No.274 白井聖仁会病院 布施秀樹 病院長 前編:大学教授を経て地域密着型病院の管理者となる

インタビュー

昭和55年の開院以来、千葉県白井市の中核病院として歩み続け、

平成28年12月には、新築移転によりさらなる機能強化を果たした

医療法人社団聖仁会 白井聖仁会病院。

今回は、平成30年度から病院長を務める布施秀樹先生にインタビューを行い、

病院の特徴や布施先生のご経歴に加え、

次代を見据えた病院運営のあり方、看護師に対する思いなどについて、語っていただきました。

 

ケアミックス病院として地域を支える

 

久保:今回は、白井聖仁会病院の布施秀樹病院長にお話を伺います。

まずは、貴院はどういう病院か、お聞かせいただけますか。

 

 

布施:当院は、一般病床48床に加え、療養型病床124床と緩和ケア病床20床を持つ、

いわゆる地域密着型のケアミックス病院です。

病床規模からは療養型を中心とした病院に思われるかもしれませんが、

ここ白井市には病院が当院を含めて3つしか無いこともあり、急性期医療や一般的な専門診療への対応も

当院が担うべき重要な役割になります。

実際、救急指定病院として二次救急を中心とした救急医療にも力を入れていますし、印旛地区の救急輪番制にも参画しています。

 

 

診療機能の面でも、20あまりの診療科と各種センター機能を揃え、

地域で発生する一般的な疾患に対し、その多くを当院で対応できることをめざしています。

また、在宅医療の領域についても、訪問診療や訪問看護などを実施し、生活を支える医療にも積極的に取り組んでいます。

一方、後方支援病院として在宅医療に関わっている開業医の先生などに、病床を活用していただくよう取り組んでいます。

 

久保:具体的な診療機能について、いくつか教えていただけますか。

 

専門医を中心とした総合的な診療機能

 

布施:外科領域で言えば、消化器外科の医師を中心に、

腹腔鏡下手術をはじめとした診療を行っていますし、

乳腺外科を専門とする医師も在籍していますので、

乳がんなどに対する診断や、手術・化学療法等の治療を一貫して行うことが可能です。

 

 

また、高齢化に伴い需要の増している整形外科の領域でも、

骨折や外傷から変性疾患、脊椎の治療まで幅広く対応できる体制を整備していますし、

内科領域でも呼吸器内科、神経内科、循環器内科、糖尿病内科、腎臓内科などの領域で、

専門医師を中心とした診療を行っています。

 

 

久保:透析センターをお持ちですが、透析にも力を入れているのでしょうか。

 

布施:そうですね。

当院は20年ほど前に透析医療を開始し、

以来、維持透析を中心に、外来・入院で人工透析への対応を続けています。

現在、私も含めて3人の医師が診療にあたっており、看護師、臨床工学技士など多職種が連携し、

120〜130名程度の透析患者さんを治療しています。

 

 

また、当院では、透析になった後の患者さんだけではなく、

多発性嚢胞腎のような、透析のリスクとなる疾患の治療も積極的に行い、

できるだけ透析にならないような二次予防にも力を入れています。

 

久保:貴院において、透析を受ける患者数は増えているのでしょうか。

 

布施:私の赴任当時と比較してもかなり増えていると思います。

 

 

特に最近では、高齢化に伴いADLが低下した患者さんも多く、

外来ではなく入院で透析を行う方が増えてきています。

この近隣には、重点的に透析を行う医療機関が当院の他に少ないこともあり、

今後も透析医療には力を入れていく必要があると考えています。

 

久保:ありがとうございます。

次に、新築移転についてお聞きしたいのですが、移転後はどういった点が強化されたのでしょうか。

 

地域初の緩和ケア病棟開設

 

 

布施:旧病院に比べ、診療・入院スペースの拡大や災害対応力、医療安全面、感染症対策などハード、ソフト両面いずれの機能も強化されましたが、

特筆すべきことのひとつは、緩和ケア病棟の開設でしょうね。

当院では、平成28年12月に新病院がオープンした後、

平成29年7月に緩和ケア病棟を20床開設しています。

緩和ケア病床は、主にがんの終末期の患者さんに対し、医師や看護師が中心となり、

がんに伴う疼痛や心理的、社会的苦痛を取り除き、穏やかな暮らしを支援するための病床です。

国民の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死亡する時代においては、

とても重要な病床なのですが、それまで白井市には緩和ケア病棟がありませんでした。

 

 

それゆえ、当院が緩和ケア病棟を持ったことは地域にとっても大きな意義があると思います。

 

久保:なるほど。

それでは、少し視点を変えまして、布施先生のご経歴についてお聞きしたいと思います。

そもそも布施先生が医師を志したきっかけは何ですか。

 

大学教授として腎泌尿器科学講座を主宰

 

布施:何か特別な出来事があったという訳ではありません。

私の祖父も父も医師をしていましたし、親類にも何人か医師がおりましたので、

私も、学生時代からあまり疑いも無く医師をめざし、地元である千葉大学の医学部に入学しました。

 

久保:その後、泌尿器科の医師になられたと思いますが、

泌尿器科を選ばれた理由は何ですか。

 

布施:私はもともと、結果がはっきり出る外科系が好きだったのですね。

その中でも、泌尿器科は1人の患者さんに対し、診断から治療まで一貫して行える診療科ですし、

尿路系から内分泌、副腎、生殖医療まで守備範囲も広く、やりがいのある診療科と感じて選びました。

 

 

当時、千葉大学の泌尿器科学教室は雰囲気がとても良かったことも理由の1つですね。

たしか同学年より10名近くが入局したと思います。

 

久保:その後は、どのようなご経歴を歩まれたのでしょうか。

 

布施:泌尿器科医師となってからは、千葉大学の医局で助手などを務め、

昭和63年からは助教授として富山大学(旧富山医科薬科大学)に勤務しました。

 

 

平成5年より1年弱、文部省在外研究員としてオランダに留学しました。

その後、平成8年には教授として富山大学の腎泌尿器科学教室を主宰し、

以降、平成27年3月に定年退官するまで、教授職を続けてきたという状況です。

診療面で言えば、前立腺がんなどの腫瘍に対する診療から、透析、腎臓移植まで幅広い領域を経験し、

産婦人科とも協力しながら、生殖医療にも携わりました。

 

 

久保:大学病院時代のご経験は現在のお仕事に生きていますか。

 

布施:透析をはじめとした臨床経験はもちろんですが、

教授時代には、透析部長や集学的がん診療センター長、副病院長などを務めましたので、

他領域のスタッフとのチームワークの重要性などについて経験できたことが、ある程度今に生きていると思います。

 

 

久保:その後、こちらの病院に赴任される経緯はどういったものですか。

 

第一印象は「垣根が低い」

 

布施:定年退官に伴い、地元千葉県に戻ってきたということです。

その際、縁あって当院にお世話になることになりました。

 

 

久保:赴任当時、こちらの病院に対してどういった印象を持たれましたか。

 

布施:まずは、スタッフ間の垣根の低さが印象的でしたね。

この病院は、医師間もそうですが、医師と看護師など多職種間の関係がとても良く、

気軽に相談できる環境があるのですね。

大学病院で長く仕事をしてきた私にとっては、それがとても新鮮でした。

また、一人ひとりのスタッフを見ても、とても真摯に医療に向き合っている人が多く、

働きやすい病院だなというのが正直な印象でした。

 

後編に続く

 

Photo by Carlos

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