No.268 日本医科大学千葉北総病院 清野精彦院長、増渕美恵子看護部長前編:医療は変化していく

インタビュー

  

インタビュアー:こんにちは。今回は日本医科大学千葉北総病院、院長の清野精彦先生と、看護部長の増渕美恵子さんにお話をお伺いしたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

清野院長・増渕看護部長:よろしくお願いいたします。

 

日本医科大学の3つの特徴

 

インタビュアー:では、今回こちらの病院の特徴を教えていただけますか。

 

清野院長:日本医科大学には4つの病院があります。

わたくしたちの病院はその中では最も若く新進気鋭、今年は開院してちょうど25年を迎えました。

特徴一つ目

千葉県、印旛医療圏の基幹病院であり、わが国をリードする、ドクターヘリ、ラピッドカーを駆使しての救命救急医療があります。

さらに、循環器センター、脳卒中センターなどの高度急性期医療を特徴としています。

 

 

特徴二つ目

国の重要な政策になっている、がん診療です。

2015年から厚労省のがん診療連携拠点病院に認定され、この医療圏の5大がんをはじめ、前立腺がんや、肝臓がんなどのがん診療を推進しています。

特徴三つ目

この地域には成田空港が近くにあります。

その国際性を背景に、内閣府のインバウンド事業であるJIH、ジャパンインターナショナルホスピタルズ(日本国際病院)35病院の一つに推奨されています。

外国人を対象に、渡航して精密検査や専門的な治療を受けたいという患者さんに対応しています。

 

わが国実績ナンバー1の救命救急(ドクターヘリ医療)

 

インタビュアー:ドクターヘリや救急搬送の支援システムなどについて背景を教えて下さい。

 

清野院長:特に重篤な外傷や、心筋梗塞などの循環器救急、脳卒中などの救急医療はより早期からの治療開始が重要であり、生命予後に大きくかかわります。

ヘリコプターですと、飛び立って15分から20分で患者さんを搬入できるので、より早期から治療を開始することが可能となります。

ドクターヘリ事業は、2001年に最初にわたくし達の病院が取り入れたシステムです。

北総病院は、年間1200~1300件の出動があり、今年は累計15,000件を突破しました。

今日もすでに4件ほど出動しています。

 

 

心筋梗塞の患者さんでは、心筋救済(サルベージ)のためには発症後2時間以内に、閉塞した血管、冠動脈を再開通する必要がありますが、救急車では難しい現状がございます。

ドクターヘリになり、20分で患者を搬入し、40分以内に冠動脈を再開通することが可能になったので心筋壊死は救済され、生命予後の改善が得られるようになりました。

 

 

千葉県や茨城県はもちろんですが、特別なケースで福島からも依頼があり、患者さんを当院に搬入した例がございます。

東日本大震災のときには、災害派遣医療チームが福島や、宮城などの支援を行いました。

 

 

フライトドクター、フライトナースが活躍する『コードブルー』というテレビの撮影病院として人気になったこともあり、このテレビを見てわたくしたち達の病院に入職したスタッフも在籍しています。

 

やはり医師は面白い

 

インタビュアー:清野院長が医師になろうとしたきっかけを教えて下さい。

清野院長:わたくしの父方祖母の家は、蘭学医で華岡青洲(江戸時代の外科医)の門下生でした。

わたくしは岩手県一関市出身なのですが、大槻玄沢とか建部清庵など蘭学を学んだ方々が多く活躍した地域です。

わたくしの父は、そういう背景に影響を受けたのではないかと思うのですが、内科医師になりました。

わたくしも父の背中をみながら医療を考える機会も多く、医学は面白いという思いがありました。

 

学生時代の思い出

 

インタビュアー:学生時代の過ごし方や印象に残っている出来事や授業などは何ですか。

 

清野院長:学生時代の思い出は、弦楽器が好きで大学や都内アマチュアのオーケストラに所属していました。今でもクラッシック音楽が大好きです。

わたくしは、1976年、昭和51年卒業ですが、医療の進歩が最も著しい時期を経験してきたと思います。

 

 

たとえば心不全に対して、学生時代はβブロッカーは絶対使ってはいけない(禁忌)と教わっていました。

ところが2000年以降、βブロッカーは心不全に必ず使用すべき標準治療薬とされたのです。

心臓のポンプ機能は改善し、生命予後は延長するようになりました。

医療のエビデンスが刷新されたのです。

一方、強心薬、心臓のポンプの働きをたかめる薬は、1990年代当初は弱っている心臓の機能を増強して素晴らしい薬だと、講演会などで発表しておりましたが、βブロッカーと逆で、長期効果をみると、むしろ死亡率が高くなってしまうことが示されたのです。

 

 

医学は常に進化していることは大事な事実であり、わたくし達の世代は最も著しい変遷を体験してきました。

他にも、がんの治療では、手術療法のみならず、化学療法、分子標的薬、特に免疫チェックポイント阻害薬の卓越した効果が明らかにされ、さらにオンコパネル遺伝子検査まで出来るようになりました。

そうした変革を、経験しているということ、とても良い時代に医師になり貴重な経験をしてきたと思います。

 

時代と共に変わる労務管理

 

インタビュアー:医師の働き方に関しての変化はありますか。

 

清野院長:わたくし達が医師になった時代は、病院に泊り込むのが当たり前みたいな時代でしたけれど、今は効率的に時間を活用し、超過勤務を減らす重要性が提示され、随分変化したと思います。

特に研修医教育については、どこの病院も取り組んでいる重要課題です。

さらに医師全体の労務管理の改善も喫緊の課題になっています。

臨床は多くの症例を経験しながらトレーニングする事、そして一例から多くを学ぶ事が大変重要だと思いますので、研修医には、そのように伝えています。

 

循環器に進んだきっかけは素晴らしい臨床講義

 

インタビュアー:なぜ循環器を選ばれたのですか。

 

清野院長:学生時代にいろいろな教授の講義を聞いたことと、臨床講義と言って、実際の患者さんに臨床講堂に来てもらって教授が診察をして、データが提示され、患者さんが帰ったあとに、どんな病気か考える。

そういった臨床講義を受けながら学習していきました。

循環器内科、当時木村栄一(きむらえいいち)教授の講義と、臨床講義が素晴らしい内容でした。

わたくしや循環器内科を専攻した99%は、木村教授に教えていただきたいという気持ちで入局したと思います。

 

 

循環器の臨床は非常に忙しく緊張の多い領域ですが、医学と医療の本質を学ぶことができると感じ、循環器を選びました。

心臓はポンプ、血管はチューブで、血液がある、ある意味では循環器は理解しやすく、分析しやすく、いろいろ理論構築しやすい点と、木村教授の人間性、特に厳しさに憧れて入局しました

やはり、恩師との出会いが、われわれの世代では大事なモチベーションになっていると思います。

入局すると先ず循環器内科医である前に内科医でなければならないと言われ、厳しく全内科領域のトレーニングを学びました。

 

後編に続く

Interview with Carlos & Araki