に進んで、そこで一般教養をしっかり勉強した上で進路を決めた方が良い」とアドバイスされ、高校は普通科に進学しました。

高校在学中に、特別興味を引くような分野はなく、過ごしていました。

その頃、寝たきり状態で介護が必要な母方の曾祖母のところに行き、爪を切ったり、髪を梳かしたり、手浴、足浴をする機会がありました。

「気持ち良かったよ」「ありがとね」と言ってもらえるととても嬉しくて、バスで40分ぐらいのところまで通っては介護をしていました。

関わった自分もとても嬉しい気持ちになり、相手も喜んでくれるのはすごくいいなぁと漠然と思っていました。

もしかして、養護教諭が言っていた看護の魅力はこのことなのかもしれないと考えるようになりました。

そこで、やっぱり看護師を目指そうという思いが強くなり、看護学校について調べ、家族に負担をかけずに学べるところと思い、奨学金がもらえたり、卒業後県内に就職すれば学費が免除になる制度がある学校を選択しました。

素敵な実習指導者に支えられた学生時代

学校はご自宅の近くに通われたのでしょうか。

熊谷:自宅からは車で2時間くらいの場所にある全寮制の看護学校に入学しました。

寮では同じ部屋になった先輩や同級生に悩みや困りごとを相談してアドバイスをもらうこともありました。

「看護とは何か」ということを夜遅くまで語り合ったり、実習記録を仕上げる相談をしたりできましたので、看護学生時代はとても楽しく、充実した時間を過ごしました。

また、友人と一緒に他の大学や看護学校の人達との歌声サークルにも入り気分転換をしていました。

印象に残っている実習のエピソード等はありますか。

熊谷:初めて実習で患者さんを受けもたせて頂いた時、患者さんの方が緊張されて熱を出してしまいました。その時「私が看護師になって大丈夫なのか」と不安な気持ちになりました。

でも、その時の実習指導者がとても素敵な方で、「看護師の仕事はとても素晴らしい仕事だから、今ここで挫折体験をしたからと言って、もう駄目だとは考えない方が良いよ」と言って下さいました。

そして、「次の患者さんには、一緒に関わっていこう」とフォローして頂きました。そう導いていただいたので、最初の実習での出来事でしたが、大きな挫折とは捉えずに次の実習に臨むことができました。

必死な新人時代から素晴らしい師長との出会い

学校を卒業された後はどちらにご就職されたのでしょうか。

熊谷:卒業と同時に、現在の国家公務員共済組合連合会 東北公済病院に就職しました。

卒業後はずっとここの病院だけです。

始めはどちらの病棟に配属されたのでしょうか。

熊谷:最初は心臓外科、外科、耳鼻科、泌尿器科の外科系の混合病棟でした。

健康の段階も、手術前・後の方、回復期の方など様々な状態でした。最初の1か月目は病棟の仕組みを覚えることをクリアしよう、次の2か月目ではこの手技をクリアしよう、と自分なりに目標を立てて学んでいきました。

混合病棟だったことで、今考えると様々な診療科を段階的に学べたことが、とても良い環境だったと思っています。

すごく前向きですね。

熊谷:私が就職したときは同じ病棟に一度に7人の新人が入りました。

ですから、病棟も7人の新人をどうやって育てていこうか、困り果てていた状況で、新人でも一日も早く一人前になることを期待されていましたので必死でした。

兎も角必死に、間違いなく業務や課題をこなすことで精一杯の日々でした。

一年目の時、患者さんに「今日の夜勤、あなたで良かったわ」と言われた時がありました。

その方は全身にがんが転移していた方です。その頃は現在ほど鎮静剤もなく、痛みのコントロールも難しい状況でした。その方にとっては、2時間毎の体位変換も痛くて辛いことでした。

ある時、「他の看護師は痛みを伴う体位交換をただの業務として行なっているけれど、あなたはどうやったら痛みがなくできるかを一生懸命考えながらやってくれているね。ありがとう」とおっしゃって下さいました。

そうした言葉を頂けて、未熟な自分でも一生懸命考えて関われば、思いは伝わるということを気づかせて頂いて、しっかり考えてケアすることの大切さを教えて頂きました。

患者さんは、重症でも軽症でも自分を大切に見て欲しいというお気持ちは一様に同じです。そのことを理解して関わることが重要であると、外科系の病棟で学ばせて頂いたように思います。

その外科をご経験された後はどちらの病棟でご経験を積まれたのでしょうか。

熊谷:5年間臨床を経験した時に、病棟のことは一通り出来るようになり、理解できたと思えたので、今後何をしたらいいか迷った時期がありました。

その時に当時の看護部長から、臨床の現場を離れて学問的にこれまでの体験を整理することも良いのではないかと、日本看護協会の研修学校で1年間学ぶことを勧められたこともあり、一度臨床を離れ進学しました。

管理学科のコースの中で、2週間でしたが都内の病院で管理実習として、病棟師長の仕事を学ぶ実習がありました。そこで素晴らしい看護師長との出会いがあり、こんなに効率的・効果的に病棟管理ができるのかと管理に対して興味を持ちました。

その学校が終わって現場に戻ってきてからは、内科病棟での勤務や、看護教育部でスタッフの教育を担当しました。

その後内科病棟で働いている時は、慢性疾患を持つ患者さんの気持ちが、前向きになるためにどう関わったら良いか、看護がとても難しいと感じていました。

例え少し検査結果が良くなったとしても、一生病気を抱えて生きていかなければならないことには変わりがない、と気持ちを前に向けられない方々への関わりをどのようにしたら良いのか悩んでいました。

その難しさを感じていた頃に、再度研修学校の研究科に進むことを研修学校の恩師に勧められました。研究科は、集中3か月後は、週1回仙台から東京清瀬に通い、学習を継続しながら、研究をまとめていきました。2年間仕事をしながらでしたが、糖尿病の患者さんのセルフケア能力を高めていくための支援についてを研究しました。

仕事と学校の両立は、大変なこともありましたが、新しい知識を習得していくことはとても楽しくて、また苦しみ以上に充実感がありました。

そこを卒業した時に、看護師長心得に任命され、スタッフ看護師から突然の昇格でした。

主任も経験していませんでしたから「できるわけない」と思ったのですが、看護部長から「私がサポートするから」と言われて命令に従いました。

若くして師長になって

結構早く師長になられたのですね。

熊谷:その時は32歳でしたから、スタッフの半分は年上でした。

そこから自分の管理者としてのキャリアが始まりました。

師長になられたのはどちらの病棟だったのでしょうか。

熊谷:一番はじめに自分が入職した病棟でした。

その分、疾患のことや仕組みなどは理解できていたので、その点ではやり易かったと思います。

前任看護師長からの引き継ぎでは、スタッフは皆自立しているので教育は問題ないと言われていたので、自分が何をすべきかを見つけるところからのスタートでした。

師長として最初に取り組まれたことはどのような事でしたか。

熊谷:病棟全体を見渡した時にまず何処に何があるのか全くわからないと思いました。

それでまず倉庫に行って病棟に何があるのか、その中も何がよく使われて何が使われないで残っているのかを把握して、使用頻度や緊急性なので整理するところから始めました。

次にナースステーション内の物品棚や薬剤棚、引き出し等を整理しました。薬に関してもどういう薬剤がどのくらいあり、どの位で動いているのか等が把握できました。

その次に、実際行った治療処置は、間違いなく請求伝票として請求されているかを確認しました。

そうすることで、治療の段階と請求伝票の内容が合致するようになってきて、「術後1日目なのに酸素をしていないのか」「この処置はもう無くなるのか」等、請求と同時に看護の内容も確認することができるようになりました。

師長が意識して言い続けることで、スタッフも請求を意識していくようになりました。

環境整備に関しても同様で「気付くかな」と思っていても中々気付いてくれません。

ですから、ベッドのフレームが汚れている時や使われていない物品がそのままにされている時はその都度伝えて、スタッフにも気づいてもらうようにしました。

後編へ続く

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