No. 53 鈴木のり子様(いわき市立総合磐城共立病院)前編「必要なことを磨けばそれはいつか生きてくる」

インタビュー

今回はいわき市立総合磐城共立病院の鈴木のり子副院長にインタビューさせて頂きました。

看護部長を兼任し、看護部をまとめる鈴木のり子副院長の手腕に迫ります。

「看護が好き」と思えた実習

看護師になろうと思われたきっかけをお聞かせ頂けますか。

鈴木:高校生の時に、変化に富んだ日々を送りたいと考えていました。

それと同時に人を相手にする仕事をしたい、何か資格を取りたい、とも思っておりました。

それを踏まえると「看護師かな」と、選びました。

看護学校に入ってからギャップはありましたか。

鈴木:学校では、学べば学ぶほど楽しかったです。

実習で初めて受け持った患者さんが、私の拙い看護でもすごく喜んでくれたのです。

その時にもしかしたら、看護が自分に合っているかもしれないと感じて、その実習の時から、「看護が好き」と思えるようになりました。

印象に残るエピソードは何かございますか。

鈴木:最初の患者さんが糖尿病をお持ちでしたので食事指導をしました。

そのために私自身も一生懸命勉強しましたが、患者さんも一緒に理解しようとしてくださいました。

その時に自分が頑張ればいつか何らかの形で通じるのだ、ということを感じました。

看護師として整形外科病棟に配属になったばかりの頃に、患者さんにご飯を顔に吐きかけられたことがあります。

患者さんのために食事の介助をしたつもりだったのですが、「ご飯要らない」「ほっといてくれ」と言われました。

初めて強い拒否を受けましたし、その方の苦しみを十分理解できていなかったとも気付いて、色々な意味でショックを受けました。

ずっと頭の中に残っています。

その衝撃的な出来事はどのようにして乗り越えられたのでしょうか。

鈴木:師長や先輩から時間をかけてアドバイスも頂きました。

あとは自分で知識を得ながら振り返ってみて、自分ができなかったこと、した方が良かったことを考えました。

就職する病院はどのように選ばれたのでしょうか。

鈴木:この病院附属の看護学校に通っていましたし、急性期の大きな病院に対して憧れも抱いていて、自分のしたい看護もそこにありました。

そして、私自身、いわきが好きで貢献したいと思っていたので迷わずこの病院に決めました。

整形外科病棟で勤務された後はどちらに行かれたのでしょうか。

鈴木:整形外科病棟に3年勤務した後、看護学校に専任教員として異動しました。

必要なことを磨けばそれはいつか生きてくる

教員へはどのような経緯でなられたのでしょうか。

鈴木:看護部から「教員はどうか」とお話を頂いたのです。

子どもの頃に教員になりたいと思った時期もありましたから、「やりたいことをもう一つ実現できるチャンスだ」と異動しました。

学校ではどの分野を担当されたのでしょうか。

鈴木:主に基礎看護学、看護技術を中心に20年教えておりました。

臨床にいたのは3年でしたが、教員になった当初は学生ができることの少なさ、学生の答えや行動を待つ、ということがこんなに大変なのかと感じました。

でも、待つことでその学生を育てることができるという事に徐々に気付くことができました。

元々、私は自分がやりたいこと、必要なことを磨けばそれはいつか活きてくるという考えを持っています。

それが自分を伸ばす道、活かす道だと思っているので、教員になって10年経った頃から、自分に今しかできないことをしたいと思い始めました。

ですから、まずは授業と実習指導を一生懸命やりながら、看護研究に取り組みたいと思いました。

主に学生のアセスメント能力を高める方法、看護技術に関する技術習得について、どうすれば学生に確実に身に着けさせられるか、同僚たちといくつか研究を行いました。

その当時は東京まで研修を受けに行くこともあれば、大学の先生にお願いして指導を受けることもしました。

教鞭を20年執られた後、病院には管理者として戻られたのでしょうか。

鈴木:当院は師長と副師長が管理のポストなのですが、副師長として整形外科病棟に戻りました。

そのあとは脳神経外科を中心とした病棟に異動しまして、それから師長として消化器病棟へ行きました。

そこからは副部長職を経て看護部長になりました。

20年ぶりに病棟に戻られてみていかがでしたか。

鈴木:実習指導で病棟に来ることはありましたが、やはり指導する内容というのは看護師の実際の業務のごく一部ですから全く違いました。

丁度その頃に、電子カルテが導入され始めていましたので、電子カルテでの記録にも苦労しました。

気持ちはあるのですが、なかなか早いスピードについていけない時もあり1、2年は大変だったと思います。

それでも教え子が結構声をかけて助けてくれて、みんなと仲良くなっていきました。

役職が上がるにつれて戸惑いなどを覚えることはございませんでしたか。

鈴木:そうですね、スタッフの気持ちをつかむこと、部署で何かを変えるときにどうしたらいいか、など戸惑うこともありましたが、とにかく一生懸命やろうとは考えてきました。

失敗もしましたが、それも学びにしたいと思いました。

先輩の力強い言葉に背中を押されて

部長になられた時は如何でしたか。

鈴木:まず「おめでとう」と言われることと「大変ですね」と言われること、両方ありました。

看護部は大所帯で、看護補助者も含めると700人いますから、気持ちの整理がなかなかつきませんでした。

気持ちに関して順に追っていくと、まず「私でいいのか」「私でやれるのか」から始まりました。

それでも先輩の看護部長に「腹をくくりなさい、この道に進んだのだから」と言われて、役を受けました。

今思うと、その時はもう無我夢中で、全体を見る余裕なんてなかったと思います。

看護部長になった1年目は今までやってきたことを滞りなくすることだけで精一杯で、全体が見えるようになるまで2年はかかったと思います。

そして、3年目から看護部の舵取りをどうしていくか考えられるようになり、変革も始めました。

今年で看護部長に就任して5年目になります。

どのような点を変えていらっしゃるのでしょうか。

鈴木:主に3点です。

1つ、看護に関しては、今年から本格的にパートナーシップ・ナーシング・システム(PNS)を導入しました。

昨年から試験運用していて、デメリットも確かにありますが新人や中途採用者、異動した人には、一人ぼっちにならないで誰かと一緒にケアができるのですごく好評です。

2つ目は看護管理者の育成です。

当院は大きい病院なので師長だけでも25人います。

新人を含めてスタッフを育てるのは師長が要ですし世代交代もありますから、その師長達も育てていく必要があります。

でも直接できることは限られますから、師長同士でリフレクション研修を開き、東京大学の武村雪絵准教授のコンピテンシーに関する研修を受け、毎月1回の勉強会を始めました。

これにより、自分たちで看護管理者として何が足りないのか気付き、少しずつ行動変容が起きています。

3つ目はワーク・ライフ・バランスの改善です。

看護部でチームを立ち上げて事務職の人にも入ってもらい取り組んでいます。

やはり看護部だけでなく他の職種の人からの意見も取り入れることで視野が広がり、看護師の業務負担軽減に取り組むことができました。

後編へ続く

いわき市立総合磐城共立病院に関する記事はコチラから

No. 53 鈴木のり子様(いわき市立総合磐城共立病院)後編「慈心妙手(じしんみょうしゅ)」

病院概要

いわき市立総合磐城共立病院